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映画鑑賞から考える「Z世代」

最近、稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ−コンテンツ消費の現在形 』を読んだ。何かの雑誌で新刊紹介されていたので気になって買った。

新書好き、社会学チック好きの私にとってはどストライクに興味をそそられるタイトルである。そもそも私が社会学に興味を持ったのは高校時代の総合学習の時間の若者研究に関するレポート作成であったし、今までも原田曜平の若者に関する著作など読んできた。

本著は昨今のオンライン配信サービスにより、スマホやタブレットなど、映画館以外での映画鑑賞において「早送り」がなされることに注目したものだ。最近では映画を1.5倍速で観たり、早送りを多用したり、あらかじめストーリーや結末を頭に入れてから映画を見る人が多いという。

私自身も月に数本はAmazonプライムやHuluで映画を鑑賞するが、確かに早送りには心当たりがある。カメラがパンをして風景を映し出すシーンや、動きが見られないシーンは飛ばしてしまうことがある。それは映画作品や作り手にとってはイケナイコトだという認識はあるものの、YouTubeで鍛えあげられた早送りスキルがここで無意識に発露してしまうのである。

だが、私には始めから倍速視聴をしたり、ネタバレサイトを予め閲覧したりするという行為には理解ができない。たまに、映画を観ている時や映画を観る前に「この後どうなる?」と聞いて来る人がいるが、そんなナンセンスな質問はしないで欲しいと強く思う。だが一方、そういった人が今は増えているという現実がそこにはあるようだ。

本のことを書くといつもまとめられずに長くなってしまうので、本のポイントをかいつまみながらなるべく短くまとめて書き上げたいと思う。


まず、倍速視聴や早送り、予習をする理由は様々あれど、大きくざっくり挙げると以下のようになるらしい。

①作品が多い、情報が多い

昨今、多くのオンラインストリーミングサービスが存在する。例えば、Amazonのprime videoやNetflix、Huluなどだ。これらの登場以前は、DVDを購入するか、レンタルビデオ店でDVDを借りなければ映画やドラマを自宅などで視聴することはできなかった。しかし、これらのサービスの登場によって、様々な映画やドラマがそういった手間なく視聴できるようになった。多くの作品の中から自分の好きなコンテンツを、自宅や好きな場所でゆっくり作品の鑑賞ができる環境が手に入ったのである。

だが、視聴可能な作品が多いという環境は、却って「どれを観ればよいかわからない」「たくさん観られるのだから、一つでも多くの作品を観なければいけない」という想いを抱く人が増えてしまったのだ。まさに心理学におけるジャムの法則(選択肢が多すぎると、選ぶことに困難を感じてしまう心理作用のこと)である。

そうなると一つ一つの作品に時間をかけてはいられない。倍速視聴や早送りを駆使して、一つ当たりの作品にかける時間を短くするしかない。そうして、少しでも多くの作品を鑑賞しようという態度になってしまったのである。

②コスパ、タイパ至上主義

倍速視聴、早送り、ネタバレサイトなどでの予習をするのは特に若い世代に多いと言う。「Z世代」などと言われる今の若い世代はコスパ意識やタイパ(タイムパフォーマンス)意識が高い。つまり、「効率的に何かをしたい」「失敗したくない」という想いが強いということだ。

その理由として学問に効率を求める「キャリア教育」やSNSによって同世代と自分を容易に比較できてしまうことが挙げられている。学びやスキルに効率が求められ、また、SNSによって見えるようになった同世代の活躍により、少しでも効率の悪いことを嫌うようになったと述べられている。

先に指摘したSNSの常時接続は、会ったこともない自分と同世代の活躍を可視化させた。そのことは相当量のストレスも運んでくる。“まだ何も成し遂げていない自分”を否応なしに焦らせてしまうからだ。(P171)


本書を読んで、色々となるほどと思えた。確かに、倍速で観るなよ、ネタバレサイトを観るなよという気持ちは依然としてあるものの、それは実に複合的な理由によって生み出された現象であるということがよく分かった。

決してそれは若者が映画に対する興味を失ったなどというネガティブな現実ではなく、今までに無かったスタイルという方が自然だ。真冬にアイスクリームを食べる人が多くいるように、「楽しみ方」は多く存在していいものなのだ。

巷で言われるZ世代であるが、個人的にはその確固たる存在には懐疑的である。ゆとり教育がそこまで人格や気質を変えてしまうものなのかという疑問を常に持ち続けているからだ。メディアが誇張して作り上げた架空の世代でないとも言い切れない。

しかし一方、Z世代の一員である私は本に書いてあることがまったく理解できないでもない。確かに言われてみればコスパやタイパは気にかけておきたいし、私の友人も周りの人もたいていの場合は近道をしたがる。

例えば、どこかで食事をしようとなると多くの場合、食べログやInstagramなどのインターネットサイトやSNSでの検索によって決める場合が多い。そこには星の数や口コミが記載されていて、それらを基に店選びが進められる。

星の数が多いほど、良い評価が多く投稿されているほど、その料理店がハズれである可能性は低くなる。そういう店選びに慣れると「失敗すること」が極端に少なくなる。むしろ失敗する方が難しいくらいだ。

インターネットでの検索を多用する店選びは事前情報に溢れ、かつその人にとっての失敗を回避する十分なシステムとなりうる。そうした意思決定をすることが至極当たり前であるデジタルネイティブのZ世代は映画やドラマに対しても同じ振る舞いをしているだけなのかもしれない。

あらかじめ料理店の情報をある程度持った状態で食事に行くような形式が当たり前であるならば、同じように、「面白くない映画をつかまされたくない」「2時間を無駄にしたくない」「ストーリーを知ってから視聴や観るかどうか決めたい」という思いから、できるだけ自分にとって失敗の無いようにあらゆる手段を駆使して映画に対する事前情報を集めたり、費やす時間を最小限にする。それが今の時代の映画鑑賞やドラマ視聴なのかもしれない。


個人的には、倍速視聴や早送り、ネタバレサイトの閲覧などが生まれるのはやはりサービスやコンテンツ、娯楽の多さだろうなと思う。何というか、自分自身、最近は一つの映画やドラマにかける想いや意気込みがそれほどでもないと感じる。なぜなら、他にも面白いモノはたくさんあるわけで、その映画やドラマに固執しなくとも自分を楽しませてくれるモノはごまんとある。

選択肢はたくさんあるから、次に観るシーンや映画の方が今見ている映像よりももっと面白いかもしれない。しかも、サービスは月額契約であるので何本観ても観なくても料金は変わらない。そういう境遇におかれた場合、倍速視聴や早送りという手段がとられてしまうことはもはや致し方ないのかもしれない。

バイキング料理や食べ放題を食べる時を考えると分かりやすいが、様々な食事が並んでいてどれでも食べていいという状況になると、「どれを食べていいかわからない」「種類が多くあるのだから失敗したくない」という想いが先行してしまい、一つ一つの食べ物を味わうことができなくなる。まさに今、映画やドラマを取り巻く環境はバイキング料理状態なのではないだろうか。

数多くの中からコンテンツを選ぶということは却って難しく、映画や動画が溢れる環境は鑑賞者や視聴者を迷走させてしまうようになった。誰が悪いというわけではないが、結局は便利さが本末転倒な結果を生み出したということだろう。

LINEの既読機能も元々は東日本大震災を受け、メッセージを返さなくても安否確認ができるという便利さを提供したものだと言われているが、現状では「既読無視」や「既読スルー」「即レス」などネガティブな文脈で語られることやプレッシャーを感じる存在としてそびえ立つことも多い。これもまさに本末転倒だ。

新しいモノが生まれる、世の中が便利になる、その度に思いがけない結果は多く生まれてくるだろう。本末転倒な結果や新書のネタになるような現象も起きると思う。

だが、それには必ず複合的かつ社会的な理由があるはずで、それを究明することによってその時代を捉えることもできる。倍速視聴や早送り、ネタバレの閲覧自体は何てことのない小さな行為だ。だが、それらを生み出す背景をよく見てみると単に鑑賞者や視聴者のエゴや怠慢ではないことに気付く。いや、むしろ苦しみながら今日も映画やドラマを観ているのかもしれない。


       面白い映画が観たい


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