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共産党員の修養を論ず 第四章 理論学習と思想意識の修養は統一のものである 【日本語訳】

この日本語訳は筆者による拙訳であり、正確性を保証するものではありません。ご理解の上でご覧になってください。

第四章 理論学習と思想意識の修養は統一のものである

  

  我々共産党員は、理論学習と思想意識の修養を互いに切り離して考えることができない。我々共産党員は、革命的実践の中で自己を改造し、自己のプロレタリア階級意識を鍛錬するだけでなく、またマルクス・レーニン主義理論の学習の過程で自己を改造し、自己のプロレタリア階級意識を鍛錬しなければならない。

  いささかの共産党員の中で、ある一種の比較的流行している考え方がある。すなわち、純潔なプロレタリア階級の共産主義的立場は、共産党員がマルクス・レーニン主義理論及び方法を学習し掌握することとは、無関係であるとする考え方である。彼らは一個人のプロレタリア階級立場はそこまで強くなく、思想意識があまり純潔でなかったとしても(すなわち非プロレタリア階級的思想意識が残留していても)、マルクス・レーニン主義の理論及び方法を徹底的に了解し、真正に掌握することができると考えている。彼らはまた、ただ書本により学習し、ただ書本により知識を得れば、マルクス・レーニン主義の理論及び方法を掌握できると考えている。この種の考え方は間違っている。

  マルクス・レーニン主義は、プロレタリア階級の革命的科学であり、労働者階級による社会主義と共産主義建設の科学である。プロレタリア階級の立場に徹底的に立ち、もってプロレタリア階級の理想を理想とする人物だけが、これを徹底的に了解し、掌握することができる。堅く純潔なプロレタリア階級の立場と理想の無い者は、マルクス・レーニン主義というこの科学を徹底的に了解し、真正に掌握することができない。もし彼が真正な革命者でないのなら、プロレタリア階級の徹底的な革命者ではないのなら、全世界で社会主義と共産主義を実現し、全人類を解放することを要さず、彼が革命を想わず、あるいは革命をやり遂げようと想わず、道半ばでやめようと想うなら、マルクス・レーニン主義のこの科学は、彼にとって無用であるか、あるいはほとんど用がない。我々が常々みかける、ある労働者出身の最もよき党員は、マルクス・レーニン主義理論に対する準備は比較的少なく、もしマルクス・レーニン主義の書籍と公式の暗誦を試験するならば、彼が必ずしも別の人物よりも多く覚えているとは限らないであろう。ただし、彼がマルクス・レーニン主義理論を学習するとき、彼が理解できる言葉で解説してやるだけで、彼の興味、彼の了解の程度は、ある知識分子出身の党員よりもはるかに高い。たとえば、『資本論』の中の剰余価値に関わる一段については、ある党員からすれば了解するのは容易なことではない。しかし、この労働者出身の党員からすると異なる。なぜなら労働者は生産の中にあって、資本家との闘争の中にあって、資本家が如何にして賃金、労働時間を計算し、如何にして労働者の取得する利潤を搾取し、如何にして労働者を圧迫しているか等を深く了解しているからである。よって、彼はとあるその他の階級出身の党員よりも更に深刻にマルクスの剰余価値を了解できることが常々あった。 我々は、許多の労働者階級出身の党員は比較的容易にマルクス・レーニン主義を受け入れられると述べているが、当然、彼らの出身からして天生のマルクス・レーニン主義者であるとは言わない。むしろ、確固とした、かつ純潔なプロレタリア階級の立場を一切具有する同志、個人の偏見や不浄なものが一切無く、ただマルクス・レーニン主義の理論を虚心となって努力し学習し、実事求是の方法を切実に掌握する同志は、彼らが各種の実際問題を観察し処理するとき、その他の同志よりも必ず機敏で正確であろう。彼らは闘争のなかにあって、更によく真理を洞察できるようになり、更に勇敢に、しかして何らの顧慮もなく、真理を擁護できるようになる。

  我々はまた常々、許多の非プロレタリア階級出身の党員が、マルクス・レーニン主義の理論学習と思想意識の修養の間の関係に対して、異なる態度をとり、異なる結果を得るのを見てきた。一般的に、この非プロレタリア階級出身の党員は、彼らが革命に参加するときに、プロレタリア階級の立場が強固で明確ではなく、思想意識もまた正確で純潔ではなく、多かれ少なかれ、各種各色の、旧社会の、非プロレタリア階級の思想意識の残余がまだある。顕然として、これはマルクス・レーニン主義原則と直接衝突するものである。しかし、異なる人は異なる態度を採り、よってこの種の衝突の中にあってもまた異なる結果をもたらす。有る人物がマルクス・レーニン主義の理論を学習するとき、この種の理論学習と彼の思想意識の修養を正確に結合し、マルクス・レーニン主義原則を用いて自己の思想意識上の旧いものを抑制、克服する、こうして、彼は自己のプロレタリア階級の立場を正し、自己の思想意識を純潔にし、マルクス・レーニン主義の原則の運用によって実際の問題を処理するに足るようになる。このような党員は多い。

  これ以外に相反する道をゆく人物がある、彼らの身の上には旧いものが多く蓄積しており、許多の固まった習いや偏見、個人的な物欲思念があり、かつ自己を改造する決意がついていない。彼がマルクス・レーニン主義理論を学習するとき、マルクス・レーニン主義原則を用いて彼の思想意識中のこの旧いものを批判せず、逆に、マルクス・レーニン主義の理論を用いて彼個人の目的を達成する武器とすることを企図し、甚だしきに至っては彼の元来からの偏見からマルクス・レーニン主義の原則を歪曲し、よって彼はマルクス・レーニン主義の原則を正確に理解するに足らず、マルクス・レーニン主義の精神と実質を掌握するに足らない。彼が革命闘争の中で各種の実際の問題を処理するとき、彼が旧社会の習慣と偏見、個人主義の打算を持っていることから、損得を気にし、手が回らなくなり、彷徨い動揺し、事物を障碍なく洞察できなくなり、真理を勇敢に擁護できなくなり、無自覚ないしは自覚的に真理を隠蔽し、歪曲する。この種の人物は根本的にマルクス・レーニン主義の原則を正確に運用し、自己の生活を指導できず、マルクス・レーニン主義の原則を迅速に、正確に、実事求是に用いて、各種の実際問題を処理することもまたできず、党組織或いは別の同志がマルクス・レーニン主義の原則を運用し、実際の問題を正確に解決した後に、彼は拒絶する態度をとることすらある。この種の情形は、まったく珍しくもなく、奇怪なことでもない、むしろ常々目にすることである。

  したがって、我々は、共産党員で、もし明確で確定的なプロレタリア階級の立場を持たない者は、正確かつ純潔なプロレタリア階級思想意識を持たず、マルクス・レーニン主義の理論と方法を徹底的に了解し真正に掌握すべきであり、かつこれを自己の革命闘争の武器とすることも、不可能である。これは詰まるところ、共産党で、比較的好きマルクス・レーニン主義の理論修養を要する者は、かつ崇高なプロレタリア階級の立場を持つことが必須である、ということ言える。

  同時に、共産党員で、もしマルクス・レーニン主義の理論と方法の学習を努力しないなら、もし自己の思想と行動をマルクス・レーニン主義を用いて指導しないなら、彼が一切の革命闘争の中でプロレタリア階級の立場を堅持し、プロレタリア階級の思想意識を体現しようとしても、これもまた不可能である、と言うべきである。

  いささかの共産党員の中にあって、またこのような考え方がある、すなわち自己が革命を堅く決心し、勇敢に闘争しさえすれば全くそれでよく、マルクス・レーニン主義の理論を学習しようとしまいと、マルクス・レーニン主義の修養を進めようと進めまいと、まったく何らの関係もない、とする考えである。

  ある同志は、家庭の出身が好く、本人の成分が好いなら、マルクス・レーニン主義を学習しなくても、プロレタリア階級の先進的な戦士になるに足るとさえ考えている。ある同志は、理論の重要性を一般に承認しながらも、しかし彼らの工作と闘争の中にあって、マルクス・レーニン主義を真面目に学習したことがない。この種のあらゆる考え方は、明らかにすべて誤りである。

  マルクス・レーニン主義の理論は、我々の一切の現象を観察し、一切の問題を処理する武器であり、特には一切の社会現象を観察し、一切の社会問題を処理する武器である。もし我々がマルクス・レーニン主義の理論の武器を掌握できないのなら、我々はすなわち革命闘争の中で遭遇する各種の問題を正確に認識し処理することができず、方向を迷い失い、プロレタリア階級の革命の立場から背離する危険があり、甚だしきに至っては自覚的にあるいは無自覚に各種の日和見主義者となり、ブルジョワ階級の俘虜や腰ぎんちゃくとなる可能性がある。

   革命を断固やり、勇敢に闘争することは、すべての共産党員が必ず身につけるべき貴重な資質である。このような資質を持った共産党員は、さらに異なる歴史的時期に、異なる闘争の条件下にあって、如何に革命し、如何に闘争を行うかの問題を正確に解決してこそ、革命的勝利を争い取り、共産主義の最高の理想を実現することができる。革命闘争を進めるとき、誰に依り、誰と団結し、誰を打倒するかという問題、誰が直接的な同盟軍で、誰が間接的な同盟軍で、誰が主要な敵で、誰が次なる敵であるかという問題、一切の連合可能な同盟軍と連合し、一定の条件下では次なる敵とさえ連合し、主要な敵を打倒するという問題、状況に変化が発生したとき、都度戦略と策略を改変する問題、等々は、すべてマルクス・レーニン主義を運用してこそ正確に解決できる重要な問題である。もしマルクス・レーニン主義のこの武器を掌握せず、もしマルクス・レーニン主義理論の高度な修養がなく、革命闘争の一切の重要問題上で、プロレタリア階級の正確な立場にしっかりと立とうとし、複雑な状況と激烈な変化の環境下で、迂回曲折した道路をゆく必要があるとき、プロレタリア階級革命事業に対して最も有利な方針政策を確定させ、プロレタリア階級革命闘争の総体的利益と長期的利益を代表するに足ろうとすることは、根本的になし得ないことである。

  我々の党が抗日民族統一戦線を実行した経験をから述べるならば、「七七」事変(蘆溝橋事件)の以前、些かの同志は当時の中国民族と日本帝国主義の矛盾が、既に主要な矛盾に上昇し、国内各階級の間の、各政治集団の間の矛盾が、既に次点の矛盾に下がったことを了解しなかったことによって、かつて、党の全民族抗日統一戦線の建立の政策に反対し、我々の党が一切の愛国的階級、階層党派及び社会集団と連合し一致して抗日する政策に反対し、特に、我々の党が国民党と連合し一致して抗日するという政策に反対した。これらの同志は党の正確な政策に反対するとき、自らがプロレタリア階級の断固とした立場にあると自惚れていたが、しかし、実際は、彼らはプロレタリア階級の立場より背離し、完全に一種の閉鎖主義、セクト主義の立場に陥ってしまっていた。もし我々が彼らのこの種の誤った主張によってことをなすなら、プロレタリア階級とその政党は全国の一切の抗日愛国的階級、階層、党派及び社会集団と団結、領導し日本帝国主義に打ち勝つことができないだけでなく、かえって抗日民族統一戦線の力量を削弱し、プロレタリア階級とその政党を孤立させ、抗日救国の闘争に不利となっていただろう。「七七」事変以後、我々の党と国民党が抗日民族統一戦線を建立して以後、また些かの同志は別の極端にたどり着き、彼らは国民党が抗日に参加したことで、共産党となんの区別もないと思い込んだ。彼らは大地主、大ブルジョワ階級と妥協し、国民党の投降主義的政策に妥協し、かつ党の統一戦線中の独立自主の政策に反対し、彼らは国民党の力量を過大評価し、国民党を過分に信任し、抗日救国の希望を完全に国民党に寄託し、その上共産党と人民の力量を信用せず、共産党に希望を寄託することはせず、それゆえ自己の手放しに発展させ、人民の抗日革命勢力を手放しに発展させる気概はなく、国民党の反共限共政策に対して断固として闘争する気概はない。このような行為を主張した同志はプロレタリア階級の真正なる代表であると自己を標榜するが、しかし彼らのこの種の政策の実質は、プロレタリア階級をブルジョワ階級の附庸や追随者とし、プロレタリア階級の抗日民族統一戦線の領導権を喪失させるものである。上述したこの種の左の誤りと右の誤りは、すべて政治形成が重大な変化をしているとき、断固としてプロレタリア階級の立場の上に立って革命事業の発展の正確な道を分別できないことの顕著な例である。

  プロレタリア階級は、自己で自己解放をするだけでなく、一切の労働人民の解放を、自己民族の解放を争い取り、人類の解放を争い取ることによってこそ、自己の徹底解放を実現することができる。プロレタリア階級は、全社会の搾取、圧迫と階級闘争から永遠に解放してこそ、自己の真正で最後的な解放を獲得することができる。したがって、プロレタリア階級の堅固な立場は、閉鎖主義、セクト主義と厳格に区別されることが必須である。プロレタリア階級とその政党が闘争を進めるとき、広大な労働人民と密接な連繋をうちたて、各革命階級と革命党派と革命連盟をうちたて、広大な労働群衆と一切の同盟者を領導し、自己と共に前進することが必須であり、広大な労働人民の利益を代表し、一切の革命階級の利益を代表し、自己の民族の利益を代表し、またすなわち本国人口のうち、九十数パーセント以上を占める人民の利益を代表することが必須である。プロレタリア階級の堅固な立場は、すなわち如何なるときであっても、如何なる情況下にあっても、つねに最大多数の人民の最大の利益を代表しなければならず、我々は更にこれこそがプロレタリア階級の最大の階級利益であると了解しなければならない。プロレタリア階級の堅固な立場は、また妥協主義、投降主義と厳格に区別されることが必須である。プロレタリア階級とその政党が革命闘争を進めるとき、地主階級、ブルジョワ階級と袂を分かつことはもちろんのこと、小ブルジョワ階級的革命民主派ともはっきりと境界を分け、労働群衆とさえも区別を持たなければならない。革命闘争の中にあって、終始自己の独立性を堅持し、ブルジョワ階級とその他非プロレタリア階級の各種影響を受けず、革命発展のすべての階級を、局部利益と全体利益で結合させ、目下の利益と長期の利益を結合させなければならず、マルクスとエンゲルスの云う所の「一方面で、各国プロレタリアートの闘争中、共産党人は全体のプロレタリア階級の不可分の民族的共同利益を強調し堅持し、一方で、プロレタリア階級とブルジョワ階級の闘争が経験したそれぞれの発展段階において、共産党人は終始、全体の運動の利益を代表する。」をなさねばならない。

  レーニンが十九世紀末にプロレタリア階級政党の組織のために闘争したとき、「当の労働者が、現社会における他の階級の思想、精神と政治生活における一切の表現を、さまざまな具体的で実際に現実の(目下の)政治事実と事件に照らして観察することをまだ学んでいないとき、当の労働者が、実践の中で唯物主義の観点を用いて一切の階級、階層と集団の活動と生活の中の一切の方面の表現を、まだ学んでいないときには、労働者群衆の意識は、真正な階級意識となることができない。」また、「理想的な社会民主党人は、労働組合連合会の書記ではなく、人民の代理人があたるべきである、彼らは、すべての一切の専横と圧迫の現象、これがどんな地方で発生しようとも、どの階層があるいはどの階級が関わっていようとも、反応に長じているべきである。彼らはすべてほこの些かの現象を総合して警察の逃亡と資本主義の搾取の図画となすことに長じているべきである。彼らは一切の些細な小事を利用し、すべての人に向けてプロレタリア解放闘争の世界歴史の意義を説明することに長じているべきである。」と述べた。我々共産党人は、レーニンがこの両段で提出した要求を実現しなければならず、当然、革命実践に不断に参加し、感性知識を増加させ、実際の経験を累積させることも必須である。ただし、感性知識や実際の経験だけでは、また不十分であることを指摘しなければならない。まさに毛沢東同志が述べたように、「全体の事物の完全に反映し、事物の本質を反映し、事物の内部の規律性を反映するには、作用の思考が必須であり、豊富な感覚材料を、粗を除き精を取り、偽を除き真を保存し、この現象からあの現象まで、 表面の現象から内部の現象まで総合的に制作工夫を改造し、概念と理論の系統を造成するためには、感性認識から理性認識への躍進が必須である。」のである。したがって、革命実践に参加すると同時に、マルクス・レーニン主義的理論と方法に十分身を入れなければならない。

  マルクス・レーニン主義理論は、国際労働者運動の経験の総括であり、革命実践の中で、また革命実践への服務の中で形成された理論である。我々が密接に革命実践と連繋し、これを学習し、これを運用し、これを掌握するならば、我々は周囲の事変の内部連繋を了解し、各階級が目下如何に行進しどこへ向かって行進するかを了解し、この階級が近い将来如何に行進しどこへ向かって行進しようとしているのかを了解することができるようになり、我々は行動方針を確定する能力を持てるようになり、革命運動の前途に対して信心を持てるようになるのである。

  正にマルクス・レーニン主義理論がこのような偉大な作用を具有しているからこそ、レーニンは「先進的な理論をもって指南とする党こそが、先進的な戦士の作用を実現することができる。」と述べた。共産党員は、マルクス・レーニン主義理論と方法の学習と、思想意識の修養と鍛錬の、この両者を密接に連繋させなければならず、両者を決して分割するべきではない。

  毛沢東同志は、マルクス・レーニン主義理論修養の極めて大きな重要性を常々強調する。彼は、「マルクス主義からみて、理論は重要であり、その重要性はレーニンが述べた、"革命的理論がなければ、革命的運動はない。"という一言で充分に表現でき、しかし、マルクス主義が理論を重視するのは、まさに、またただ単に、それが行動を指導するに足るからである。」と述べた。毛沢東同志は、一切の相当な研究能力を持つ党員は、すべてマルクス・レーニン主義の理論を研究し、目下の運動の実際の情況を研究し、本国と世界の歴史を研究し、マルクス・レーニン主義の理論を用いて行動を指導することを学びとり、そして彼らを経て、それら文化水準と理論水準の比較的低い同志を教育していかなければならない、と不断に提起した。毛沢東同志のこの指示は、如何なる時にあっても、我々全党の注意を引き起こすべきである。

(「第五章 共産主義事業は人類歴史上空前の偉大かつ困難な事業である」へつづく)

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