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兄弟のきずな

弟とケンカをした。「叱った」というより、「ケンカした」のほうがしっくりくるやりとりだった。

平日、寝る前に、弟には本を読み聞かせている。今読んでいるのは、不朽の名作『大どろぼうホッツェンプロッツ』。おっと、ホッツェンプロッツって、名前のタイピング大変だな。何度打っても「ホッツ円プロッつ」になるのどうにかして。

1975年発売。25年近く愛されている本である。私もとっくに知ってそうなものだが、どうしてか知らずに大人になり、自分が読みたいのと、本があまり好きでなかった兄も楽しめるかと思い、購入したものだった。だが、残念ながら兄には不発に終わり、本好きの弟に巡ってきた代物である。

昨日、大魔法つかいペトロジリウス・ツワッケルマンが出てきて、これからおもしろくなるところだ。って、ちょっと、何度打っても「ツワっケルマン」になるの、もうどうにかして。

就寝15分前、「本読むよー」と声をかけると、

「ぼくさぁ、もう飽きたんだよね」と言う弟。

「話が長いからさぁ、のどがカラカラになっちゃうんだよ。トイレにも行きたくなるしさぁ、とにかく飽きるんだよね。本読まない日があってもいいんじゃないの?」

「土日は本、お休みだよ」

「そうだけど、土日じゃなくてもお休みしていいんじゃない?ってこと」

「ホッツエンプロッツ、おもしろくない?」

「おもしろいんだけどさ、飽きたんだよ」

カチンときた。「飽きた」ってなんだよ。読んでもらっているというのに。

ホッツエンプロッツが嫌いじゃないことは知っている。先が知りたくて、こっそり読んでいたのも知っているし、学校の図書室で続編を見つけて、少し読んだとも言っていた。ひとりで読むにはまだ難しいと思うから、読み聞かせているというのに。

とりあえず、読む前に水を飲ませ、トイレに行かせた。そして、弟が本に集中できるよう、一生懸命役柄になりきって読む。普段からいくつも声色を変えて読んでいるし、退屈させてはいないと思うけどな。

2章ずつ読んでいるが、今日は1章だけにしようと提案して読み始めた。そして話が終わり、本を閉じたところで、弟が放った一言にキレた。

「あーー飽きたーー」

「あっそ、そんなに飽きたなら、明日からお母さんは読まないよ」


あーあ。

こりゃ、売り言葉に買い言葉。

こういうやりとりは、実りがないのを知っている。「飽きた」という言葉の持つ嫌味な感じを教えれば、それでよいはずなのだ。

「一生懸命読んでいる人に、その言葉は傷つくからやめてね」と、言えばよかったのに、「飽きたなんて言う子には、お母さんは本を読みません!」という罰則的なニュアンスになってしまった。

私とのケンカに慣れていない弟は、そのまま何も言わずに寝室へ駆け上がり、大泣きし始めた。

兄とは幼少期から散々ケンカしてきているので、1年生になるころには、こんなやりとりでは泣かない耐性がついていた。自分の言い方は悪かったが、これくらいで泣くなよ、とも思ってしまう。

思春期に入る前の兄は、怒られすぎて何度も謝っていて、次第に謝れば何とでもなると思うようになって、まぁ謝罪のうまい子どもであった。

それに慣れてしまった私は、「一言謝ればそれで終わるのに」と、弟に対しても思っていることに気づいた。でも、弟はそういうタイプではないのだ。面目丸潰れになって、悔しくて、いたたまれなくて、その場から立ち去った。謝れば済む、なんて気はこれっぽっちもない。

イヤホンをしてYouTubeを見ていた兄は、隣にいたのにまったく状況を把握していなかった。気づけば弟が寝室で大声を上げて泣いていて、「どうしたの?」と聞くと、「お兄ちゃんがいないと眠れない…」と、泣きつかれたと言う。

私が事情を話すと、兄はポツリと言葉を落とした。

「そっか、僕、人の気持ちを察するのが苦手だから、こうちゃんが今、何を思っているのか、聞いてもわからないかもしれないよ。こういうとき、どうすればうまくなぐさめてあげられるんだろう」

ここで、そんな鋭角から話を持って来られるとは思わなかった。君、そんな素敵なことを考えていたのか。ミスター謝罪くんは、もう、思い出の彼方へと行ってしまったようだ。

「こうちゃんに、お母さんに謝りなよ、って言ってよ」と兄に頼もうと思っていたが、私は言葉を変えた。

「気持ちを察するのは、大人でも難しいことだよ。本当の気持ちは、本人の口から聞かなければわからないよ。どれだけ話してくれるかによって、わかってあげられる範囲が変わってくるだろうね。一緒に寝て欲しいって言ってるから、もう一度、様子見てきてくれる?」

「わかった。もし僕が無理だったら、お母さん呼びに行くね」

食器を洗っているうちに、20分くらい経った。気づけは弟の泣き声は聞こえなくなり、兄から呼ばれもしなかった。そろりと様子を見に行くと、スースー眠る弟の横で、弟を眺めながら静かに息を潜めている兄の姿があった。

兄の表情は、まるで赤ちゃんを見守る母親のように穏やかで、優しかった。

マイペースな兄と、生意気な弟。兄は弟に出し抜かれると、「こうちゃんなんて、いなければよかった!」と泣き出すのがオチで、弟は兄をナメてかかって返り討ちに遭うと、赤ちゃんのような大声で泣き喚く。そんなやれやれなふたりの安息を見て、なんだか神々しい気持ちになった。

これからも、そうして二人で寄り添いながら歩んでいってくれたら、というのが親の想い。兄がつらいときは、立場を逆転してあげてよね。こればっかりは、言葉で伝えただけではどうしようもなくて、さりげない日々の積み重ねの先に未来がある。

初めて、日をまたぐケンカになってしまった私と弟。明日の朝、弟はどんな顔で起きてくるだろう。アイツ、結構、根に持つタイプだからコワイ。

でも私は、優しい笑顔で「おはよう」と言える自信がある。二人に感謝だ。

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