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「自由」「不自由」のとらえ方~自由の対義語とは~

「今」の積み重ねが「未来」、とはいえ・・・

継続や習慣化を考えるとき、あまり先を考えすぎずに目の前の課題に取り組むこと。つまり「今やること」の繰り返しが大切だと、私自身noteでの継続・習慣化についての経験で実感していますし、継続・習慣化のマガジンに掲載の記事にも書いてきました。

とはいえ、少し先の未来のことを考えて、または未来のことを見据えて実践する・行うこともとても大事だと思っています。
リンダ・グラッドン氏による著書「LIFE SHIFT」の中では、2007年に生まれた子供の半分は107歳以上生きるという試算が出ているとのこと。現在50歳未満の方々は、人生100年時代を生きるつもりでいたほうがいいとのこと。この数字からも想像できる通り、実際に長く生きるための人生設計が物理的に必要になってくる時代がすぐそこまで、というよりもすでに来ているということです。

ほぼ仕事に費やした期間、定年から生きる

公務員の定年が60~65歳である現代においては、仮に100歳まで生きるとして、ほぼ仕事に費やした時間だけ生きるということになる。例えば20歳から60歳まで40年働いたとして、そこから100歳までは同じく40年。仕事はほぼ強制的に、かつ精神的な強制力のもとで、時間を費やすことができたがそののちの40年は「自由時間」だ。

多くの場合、自由が欲しいと考えるときというのは不自由を感じているときだと思っています。仕事や学校で忙しいと感じている時には、休みが欲しいと考えるように。
つまり欲しているものがあるとすれば、現在はその逆の状況であるといえると考えています。
そのように考えると、定年後や自分の役割を終え、仕事をしているときに欲していた自由が死ぬまで与えられたとき、その「自由」をどのように感じると想定されるのか。

「自由」と「不自由」は対の関係だが、その対義語は・・・なぜ「自由」を感じるのか。

これは私見ですが、「自由」と「不自由」は対の関係であり対義語同士ではないと考えています。先述の40年の自由時間で、もしかしたらこのように感じる人もいるであろうと想定されるのは「退屈」です。人によっては「自由」は「退屈」に成り得ると感じています。

「自由」「不自由」とは同じ現象のとらえ方であり、思い描いていたそれぞれが入れ替わることも考えられるということです。
思い描いていた「自由」がもしかしたら「不自由」かもしれない。

そこで大切だと思うことは、そのような判断から解き放たれた状態
つまり「反応しないこと」「判断しないこと」

今の状態をそのように感じているのは、自分自身が、自分自身の脳や思考がそのように解釈することによって、そのような世界になっている(解釈・判断している)と思っています。

であれば、そもそもそのように解釈することがなければ、そのように感じることもない。「自由」も「不自由」も、それを欲することも。

今回は『「自由」「不自由」のとらえ方~自由の対義語とは~』について書かせていただきました。

今回もご覧くださりありがとうございました(^^♪

それでは、また、あした(^^)/~~~

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