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47 「音」がすべて知っている。

私の人生。
数多の音が降り注いでいる。
私を包み、癒やしてくれる「音」。
この地球で様々な体験をする。
いろんな音を聴き、あらゆる感情を味わう。

*

過去、私が担当したコンサートのアンコール曲。
初めて聴いた瞬間、ひどく胸が震えた。
事前に知らされていたその曲目だけど、もう一度
手元の資料で確認した。

『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

当時はその胸の震えが何なのか明確には分からなかった。昨日、私の前に再び現れたこのモーツァルトの教会音楽。
過去の私の姿が脳裏に過(よぎ)った。
改めて、この曲の言葉を追いかけた。
今の私が、10年前の私へ与えた導きだった。

「なぜだか分からないけど気になる」
確実に高次の自分の導き。
当時、“高次の自分”という言葉は知らないけど。
知ろうが知るまいが、どっちにせよ誰もが自分で撒いた“導きの種”に水をやりながら日々を生きている。

ー*
良かったら聴きながら読んでください😌↓
この曲はエヴァンゲリオン内でも流れるそうですね。確かに世界観を考慮すると起用の理由が分かるかも😊

私の特性。
それは、「好きな音は肌身離さず抱きしめる」。
音楽をはじめとして、人の声も心地良い空間も私の好みがある。
私の中にインストールし何度もインプットしては
長期記憶の壺へと仕舞い熟成させる。私はそーやって何度も何度も繰り返し聴いて記憶を定着させる。
そしたら忘れない。
それが私のやり方。

外側についている私の目は錯覚を起こす。
私は、ただ見るだけではほとんど忘れてしまう。
第三の目で視たものだって、記憶に留めるのは思いのほか難しい。
やっぱり私には“音”。 耳👂だ✨

水の音。きもちいい。

生きた音楽が近くにある生活は、とてつもないエネルギー場だった。初めはそれに圧倒される日もあったけど、次第に脳は蕩(とろ)けてゆき、トリコになった。私は譜面が読めないし、絶対音感をお持ちの方のように音がドレミで聴こえるということはないけれど、主に「快・不快」を基準に反応している。
楽器の場合、調律、音の正確さ、技術にもよる。演奏者の性格や感情は音に乗るから、それを独自の感覚で分析するのが好きだった。

一定のテンポで繰り返し紡ぎ出される打楽器の音は変性意識状態を創り出し、私の頭はいつもトロトロ。オーボエは人の声と錯覚する。そしてまさに、人の声のエネルギーは圧倒的だ。合唱で300人が一斉に発声すると、感受性の強い観客が倒れたり、カラダの深いところに押し込めていた感情が表出する。

他にも、客席内の壁や吊り物に反響して振動する音が別方向から聴こえてくることがあったりもした。私には理屈はよく分からない。
でも、今になって思う。“音”や“振動”に関する不思議現象を体験できて良かった。
その後、「波動」や「エネルギー」を学び吸収するためには当時の体験が必要不可欠だったから。

しかしながら音というのは、その周波数自体に意味があるから、本来、耳にしたら瞬時に何もかも分かる。
救急車のサイレンや緊急地震速報のアラームの不協和音に不快感や焦燥感を感じるのはそーゆーこと。
心地良い音を浴びると精神や肉体に良い影響を与えるが、先に挙げた不協和音を浴びると逆の影響が表れる。
つまり、難しく考えることはなく「ただ、聴けば分かる」のだ。勿論、人間の耳に聞こえない音のほうが圧倒的に多いから厄介なのだけど。
だからこそ五感や第六感を磨き、見えないものや聴こえない音を捉えること。そして自分がどのような音を放っているのか、もしくはどのような音を聴くのかが大事。すべて決まる。


***


小学生時代、オトモダチに誘われ教会のミサに参加した。そこで「アーメン」と口にした瞬間、モヤモヤ違和感を感じて以来、教会から自分を遠ざけた。でも、小学生の私はおそらく「宗教」に違和感を感じたのであって「空間」や「信仰」や「言葉」を遠ざけたわけではなかった。
あの時は、その場の“音”や“エネルギー”を精査する能力はなかった。

2023年。
私は大きく成長した。意識体も世界も驚くほど拡がったことは自分がいちばんよく分かっている。
とても濃い一年間だった。ココロもカラダも生まれ変わった。自分のすべてが愛おしい。
やっとこさ『アユミ街道』をゆるゆる歩きはじめた記念すべき年だった。
毎日「いまこの瞬間だけ」を生きることが楽しい。
もっと生きたい🌼
私なりのゆるーいおせちの仕込みも終え、達成感😳

実は今、私のところに「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が現れたのには意味がある。
おそらく私は、聖書に導かれている。今までも間接的には触れていた。…聖書というよりもイエス・キリストである。少し前からそんな気はしていたけど、やっと認めた。高次のアユミがそんなふうに感じている。一方で、低次のアユミは「聖書とかよく分かんないよー。」とか言う😳。笑
でも、、、結局のところ人はイエス・キリストへ導かれるのだと思っている。
もーすぐ2023年が終わる。
2024年は“イエス”に会いにゆこうと思う。


Ayumi☽

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