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書くことがめんどうなコピーライターですこんにちは

突然だが、私はコピーライターの名刺をもって6年。
いまだに「書くことがめんどうくさい」。

いやいや、コピーライター名乗るなよ、
とおっしゃる気持ちはよくわかる……。わかります……。

まあ、とはいえ
めんどうくさい、と思うことは誰にでもあるのではないだろうか。
勉強も家事も恋愛も、そして仕事も。
だって、めんどうくさいんだもの。しょうがない。

しかし、全国のめんどうくさい人々に、
私は「それでいいのだ」と言いたい。
かの宮崎駿も「めんどうくさい」と言いながら、作画している。

好きなことでも、めんどうなことは往々にしてあるのだ。

「めんどうくさいと思ってしまうということは、悪なのではないか」
「自分は、これが好きなわけではないのではないか」

そう思うことがあるかもしれないが、
めんどうくさいことと嫌いなことはイコールではない。
と、私は思う。
思考を分割してみると、それがわかる。
こういう時は、コピーライター力をつかってみようそうしよう。

私の思考を分割してみると
① そもそも書く(PCに打ち込む)ことがめんどうくさい
② 考えることがめんどうくさい
③ 完成までのプロセスが見えなくてめんどうくさい

の、3つとなる。

①については、もはや肉体労働に他ならないため、もう頑張れって話である。音声入力もできる時代だ。なんとか頑張れ、私。
②は完全に疲れている。休もう、私。デスクから離れてコーヒーでも飲もう。トマトを食べるでもいいだろう。

やっかいなのは③である。
完成までのプロセスが見えないことは、本当にめんどうである。道のりも行く先も見えない状況で知らない場所に置き去りにされているのだから、この上無くめんどうだ。

しかし、だ。
③さえクリアしてしまえば、①②なんてもうどうでもいい些末なことなのである。決められた道を決められたように歩いていくだけだ。
つまり、私は③をどうにかすればめんどうくさくなくなる。
(まあ、③を考えることもめんどうなのだが……)

思考を細分化すれば、めんどうの原因も見えてくる。
向き合うべきポイントが小さくなれば、めんどうの大きさも小さくなる。

……ここまで書いてきてなんだが、とてつもなく怠惰だな自分!!!

ということで、めんどうくさいにもいろいろあって
「めんどうくさい」を分割すれば、もうすこしだけライトに物事に向き合うことができるのではないか、ということだ。

そして何より、めんどうくさがっている人間でもそれを仕事にして6年も続けることができるのだ、という話である。

めんどうくさいの本質は、書くことではなく、
書くことの周辺にあるものだから。

かくいう今も、アニメを12話見てしまった。
……12話見て、この文量。複雑な気持ち。

やれやれ、充実しためんどうくさいだな。

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