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わたしの人生ゲーム、いま、どのへん?

わたしは子どものころ、スーパーファミコンの『大爆笑!!人生劇場 ずっこけサラリーマン編』という人生ゲームが好きだった。これは、サラリーマンとしてさまざまな人生体験やイベントを経て、最終的に一番お金持ちになった人が優勝する、というボードゲームソフトである。

そもそも、この人生ゲームは”爆笑!!人生劇場”というゲームのシリーズもので、『サラリーマン編』は8作品目なのだそう。ほかにも、幼稚園時代から人生を追うもの、学生時代や江戸が舞台のものなど、いろいろなスタイルの人生ゲームがあったようなのだが、当時ウチにあったのは、この『サラリーマン編』だった。

同ゲームの中で、自分は一人のサラリーマンとなり、ほかのプレイヤーと出世を競ったり、結婚相手を見つけたりと、「仕事とプライベート」を両立させながら人生を送っていく。当時、小学生だったわたしは”仕事”についてはよく分からなかったものの、なるべく頑張ってお金を稼ぎ、素敵だと思うキャラクターとデートを重ね、幸せなエンディングを求めて奔走していた。

ベースはすごろくゲームなので、実力がどうのというより、ほとんど運ゲーに近い。そしてある程度、選択肢のパターンを覚えれば、良い具合に人生が進んでいくので、覚えゲーの要素もあった。何度かこの人生ゲームをプレイしていくうちに、この選択をすれば相手が喜んでくれる、このブラウスをプレゼントすれば出世できる、など、自然と「正解」を覚えられるようになる。そうなってしまうと、ゲームの面白さが半減してしまうように思うのだが、それでもわたしはこのゲームの中での人生をいつも楽しんでいた。


わたしはお金よりも、とにかく気に入った男と結婚し、幸せな人生を送ることを重視した。あるときは会社の先輩を、あるときは社長の息子をパートナーに選び、ハッピーエンドを迎えられるように奮闘した。

そんな『大爆笑!!人生劇場 ずっこけサラリーマン編』の醍醐味は、最後にプレイヤーの人生をランク付けするところ。(もしかしたらこの演出は、他シリーズにも共通しているのかも)プレイヤーの仕事ぶりや、プライベートでの行動などを分析し、それをポイント化して各プレイヤーに付与。誰が人生の勝ち組だったのかを、ランキングにしてくれるのである。しかし本当に面白いのはそのあと。プレイヤーの人生にランク付けはしたものの、それが本当に幸せとは限らない。…ということで、”最終的にプレイヤーたちが送った人生”をエンディングで見せてくれるのだ。

たとえば、あるプレイヤーはお金をたくさん持っていたが、独身のままだったので、引退後は大きな家を買って一人暮らしを送る、という寂しいエンディングに。また、あるプレイヤーはあまりお金はないが、愛するパートナーと子どもがいたため、老後は開業医になった子どもの支えを受けながら、豊かな老後暮らしを送る…というエンディングに。子どもはいないが、おじいちゃん・おばあちゃんになってもパートナーと仲睦まじく過ごした、というエンディングもある。このように、「優勝したのに、人生は優勝していない…」とモヤモヤすることもあるし、「負けたけど、幸せな人生を送れた!」と得した気分になることもあるのだ。最後になにやら考えさせてくれる、なんとも味わい深い人生ゲームである。


どうしてこんな話をしているのかというと、最近わたしの姉に赤ちゃんが産まれ、あぁ、みんな生きている!人間を営んでいる!…と、少し感動したからである。わたしに姪っ子ができ、わたしは叔母になった。これも生きているからこその、人間を営むことの延長線上だ。(個人的に、生きていくことは、人間の営み、ではなく「人間を」営む…という感じがする)

そうして、わたしはいま人生の”どのあたり”まで来たのだろうか。それはわたしだけではない。わたしの姉やその旦那さん、わたしの母、みんなそれぞれ、いま人生の”どのあたり”なんだろう。人生ゲームでいうと、いま何割くらいで、この先どんなイベントが待っていて、”新しい世代”に身を任せはじめるのは、一体あと何年後のことなんだろう。

わたしたちは最後に人生ランキングが発表されることはないけれど、誰かと比べることのない、素敵なエンディングを迎えられるような選択肢を、みんなが選べていたらいいな、と思う。

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