見出し画像

わたしのことを ”見つけて” 笑うな!

ここ数年で気づいたのだが、わたしは人の名前や顔を記憶するのが得意なのかもしれない。特に学生時代に関わった人たちのことは、意外と覚えているらしい。

そう思うきっかけとなったのが、約2年前に勤めていた会社で、中学の同級生と再会したことだ。勤務初日、案内された自分の席の隣にいる女性に見覚えがあった。それは中学時代に部活を共にした同級生だった。当時から派手な顔立ちだった彼女、10年経ったその面影が残っていたからか、瞬時にフルネームを思い出せたのだ。

幸い友人もわたしのことを覚えていたが、それがきっかけで我々が友情を深めることはなかった。中学時代も、部活仲間というだけで、特別親しかったわけではない。そんなわたしにとって、『昔の知り合いがいる職場』というのは、少々居心地が悪かった。結局その職場の風土も合わず、そもそも”週5日会社で働く”ということに限界を感じ、そのあとは半分フリ―ライターの道を志したのだった。


しかし、その次の職場(週3日のみ勤務する、現在の職場)でも、同じような事案があった。出勤初日、手渡された座席表を確認すると、見知った名前を発見。これも中学の同級生の名前である。同じクラスになったことはなかったが、可愛らく珍しい名前が印象的であった。そのためか、やはり彼女のことをフルネームで、顔もしっかり覚えていた。今度の相手は、私のことを覚えていないだろう。そう思いながら、この”同級生かもしれない人物”の席を伺っていると、やってきたのは、同姓同名の、しかも年下の女性であった。こんなことってあるんだな、と安堵したのである。


そして先週のことである。職場で席替えがあり座席表を見ていたら、また見知った名前が現れたのだ。これで3回目。「またか…」という気分。だけど今回もまた中学の同級生、しかも”部活を共にした友人”の名前だ。(どうやらこの職場に入社するようだ)どんな性格の子であったか、ホクロがどこにあるか、厚い唇が印象的だった…などなど、思い出してしまう。「なんでわたしはこんなに覚えているんだろう…」と気が滅入る。いや、気が滅入りるような話ではないのかもしれない。でもわたしは、自分だけが相手のことを覚えているのも、お互いに記憶しあっているのも嫌なのだ。わたしも相手も、すべて忘れていたい。そのうえで仕事がしたい。そういう気持ちが強いことに気づいた。

さんざんあれこれ考えたものの、次の日やってきたのは、その同級生と似ても似つかぬ別人物だった。ホッと胸を撫でおろす。そして、過剰に頭を悩ませた自分に少し恥ずかしくなる。


こういったことがあったため、もしかしたらわたしは関わった人物を記憶するのが得意なのかもしれないと思った。(普段は、特別記憶力が良い!と思うような場面はないし、むしろ忘れっぽいと思って生きているのだから、不思議だ…)そんな得意技を見つけたがために、わたしは会社という集団や、社会そのものが、何とも生きづらい世界だと思うようになってしまった。

自分が関わった人物に今、会いたくないのか?――まったくもってYESだ。特に仕事なんて一緒にやりたくない。なぜなのか?中学にも高校にもいい思い出がないからだろうか。中学時代には一人大切な友人がいるが、高校に関してはゼロだし、部活でバンドをしていたこと以外は、本当にいい思い出が見当たらない。また、引っ越しを繰り返していたため、地元というものがなく、その学生時代の時々で区切りがついていたこともあるかもしれない。相手もわたしのことを覚えていないだろうし、だったらわたしだって覚えていたくはないのだ。なのに、記憶力だけが彼らのことを決して消し去らない。

(ただ、短大時代では逆に友人と呼べる人物が極端に少ないため、そんなことを気にする必要もしれないし、割とどうだっていいと思っている。というか短大時代は楽しかった。だから、本当に中学・高校時代がひたすら嫌なのかもしれない…かなしい)


という話ともう一つ結び付けたいのが、わたしが住んでいる「街」についてだ。21歳からこの街で暮らし、今一人暮らし歴6年目となっている。この街はすごく好きだし、日々ひっそりと幸せに暮らしている。しかし、立地の良さからか、わたしが活動しているバンド界隈のバンドマンも、この街に多く住んでいるらしい。それは構わないんだ。構わないんだけど、あるバンドマンたちが”わたしのことを見つけては、面白おかしく周りのバンドマンに報告している”らしいのだ。それもわたし本人に言うでもなく、わたしのバンドメンバーや関係のないバンドマンに。

本当に腹が立ったし不愉快だった。

近所のおばさんの井戸端会議じゃあるまいし、もっと話すことねえのか、と思った。存外つまらない人たちだったんだと失望した。きっとわたしが仕事に行ったり、人と会ったり、買い物をしていたり、そんな場面を発見しては、何も考えず”ただ見つけたことが面白いから”という理由で笑い話にしているのだ。

そしてわたしはというと、周りに知り合いがいることにまったく気づかない。そもそも全然周りを見ない。ジロジロ見るのも申し訳ないし、遠く離れた人であれば観察するかもしれないけど、周りのことがあまり気にならないので、いつも気を張り巡らせていない。(良いんだか、悪いんだか…)だから、そんなわたしのことを笑う彼らが近くにいたとしても、きっと発見することはできないだろうし、別に発見したいとも思わない。

(ただ、過去に2度だけ、バンド界隈の知り合いを見かけた。だけど、彼らにはなんというかパッと目を引く、オーラがあった。もう一度言う、彼らにオーラがあったから、わたしは見つけられたのだ!)


今、わたしは少しだけこの街の居心地が悪い。それが少しかなしい。とても好きな街だ。だけど、あと1年ほど暮らし、完全フリーになった暁にはこの街を出ていこうと思う。誰にも見つけられない街で暮らしたい。わたしのことを笑うやつがいない街で暮らしたい。だけど1つだけ言いたい。それは、わたしに見つけられないんじゃあ、あなたたちバンドマンとして駄目なんじゃないの!?ということ。オーラ、全然出てませんよ、もっとガンバってください!


おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?