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【愛着障害の克服】役に立てない…モヤモヤした時はチャンス!

こんにちは、やつ子です。

今日は私の薄汚い心のドロドロが出てきます。

閲覧注意…というより、本音は
あまり見なくてもいいよ…(笑)という感じです。


愛着障害の克服記録として書きますので、愛着やアダルトチルドレン、自分と向き合う話に興味がある方は続きをお読み下さい。



先日、久しぶりに友人と会って話してきました。

コロナ禍でなかなか会えずにいたので、この2年間でお互いに起きた変化などを話して、楽しい時間になりました。

でも家に帰るとき
なぜか気持ちが晴れない自分に気付きました。



私は愛着障害と向きっているので、
こういう時はチャンスなのです。

なぜ久しぶりに友人に会えて話もできたのに気持ちが晴れないのか、考えました。



理由は、

私が役に立てなかったから

でした。



この友人とは高校の時からの長い付き合いで、お互いの悩みを相談しながら環境や立場が変わっても友人として続いてきたようなとこがあります。

ですが、今回は
友人が自分で乗り越えた“後”の話でした。



「コロナ禍で色んな問題があって大変だけど頑張ってやってるよ~」と言われて、

すごいなぁ、
頑張ってたんだなぁ、
友人として嬉しいなぁ、

話を聞いていた時はそう思ったはずなのに…

心のどこかで、私が相談に乗る必要がないことを悲しく思っていたのです。


これは「役に立てない自分」という状態が耐えられないことから発生した感情です。



ここで、

“友人が悩んでいた方が良かったのか…”
“私は最低だ…”

という方向で自分を責めることもできるのですが


そっちにはいきません。
(愛着障害と向き合っているので)


もう少し深く考えてみました。

役に立たせてくれないと
私の目的が果たせないじゃないか…

私が役に立つためには相談してほしかった…


困った友人を元気にしてあげないと私が存在している意味がない…ってことです。


※ここでいよいよ最低なやつですが、自分を責めることは心と向き合う作業が進まないので、まだやりません。



楽しかったはずなのに何で気持ちが晴れなかったのか、理由が見えてきましたね。

ここから私がやったことです。


役に立ちたいのにそれが出来なかったことを残念に思っている自分に対して、

「役に立ちたかったんだね」
と思いました。

「役に立てなくて嫌だったと思ってOK」
にしました。

「でも役に立てない私はダメなんかじゃないよ」

「頑張ってきた友人の話を、ただ聞いてるだけの自分でOKだよ」
と自分に言いました。



そして薄汚い気持ちに気付いてしまったからには、やっぱり自分を責めてしまいます。

友人の困り感を自分が役に立つという目的に利用してるようで、私は最低なんだと思いました。



でもその事も
「最低だと思ってOK」にしました。

そんな自分は嫌だと思ったんだから、
それでOKです。



すべて、幼い頃に母の役に立てなかった(と思っている)ことが関係しています。


この辺のことも思い出し、昔の自分とも向き合います。
(長くなるので、この話はまた今度書こうと思います)




ハイ、これで今回の “自分と向き合う心の作業” はとりあえず終わりです。

毎度毎度こんなこと面倒くさいのですが、
やっております。


長々とお付き合いいただき
ありがとうございました。

疲れましたね…今日はこの辺で。



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https://note.com/megenai2020/m/mbde461b61d8c

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それではまた(^-^)/






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