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好きなことだけで生きていける?

好きなことだけで生きていく

「好きなことだけで生きる。」嫌なことに、もう自分の命とも言える貴重な時間を費やす必要はありません。嫌なことは、誰かにお願いすればいいだけのこと。好きなことを伸ばしていければ、自分の実力をかなり良い線まで引き出すことが出来るのです。嫌なことをどんなに頑張っても、普通になれるかどうか。だったら、好きなことをする方が、人生の効率が良いと言えます。

しかし、それは可能なのでしょうか。僕には夢物語にしか思えませんでした。仕事ひとつとっても、自分のやりたいことだけでは、成立しないものです。

誰かが、嫌な仕事を、しなくてはいけないのは事実です。現実問題、嫌なことは、多くの確率で、誰もが嫌な仕事であり、いつも自分が請け負ってしまう。責任感が強ければ強いほど、嫌な仕事でも引き受けてしまいがちです。でも、それは、決して悪いことじゃないはずです。

生活の中でも同じではないでしょうか。漫画を読むことが好きだからと言って、漫画ばかり読んでいては、生活は成り立ちません。健康であることも同じ。揚げ物が好きだからと言って、野菜が嫌いだからと言って、揚げ物ばかり食べてしまっていては、近いうちに大きな病気を抱えてしまうのは明らかです。

僕が屁理屈であるのはわかっています。でも、そんなことは無理だと思ってしまう自分がいました。しかし、好きなことだけして生きていけるのなら、やっぱりそうしたい願望はあります。この事をどいう捉えていけばいいのかを考えてみました。

正解か不正解かの選択肢

いつしか僕らは、人生の選択を正解か不正解であるかの2択で考えるようになってしまっています。それは、常に世間の正しさにとらわれて生きているからです。真面目に学校に行くことが正解。良い大学に進学に行くことが正解。友達は多い方が正解。一流企業で働くことが正解。結婚することが正解。まるで、正解が一択であるかのように思えていた時代です。

そこからはみ出してしまった僕のような人間は、生きづらさをいつも感じていたし、常に自己嫌悪感が付きまとっているものでした。

しかし、本当のところはどうだったのでしょう。正解を出し続けてきたからといって、幸せかどうかは別の問題であるとしか思えません。自分がどうしたいのかもわからいまま生きているのですから、気持ちは満たされません。

その穴埋めをしようと、みんな紆余曲折していたんじゃないかと思います。

好きなことだけで生きていく。という言葉は、そんな僕たちの為の言葉であり、人生の方向性を定めてくれる言葉であるのです。


僕の母親は厳格な母でした。小学生の頃は毎日習い事をさせるくらいのスパルタでした。その時の口癖は、「勉強しないと、公務員いになれないよ。そうしないと、あんたは一生苦労して生きていかないといけないんだよ。」「やりたいことがあるのなら、勉強して、公務員になってからやりなさい。安定した仕事だから、好きなことはその時にできるでしょ。」当時、公務員の仕事が、なんなのか分からないまま、目指していました。ただの母に対してご機嫌をとるためでしかなく、そんな何であるのか分からないものに、なりたくはありませんでした。もちろん、あんなに習い事をしているのに、成績は、かなり良くありませんでした。

この話を聞いて、勉強だって自分がやりたいことやなりたいのものに必要だったら、僕は必死に勉強していたのではないかと思います。正解不正解で測る選択ではなく、自分のなりたいことがあって、初めて生まれる選択肢であるものだと思うことが、必要だと感じます。 

その為に必要な言葉こそ、「好きなことだけで生きていける」という言葉なのです。正解不正解に捉われて生きている僕たちに、好きなことしていきていいんだと。もっと自分の好きを大事にしていいのだという学びを、時代の流れから、まさに生まれた言葉なのです。そして、それを否定してしまっていたことで、僕は、自分自身を好きなことで生きていけないという観念で縛り付けていたものだったのです。

こうして、否定的だったことも捉え方次第で、自分の味方に変えることができます。出来るなら、多くのことを味方にしていきたいと思いました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー                                                                                                                                                                                                              


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