翻訳者vs翻訳チェッカー/校閲者

 翻訳者のみなさまはほんとにチェッカー(レビュアー/校正者/校閲者)が嫌い。25年前からずうっと同じ。翻訳者がチェッカー/校閲者に言いたいことをひとことでまとめるとこうなるだろう。

●こだわって決定した表記や漢字や文章を、勝手に変更したり統一するな

 では、チェッカー/校閲者側としても、言いたいことを言わせてもらおう。自分の本拠地で書くのだから言いたい邦題だ。

●(主に産業翻訳で)日本語のコロケーションもめちゃくちゃ、係り受けも不適切な訳文を次工程で直してもらおうと思うのは甘えである
●(主に産業翻訳で)「の」の連続、読点の多すぎや少なすぎ、「的」「性」「化」の多用など、読みづらく工夫のない訳文を次工程で直してもらおうと思うのは甘えである
●(出版翻訳で)一冊を複数の弟子に訳させた結果、登場人物の名前すら揺れている一次訳にろくに手も入れずに出し、編集者と校閲者がなんとか本にしてくれると思うのは甘えである
●(産業、出版を問わず)ケアレスミスだらけの訳文を次工程で直してもらおうと思うのは甘えである

 しかし、お互いに文句ばかり言っていても仕方がない。歩み寄る方法も考えてみよう。

●(特に出版翻訳で)翻訳者は「ここだけはこだわっている。どうしても変更してほしくない」というリストを作成し、訳文と同時に納品すること
●チェッカー/校閲者は、なぜここを直したかという理由を書くこと

 つまり、どちらにも説明責任があるということだ。わたしは産業翻訳でまともなレートのときは、Wordならばコメント機能で「直した理由」を書いている。その時間がないときや、ひどい訳のときは書き直しが多すぎてコメントにまで手が回らないが、「なぜ直したんだ」と問い合わせられれば100%説明できる。
 翻訳者のこだわりも、「上手い人のこだわり」はわかる。「この漢字違うんじゃないかな」と思っても、「いやこれだけ細部を詰めてきている翻訳者だから、きっと何か理由があって違う字を書いているのかもしれない」と判断し、直すのではなくコメントだけを入れておいたりする。
 ちなみに、翻訳が正確かつ上手い、と思う翻訳者は、ケアレスミスもとても少ない。何度も何度も推敲を重ねて練られた訳文というのは、少し読めばすぐにわかるのだ。
 そういう訳文のときには、こちらが手を入れる箇所やコメントも、とても少なくなる。結果、Wordであってもゲラ(校正紙)であっても、かなりきれいな状態で返せる。こちらががんがん直す訳文というのは、やはり「いい加減な仕事」をしている翻訳者の訳文ということになる。
 最後に、誤解のないように書いておくが、「これはチェッカー/校閲者の仕事だから任せて」と思うのはこういう箇所ですね。

●多少の誤訳
●多少の訳抜け
●多少のケアレスミス
●多少の(日本語の)不自然さ

 ミスをしない人はいない。それを拾うためにわたしらがいるのである。

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