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【V】感情と想いの出どころ

こんにちは、まいけるです。

今でこそ人並みに感情をコントロールし、年相応に落ち着いたように見える(?)私ですが、かつては感情の暴走列車wでした。

嬉しいときは気が触れたwようにはしゃぎ、ムカついたら怒りを周囲に撒き散らす。まさに喜怒哀楽の権化w。
触るものみなキズつけて、自分もキズだらけでした。

う~ん、チェッカーズ。なついw

幸運にもたくさんの素晴らしい方々との出会いを経てさまざまなことを学び、どうにか今のまいけるに行き着いております。
この方たちにお会いしていなければ、私は今ごろどうなっていたことか。感謝してもし足りません。ありがとうございます!

今回は甚だ僭越ではございますがw、私なりの「感情と想いの起源論」をご紹介しとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお付き合いくださいませませ。


感情は自分でコントロールできない!?

先ほど私、自分で感情をコントロールできるなんて戯言をほざきwましたが、もちろんこれは大ウソですw。

とりあえず謝罪いたします。ゴメンちゃい♪
(こういうノリがお嫌いな方、ホントに申し訳ありません…w)

というのも、どんな聖人君主な人であっても、この世に自分の意思で感情をコントロールできる人なんて、絶対おらんw!…と私は思うからです。

なぜそう言い切れるのか…?
少しウンチクw語らせていただきます。

・感情は脳が出どころではない

人間は地球上で最も進化した生物です。これに対しては異論の余地は無かろうかと思います。そして特に進化したのは言うまでもなく、「脳」ですね。

私たちはその進化した脳でさまざまな文明を作り出し、発展を遂げてきました。
あまりにも「脳」が優れているため、私たちはつい、

「モノを考え自分の意思を決定するのは脳だ!」

と考えてしまいがちです。
もちろんその通りなのですが、人間の意思とは、必ず感情や想いが絡むものです。そしてその感情は、意外にも脳が出どころではないのです。

・感情や想いは、「お腹」から

内臓、特に「腸」に詳しい方ならご存知でしょう。実は腸にも、脳の神経細胞と同じような働きをする神経細胞が、数こそ少ないものの存在します。

腸の神経細胞は特に「原始的な」働きをするそうで、いわゆる理屈抜きで湧き上がる「感情」などは腸を中心に発するようです。

脳は腸から発した感情を受け取り、専ら「理性」を加味して判断する役割を担う、と考えると分かりやすいですね。
いくら進化したとはいえ、感情や想いそのものは脳の管轄範囲外といえるでしょう。

例えば人とケンカした経験は誰しもあると思いますが、ケンカする時、いちいち脳で考えてケンカを始めるでしょうか?

「こうこう、こういう理由で私は今、怒りを感じた。よし、これは納得いかないので、ヤツを懲らしめるためにひとつ、ケンカをしよう!おりゃー!」

……いや、ここまで冷静に考えられるなら、ケンカにならんでしょw……。

そもそもケンカの理由なんて、たいてい後付けです。
ちなみに国家間の争いなどもそんな感じやん?
おおっと!センシティブ過ぎる話題には触れませんよ!危ない危ない……w。

湧き上がる感情や想いに影響を受ける脳。時として翻弄され、コントロールを失うこともあるでしょう。
脳は全身を支配しているように見えて実は、各臓器や器官とは相関関係(お互いに干渉し合う)にあるようです。
各臓器、立場は対等なんですね。

・日本語の表現でも分かる内臓と感情の関係

そういえば日本語って面白くてw、感情を表すコトバは「お腹」を起点とする表現ばかりです。

怒りは顕著ですね。
「腹が」立って、頭に「来る」と言います。ここでも怒りは頭から発していないことがよく分かります。

他にも「ハラワタが煮えくり返る」や「堪忍袋の緒が切れる」など。ここで言う堪忍袋の「堪」は、もともと肝臓の「肝」ことだそうです。

「断腸の思い」「胸が踊る」などの他の感情もしかり。これらは全て、東洋医学の考え方が大きく影響していると私は思っています。

以下は東洋医学に詳しい方なら常識ですwが、各臓器と感情の関係です。初めて聞いた時、私はなかなかの衝撃でしたw。

肝臓 → 怒り
腎臓 → 恐れ
心臓 → 喜び
肺  → 憂い
脾臓 → 想い

脾臓に関しては実際の脾臓ではなく、消化器系全般を指すそうです。要は臓器が弱ると、それに対応する感情に異常を来すわけです。

怒りっぽい人は肝臓、怖がりな人は腎臓、心配症の人は肺や消化器系、といった具合ですね。
「喜び」に関しては少し特殊で、何をやっても楽しくない人はもちろんですが、人の不幸を楽しむような人(喜びの歪み、狂喜)も心(シン)の異常とされるようです。

かつての私は、全内臓が相当ヤバかったわけですねw。

食べたものが直接、感情や想いになる

以上のことから感情や想いは内臓から、という結論なのですが、その内臓を作るのは当然、「食べ物」です。

若干、極端な理論になりますが、つまり食べたものが血となり内臓となり、私たちの感情をも作り出している。…とも言えます。

・犯罪すら、食事と関係ある…?

例えば罪を犯してしまう人は顕著で分かりやすいです。

昔、元刑事さんの暴露話を本で読んだことがありますが、特に衝動的な犯罪を繰り返してしまう人は、決まって食生活がめちゃくちゃだそうです。

さらに、容疑者の家を家宅捜索し、部屋にカップ麺やお菓子、ジュースの空などが散乱している場合、ほぼ確実にその容疑者は「クロ」になるそうです。

この元刑事さんも、食と犯罪の関係を強く訴えておられました。

他にもアメリカのデータですが、こんな実験があります。
囚人の刑務所での食事を2つのグループに分け、ひとつはジャンクフード中心、ひとつはオーガニックフード中心で刑期を終えるまで生活させるという実験です。

いかにもアメリカらしい実験ですが、この実験のねらいは刑期を終えた後の再犯率です。
なんと前者は再犯率8割超え、後者は1割にも満たなかったそうです。

・何を目的に食べ物を選ぶのか

食べ物を選ぶとき、あなたは何を基準に選んでいるでしょうか?
見た目、味、栄養、カロリー、量、値段、映えw、惰性(あまり考えないw)など、基準はいろいろありますね。

でも実は私は、それを食べた後ににじみ出てくるであろう「感情や想い」を意識して、食べます。
私がベジィになった理由はいくつもありますが、これが1、2位を争うくらい重要な理由です。

ベジタスの最初の頃にも言いましたが、私は人に何かを食べるなとか、逆に食べろとか強要する気はさらさらありません。
ただ、それを食べるとどうなるかを知っている身としては、ある程度のことはお伝えしないわけにもいかないのです。

太るとか血糖値やコレステロールがどうとかを気にするのも、もちろん大事でしょう。
ただ、もっと大事なのが精神面です

私たちは脳が発達しているが故に、どうしても自分の考えに「おごり」が出てしまう生き物です。
自分ではどうにもコントロールができない自分がいることを知っておくのも、重要なポイント。そのコントロールできない部分が、実は食に起因していることは知っておいてソンはないです。
ある意味私たちは食べるものに「支配されている」と言ってもいいと、私は思います。
弱肉強食ならぬ、「弱肉強蝕」といったところでしょうかw。

んー、これはシャレになってませんね。すみませんw。

私たちは毎日食べている「食べ物」でできています。
少なくとも、感謝のココロを忘れずに毎日の食事をいただけるのなら、内臓や感情が暴走することはありません。

日々穏やかに。ゆるりゆるりとw生きていきたいものです。
あぁ、食べ物に感謝!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!まいけるでした。

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