[1分小説] こころ
風が校庭の落ち葉を散らす、10月の最後の火曜日。
瀬川は、半年間付き合った恋人に切り出した。
「ごめん、別れてほしい」
放課後、いきなり昇降口に呼び出された香澄は、
下駄箱の間に立って、ただ言葉を失っていた。
「お前、させてくれないじゃん。俺もう限界」
そして、最後にこう付け加えた。
「俺、佐山と、しちゃった」
香澄を捉える視界が、滲みかけていた。
自分から別れを告げてしまった。
まだ、好きなのに。
『なんで俺って、こう、強がりばっか・・・』
しかも、思ってもないことまで―。
『全部、アイツのせいだ・・・』
いやでも、昨夜のことが脳裏に蘇る――。
・
月曜日の、硬式テニス部の練習を終えた帰り道。
駅の時計は、まもなく夜8時を回るところだった。
改札を出てすぐ右に曲がると、静かな細い路地に入る。200mも歩けば、彼の自宅に着くはずだ。
『あれ?』
少し先に停まったセダンらしき乗用車から、見慣れた制服姿の女子が降りてきた。
『あれって、うちの学校・・・だよな』
瀬川の憶測が確信に変わりかけた時、
女子生徒が、運転席に向って小さく手を振った。
ほどなくしてこちらを向いた女子生徒がハッとする。
「・・・瀬川くん?」
目の前にいるのは、同じ高校2年のクラスメイト、
佐山 美弥子ではないか。
「・・・お前、なんでこんな所いるわけ?」
挨拶もそこそこに、6限目まで同じ教室にいたはずの彼女に訊く。
「・・・瀬川くんこそ」
緊張を含んだ声で、佐山はポツリと言い返す。
「俺、家、そこだから。帰り道」
「・・・・」
瀬川の返答を聞くと、彼女はわかりやすく戸惑いの色を見せた。
そして、そのまま沈黙を決め込んでしまった。
・
『なんだよ、このシチュエーション』
夏物のままのジャージに当たる風が冷たい。
夜道に漂うのは、近隣の住宅の家庭的な音と匂い。
そして、暗闇に浮かぶ、普段よりどことなく色めいた佐山 美弥子の立ち姿――。
気づいた時には、先に口が動いていた。
「あのさ、」
いったい自分は、佐山に何を言い出そうとしているのか。
「香澄、いるじゃん。俺、付き合ってるんだけど」
口先に上る言葉が止まらない。
「最近、俺、どうしたらいいか分からなくて」
我ながらあまりに突然の申し出だった。
が、その時――。
佐山は不意にひょこりと顔を上げ、ゆっくり口を開いたのだ。
「どうしたらいいか分からない、っていうのは、」
瀬川をまっすぐ見据えて彼女は言う。
「つまりどういうこと?」
確かめるような聞き返し方だった。
その尋ね方に、質問を投げた彼の方が戸惑う。
「どういうっていうのは、その・・・」
この先っていうか、そろそろっていうか―。
言葉を濁して判然としない瀬川を前に、
佐山美弥子は目線をそらさず、然として言った。
「つまり、エッチしたいってこと?」
「あ・・・」
自分の間抜けな声が、暗闇に吸い込まれてゆく。
『クラスの女子相手に何言ってるんだろう、俺―』
しかし次の瞬間、彼女はさらに瀬川を驚かせた。
「いいわよ。私、教えてあげよっか」
佐山美弥子は、首をわずかに傾けながら、
覗き込むように彼の瞳を探った。
・
結局言われるまま、
ふたりで駅の反対側のカラオケボックスに入った。入ってしまった。
『知っておきたい・・ただ、それだけだから』
夜気に冷やされたはずの両耳が、妙に熱を持っていた。
熱はやがて、広がりを帯びた けれども――。
同級生がはじめて見せる "女の顔" に、
彼の "男" は反応しなかった。
「1時間で」借りた利用枠をたっぷり余らせて、
ふたりは個室を後にしたのだ。
ただ、無様だった。
・
遠くでチャイムが鳴る。
はじまったばかりの部活の掛け声が耳の奥でこだまする。
『本当に、俺って、強がりばっか―』
視界の隅で、走り去る香澄の後ろ姿が、校庭の色に溶け込んでいく。
取り返しのつかない後悔はすぐに全身に広がった。
『でも、だって、どうしたらよかったんだよ――』
絡ませた指の感触、
触れかけた唇の、湿り気を帯びた熱っぽさ――
半年前の甘く香る日々なんて、いっそ夢だったらいいのに。
こころが、果てしなく暗く滲んでゆく気がした。
昇降口から差し込む西日が瀬川を照らす。
付き合いたての5月、
香澄とふたりで歩いた校庭の緑は、いまやすっかり
冬を待つ色に埋め尽くされていた。
□24.2.29 一部修正
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