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[1分小説] 欲望の対象

「背中が若いね」

瑠美るみの後ろから、今しがた肌を重ねていた男の声が掛かる。

ベッド脇のサイドテーブルに置かれた電気ポットの残りを温め直しながら、考えたこともなかった、という表情でゆっくりと振り返る。

「そう?」

口元で小さく笑みを作る。短く切り上げた言葉を、瑠美は眼差しとともにやさしく投げた。
形のいい胸元を覆ったバスタオルと、肩にかかる髪が揺れる。

誘われるままに男の横を歩き
言われるままにホテルに向かい
なされるがままに脱がされていく。

初めてこの一連の手順を踏んでから、もう2年近く経つだろうか。
家庭が揉めていた時期だった。逃げるように外に居場所を求めた。
これまで一体、自分は何人の男と寝たのだろう。


彼らの 欲望のぞみの対象物として、そつ無く振る舞うこと。

その副産物が、

目の前の男の昂る表情だったり、
荒い息遣いだったり、
行為の後に束の間見せる満ち足りたような微睡みである。

そして、
湿った室内にポコポコと音を響かせている電気ポットと灰皿の間に置かれた、200枚の紙幣の束、だったりする。


「もう一度、しよう」

近くに寄ってきた男の熱い息が、瑠美の耳元に伝わる。
拒否権はないのだろう。200万という金額で、自分はしばらくの間、この男に買い切りにされるのだ。

腰元に回された腕が乱れたベッドへと瑠美の体を誘う。剥ぎ取られるバスタオル。冷めやらぬ熱をまとった男の上に乗る形で、彼女も倒れ込む。

「じょうずだよ。下も触って」


こわいな、と瑠美は思う。
男たちとこんな風に時間を共にすることが。

そして、それにも増して、
そんな時間を過ごすことで、 必要十分以上の生活が成り立ってしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・、この現実が。

相手の望みを叶えられてしまうゆえの不幸。瑠美はつくづくそう思う。
男の人と会えば会うほど、肌を重ねれば重ねるほど寂寞は募り、理解されえぬ孤独が自分の人生に影を落としていく。



男が漏らすように呻く。

電気ポットが、カチッと沸騰のサインを出す。



再びポットに手を伸ばす頃、またお湯は冷めているのだろう。

体の火照りと反比例して醒めてゆく自分の思考を、瑠美は憐れむように慣れた眼差しで抱き寄せた。




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