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春の雪

夜半すぎに降り出した雨がほんのすこし雪にかわった。

東京は年明けから1ヶ月はほとんど雨が降らない。成人の日やセンター試験の前後に、交通機関がマヒするような大雪に見舞われることがあるけれど、この季節の雨や雪は、大気が動きだして春の準備がはじまったこと知らせてくれている。

* * *

高校2年の春、4月の始業式の日に雪が降った。

すでに洋服は春の支度になっていたのに、クリーニングに出して仕舞った冬のコートをまたおろすような寒さだった。

その年の3月に東京ドームが完成した。こけら落としとして数々のイベントが開催されいて、その夜は、今となっては伝説となっているあるロックバンドの解散コンサートが控えていた。

学年末の試験をサボってチケットを入手したクラスメイトたちは、とても楽しみにしていた。試験をサボった彼らにしてみれば、季節はずれの雪なんて、何の問題もないといった様子だった。

私はその夜、別のコンサートに行く予定で、そのために新調した春もののワンピースが寒くて着られないのではないかと気が気ではなく、早く雪がやんでくれないかとそればかりを思った。

土曜日で午前の授業が終わって一度帰宅したあと、身支度をととのえて、夕方コンサート会場に向かった。こんな雪の日にそんな薄いワンピースを着ていくのはやめなさいという母を振り切って、家を出た。

足元が悪いなか、冬物の重たいコートを着て傘をさして出かけるのはイマイチだったけれど、おろしたてのワンピース、おろしたてのストッキング、おろしたての靴が、半年も前から楽しみにしていたコンサートへの気持ちを引き立てた。

ところがそんな私とはうらはらに、コンサート会場で待ち合わせた友人は元気がなかった。何を話しかけても上の空で、会話がかみ合わない。なんども二人で電話をかけて(当時、リダイヤル機能のない黒電話で!)やっと手にいれた入手困難なチケットなのに、アーティストの演奏を楽しんでいる様子もない。

二人の間に流れるどんよりとした雰囲気を払拭することもできないまま、コンサートは終わった。

会場を出ると、雪は春特有の水分の多いぼた雪になっていたものの、降りは一層強くなっていた。本来なら夕食をとりながらコンサートの興奮を分かち合うはずだったのに、無言で駅に向かう。傘をさす手が凍るようにかじかみ、新しいワンピースもストッキングも靴もぼた雪にまみれた。

それっきり、友人とは音信不通になってしまった。

月日は流れ、大学受験も終わり、卒業式を迎えた。

卒業式の前夜、その友人と交わしていた「お互いの卒業式が終わったら、学校を抜け出して一緒にお祝いをしようね」という約束を思い出していた。友人とは別々の高校に通っていたので、友人の卒業式がいつというのはわからなかったけれど、友人はそんな約束なんて覚えてはいないような気がした。

翌日、式も終わり教室に戻ろうとしたとき、別のクラスにいる話したこともない生徒に呼び止められた。

“◯◯から、あんたに渡すようにっていわれた” といって、制服の内ポケットから一通の手紙を取り出した。

その生徒の口から音信不通になった友人の名前が出たとき、心臓が止まりそうになった。

友人の中学時代の同級生が私の通っている学校にいるというのはきいたことがあったが、どの人というのは知らなかったので、それが声をかけてきた生徒だと理解するのに、少し時間がかかった。

またその生徒も、何で自分がこんなことをしているのか?といった怪訝そうな顔つきだった。

帰りのバスの中で、渡された手紙をそっと読んだ。そこには、一緒に卒業のお祝いする約束をしていたのに、それが果たせなかったことへの詫びと、連絡を絶ったことの理由が綴られていた。

雪の日のコンサートの前日、家族が重篤な病気を宣告されて、それに対して自分は何ができるのかと悩んでいたという。悩んだ末に、医師になろうと決心し、医学部を受験したということだった。

あのときの友人の態度や連絡が取れなくなってしまった原因は、自分にあったのかもしれないと思い、ときには自分を責めてなんども後悔した。あの日の雪が、私のなかで泥だんごのようにふくらんで、重さにたえられなくなるときもあったが、卒業式の日の暖かさと手紙によって、跡形もなく消えていった。

その後、手紙への返信をしただけで、友人と再会することはなかったけれど、風の便りでは、やはり医師としてどこかの病院で多くの人の治療にあたっているという。

* * *

雪の夜、チェーンをつけた車の走る音だけが遠くに聞こえる。

そのたびに、あの雪の日から手紙をもらった日までのことを思い出すのだけれど、年齢を重ねた今となっては、そんな思い出すらもが、ほろ苦くもあり、愛おしくもある。




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