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自分で淹れたコーヒーが世界で一番おいしいワケ

夜勤明けの今日は、帰るとめずらしく誰も家にいないので、
家で「本業の」執筆業をすることとする。

家に書斎など存在しない子育て主婦の私は、
執筆業と言っても、夜に子どもが寝た後や、
早朝家族が起きだす前にひっそりこっそりパソコンに向かう。

看護師の夜勤バイト明けの時間は、
まとまって作業ができる貴重な時間であるが、
それも子どもが熱を出したとか、やれ試験で早帰りだとかがあると、
あっけなく家事時間に吸収され、一人時間終了。。。

夜勤の帰宅途中でカフェに寄って作業するときもあるけれど、
今日は家に誰もいないこともあり、
家に帰ってささっと掃除をすませ、洗濯機を回し、家を整えてから、
ゆっくりコーヒーを淹れて執筆作業の続きをやることにした。

***
さあ、ここでやっと、タイトルの「自分で淹れたコーヒーが世界一おいしいワケ」という話の本題になる。

ここまで読んでいただいた方は少し想像していただいたかもしれませんが、
私にとって、「家で自分のためだけに自分でゆっくりコーヒーを淹れる
という時間は、そういつもできることではないのです。
そういう時間がある、ということ自体が、
時間のゆとりがある、ということ。
そういうことも、この一杯のコーヒーのおいしさの中に含まれるわけです。
おおげさだけれど、「私の一人時間の贅沢さがこの一杯の中に凝縮されている」
というわけです。

だから、私は一人でコーヒーを淹れるときのために、
コーヒー豆は自分用に買うようにしています。
夫もコーヒー好きで自分で好きなお店で買っていますし、
もちろんそれを使うこともできる。
でも、私はあえてコーヒーは自分で稼いだお金で買うようにしている。

私にとってコーヒーは、自分で時間もお金もコントロールしている、
という実感の象徴だったりするわけである。

豆はそこまで高級なものを買っているわけじゃない。
業務スーパーで買ったものだったりもするし、
ちょっと贅沢したとしても近所のスーパーで有機豆のものを買う程度。

でも、それでもいい。
豆の高級感よりも自分時間でゆっくり淹れるコーヒーだということに意味がある。

***
自力でお金を稼ぐ、という行為もこれに似ているのかもしれない。
誰かにもらったお金やサラリーマンとして会社から支払われたお金よりも、
自分の力でフリーランスとして稼いだお金は、
たとえそれが数百円だったとしても、とても価値がある、
という話。
金額の問題じゃなくて、誰にも頼らず自分の力だけで稼いだお金の貴重さやうれしさというのは、
私が自分で淹れたコーヒーが一番おいしい、と感じることと同義な気がする。

だとすれば、このコーヒーを淹れる時間というのをもっと大切にしたいし、
この時間を増やせる努力をしていきたい。
この延長線上に「自力で稼ぐ」という自分像もある気がする。

自分時間 コーヒー 執筆業
この自分にとって心地いいものを続けていきたい。


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