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天野純希『雑賀のいくさ姫』 史実の合間に描く、未曾有の海の大合戦

 海に囲まれている国であるにもかかわらず、決して数は多くない、海を舞台とした歴史時代小説。その中に、とんでもない作品が現れました。雑賀のいくさ姫の異名を持つヒロインが大海に飛び出し、巨大すぎる敵を相手に海の大合戦を繰り広げる、壮大かつ痛快な物語であります。

 信長が天下布武に向けて驀進していた頃――イスパニアのイダルゴ(騎士)の家系に生まれ、流れ流れてアジアにたどり着いた青年・ジョアンは、サムライに憧れて日本に向かう途中に乗った船が嵐で難破、漂流した末に、海賊たちに捕らえられてしまうのでした。しかしそこで海賊の砦を襲撃してきたのが、雑賀の姫君・鶴率いる一党。瞬く間に海賊を退治し、ジョアンを助け出した――いや、彼の乗ってきた南蛮船と宝物を奪った彼女に捕まって、ジョアンは雑賀に向かう羽目になります。
 姫君でありながらも水軍を率いて暴れ回り、そして将来は海に出ての貿易を夢見る鶴。そのような彼女にとって南蛮船を手に入れたのは文字通り渡りに船――父・雑賀孫一の反対を押し切って海に飛び出した彼女に巻き込まれ、ジョアンも船でこき使われる毎日を送ることになります。
 このような中、村上水軍と悶着を起こした鶴たちの前に現れたのは、薩摩水軍を率いる島津の姫にして鉄砲の名手の巴。彼女から鶴は、東南アジアを荒らし回る明海賊の頭領・林鳳が九州侵略を狙っていることを聞かされるのでした。
 九州防衛のため、島津を中心に結集しつつあるという各地の水軍。参加を求められた鶴は、しかし複雑な表情を見せます。そう、実は彼女と林鳳の間には、深い因縁が……

 戦国時代を中心に、骨太の歴史小説を次々と発表してきた天野純希。もちろん本作の舞台もその戦国時代ではありますが、しかし物語の雰囲気、そして人物造形は、最近の作品からはかなり異なったものを感じさせます。
 何しろ鶴をはじめとする登場人物たちはいずれも強者揃いの変わり者揃い。まだ十代ながら男たちを顎で使う女傑ぶりを見せる鶴姫をはじめ、寡黙な剣豪・兵庫、マイペースのスナイパー・蛍、猫の亀助(!?)――と、多士済々であります。
 そこに本作の狂言回しというべきジョアンも加わるのですが、サムライを夢見ながらも腕前はからっきしで、役目は下働きの記録係――という彼の設定も何とも愉快で、良い具合に物語の緊張感を緩めてくれるのです。

 物語の前半は、こんな個性的な面々が海に乗り出す姿がユーモラスに描かれるのですが――しかし物語は、そこから大きく転回していくことになります。海戦――いや、海を舞台とした大合戦へ。
 そう、本作の中盤以降で描かれるのは、九州侵略を企てる大海賊・林鳳一党と、その企てに抗する日本水軍のオールスター戦。島津、毛利、村上、そして雑賀――各地の水軍が、そしてそれを率いる将たちが手を組んで共通の敵に挑むのですから、これはもうたまりません。
 しかし敵は500艘というけた外れの数の大戦力――寄せ集めで足並みの揃わぬうちに大打撃を受けた水軍大連合に逆転の秘策はあるのか? そしてそこでの鶴たちの活躍は? いや、これが盛り上がらなくて、何が盛り上がるというのでしょう!?

 しかし本作の真に素晴らしい――そして恐ろしい点は、この未曾有の大決戦を、登場人物の多くに実在の人物を配しつつ(実のところ林鳳も実在の人物であります)、史実の合間にきっちりと成立させている点にあります。
 一見自由なように見えて、その実、年々相当のレベルで研究が進んでいるために、少なくとも合戦というレベルでフィクションを描く――言い換えれば、架空の合戦そのものを作り上げる――というのはほとんど不可能に近いと思われる戦国時代。このような時代を舞台に、本作はこれだけの規模の大合戦を、これだけの顔ぶれで描いてみせるのですから驚くほかありません。私も色々と凄いことをやっている作品は見てきましたが、このリアリティレベルを維持しつつ、これほど希有壮大なフィクションを構築した作品は、ほとんどなかったと感じます。

 このように、キャラクターの面白さ、物語の興趣、大仕掛けの見事さなど、様々な魅力を持つ本作。特に作者のファンにとっては、賑やかなチームの姿に『桃山ビート・トライブ』を、戦闘ヒロインが主人公である点に『風吹く谷の守人』を、そして島津の名将たちの活躍からは一連の島津ものを連想するかもしれません。
 こうして考えてみると、本作は作者の集大成的な作品と言えるのかもしれませんが――そうした点を抜きにしても、本作は必読の作品であることは間違いありません。海洋歴史時代小説の名作であります。


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