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「大人」は可処分時間に比例する!?

大人って何?


「大人」

十分に成長した人。成人。考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。ー出典:ウィキペディア

その他のサイトでも同じような定義がほとんどです。

成長、成熟、分別。

どれも分かるようで分からない言葉ばかりに見えてしまうのは、僕が社会不適合者だからでしょうか。


大人ってなんなんだろう?


知り合いの中学女子のふとした一言から、かれこれ1週間ほど考えています。

そんで、

昨日嫁と久しぶりに居酒屋に行き、話している時に、フッと降りてきたので、書きます。


【年齢】と【時間】は別物。



嫁は僕より4歳年上です。

嫁はよく僕にこう言います。

『なんか、私が年上って感じがしない。私何にも知らないし。経験とか少ないなあって思う。』

それって一体なんなんだろう?

皆さんの周りにもいませんか?

若いのに、なぜかしっかりして見える人、なんか芯があるというか、大人びている人。

逆に、年上なのに、若々しいというか初々しいというか。

スレてない感じの人。

その真実について、解き明かしていきたいと思います。

それは、【時間】です。

時間の定義は、

『自分がコントロール可能な、可処分時間』です。

自分の意志で、

時間をこう使おう、ああ使おう。

たとえ、バカバカしいことであっても、

そのときの自分が"こうしたい!"と思って使った時間ならば、成長に繋がる日々を過ごせていると思います。


時間は皆平等かつ、自由。ではない。


例えば、今の僕と同じ26歳だった場合、

物心ついたのが10歳だとすると、

16年間、365日、24時間。

合計140,160時間になります。

これが、可処分時間なのか?

そうは思いません。

その時間は、ただ生命体として生きた時間にしか過ぎません。

僕の定義する可処分時間は、人によってかなりバラつきがあります。

それをこれから書きます。

可処分時間の話をするときに、大きく横たわる問題がいくつかあります。

・元不良
・学校
・親
・会社

可処分時間を左右する要因は沢山ありますが、一般的なものを上げるとこのようになるのではないでしょうか。

1つずつ考えていきたいと思います。


元不良



テレビや雑誌なんかで、【元不良から東大に入学!今は、〇〇なキャリア!】とかをよく見ませんか?

もちろん大前提として、人を傷つけたり、人を不幸に陥れたりすることは、極力さけた方がいいと思います。

ただ、元不良と呼ばれる多くの人を見て、なぜ今のキャリアに至ったのかがイマイチ明確に説明されていないことに気づきました。

最初から才能があった?
若い時に遊んだ分、振り切れた?

様々あると思いますが、

これでもまだ説明が足りないように思います。

これこそ、可処分時間が成し得たことだと思います。

不良の道に進んだのは、なぜだと思いますか?

進路として用意されているわけではないし、多くの人が進む道でも決してないと思います。

『ただ、そうしたかった』

これなんじゃないですか?

理由なんかない。

でも、こうしたい、だから、そうした。

ここで僕が目を向けたいのは、

不良の道に進んだのは、

【自分自身の決断で、自分自身で行動した】ということです。

周りの同級生は、家族や先生に諭され、導かれて、

勉強や部活に精を出します。

でも、不良は、自分自身で決断して、自分自身で行動したのです。

これが、僕のいう【人生の可処分時間】です。


学校



可処分時間の大幅に減少させる装置として、【学校】が存在していると思います。

少しずつ教育も変わってきているので、一概には言えませんが、

少なくとも僕が学生だった10年ほど前までは、確実にその装置としての役割が多分にありました。

学校には自由がありません。

必ず一日6時間は椅子に座り、前を向き、背筋を伸ばして、ノートを取り、真剣な顔をしなければなりません。

そのいずれかが欠けてしまったら、めちゃくちゃ怒られます。

先生の言う通りにノートを取り、模範解答と同じ手順で問題を解かなければなりません。

部活をやらない奴は、変わり者扱いされ、先生が焚きつけることにより、イジメがはじまります。

とにかく、人と違うこと、先生の言う通りではないことは、極端に嫌われます。

自由に判断し、自由に意思決定し、自由に行動することを、『悪』だとされています。

これ以上、学校の批判はやめます。

学校という枠組みの中でも、素晴らしい学校も存在しているので、ご紹介します。





これこそ、先天的に確定してしまう確率の高い要素になるので、

解決法がほぼ存在しないのですが。

可処分時間を削る存在として、

【親】の存在も挙げられると思います。

いわゆる"毒親"なんてのはもってのほかですが、

親の存在が可処分時間を削ってしまうことはあります。

例えば、

・進路を親の介入で決める。
・親に塾に入らされた。
・夕食は必ず家族揃って食べなければならない。

など、これ以外にも考えれば沢山ありますよね?

厄介なのは、

親は、『依存』を完全に掌握しているという構造がある、ということです。

人間の根本にある五段階欲求のほとんどを、親の介入なしには実現することはできません。

そのため、子供も自身のエゴすら親に頼らざるを得ない状況になり得ます。

いや、

ウチの親は、いつも自由にさせてくれたし、反対されたこともない!

そう思ったあなた。

あなたは、幸せですね。


会社



いわゆる、社畜やブラック労働といった類も含まれます。

気づいたら、平日の全ての時間を会社のために使い、

休日出勤は当たり前。

たまの休みも資料づくりや、得意先への訪問がある。

僕もサラリーマンなので、

ここは注意して検証しなければいけないのですが、

もし、目の前の仕事が"やりたいこと"であるならば、そのままでいいと思います。

でも、それがもし、お金やプライドのためなら、

他に、その大切な可処分時間を使うところはあるんじゃないですかね。


奴隷解放宣言。


可処分時間。

つまり、自分の意志で、使える時間が多いほど、【大人】度が高いのではないでしょうか。

先生のいうことをただただ聞いて、

親のいうことをただただ聞いて、

会社のいうことをただただ聞いているうちは、

【大人】ではありません。

奴隷です。

時間奴隷です。

僕は、この社会から一人でも多くの時間奴隷が、解放されることを祈っています。




終わり。

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