見出し画像

矜持〜大切な、大切な仲間と共に〜

先週末くらいから、自分の「チーム」について考えることがありました。
”考えざるを得ない”ような感覚と言った方が正確かもしれません。

タイトルに「プライド」ではなく、「矜持」と書いた理由は、自分の描くユニバース(認識の範囲)を広く取りたかったからです。

「プライド」の語源は、フランス人が自称した言葉だったそうです。
それを見たイギリス人が「傲慢だ」と思ったことから、
・自尊心
・気高さ
と言う意味以外に、
・傲慢
・高慢さ
といった意味も内包されるようになったようです。

つまり、「プライド」は他者評価ありきの自己評価になっている一方で、「矜持」は自己評価による自己評価になっています。
相対評価と絶対評価の違いとも言えるかもしれません。

僕が何に対して「矜持」を持っているかというと、「チーム」です。

今僕の関わっているチームは大きく3つです。

個別具体的な内容は極力避けますが、それぞれに特徴や違いがあります。

・職人、専門家集団:10人
・若い機動力溢れる集団:4人
・くすぶっているが成長の伸びしろが大きな集団:3人

どれもワクワクするようなチームばかりです。

そんなチームでの役割の中で、僕は何をやっているかと言うと、「言い出しっぺ」をやっています。

”リーダー”ってほどかっこいいものではないので、あえて「言い出しっぺ」と言っています。

言い出しっぺの矜持

チームで戦っていく上で、それぞれに役割があります。
手堅く守る人、時に敵かと思うくらいにチーム状況を厳しく分析する人、メンバーを気にしてケアしてくれる人。

僕はそんなチームの中で「言い出しっぺ」の役割を担っています。

とにかく「言い出しっぺ」でいることが僕の役割です。

”あれをやろう!”
”こうしよう!”
”これやってみたから、あと何とかして!”

(うーん。。。

なんかかっこよく書こうとしてしまう。。。)

言い出しっぺの役割は二つの特徴があると思います。

①とにかくシンプル。

行動するだけです。
あとはメンバーに何とかしてもらいます。
時に傍若無人にも見える時はありますが、行動して発信してをやる簡単なお仕事です♪

②止まれない。

とはいえ、言い出しっぺの役割は誰でもできるわけではないし、逆に言うと「言い出しっぺ」の人はそれ以外のことができないケースが多いです。
なので、ひたすら「言い出しっぺ」でい続けることがチームの中での役割です。
決して足を止めてはいけないし、常に前を向いて、背中に仲間を感じながら、誰もいない先に向かって走り続けなければなりません。

それらこそが「言い出しっぺの矜持」だと思っています。

簡単なお仕事なぶん、恐怖もあるし、寂しさも感じます。

みんな助けてくれるけど、誰も助けてくれない感覚に襲われます。

でも、だからこそ、誰にでもできることじゃないし、やっていると武者震いが止まらないし、ワクワクします。

責任と矜持

僕は、チームに対して業務上の責任を超えた責任を持っています。

もしかすると、まだ持てていないので、もっと持ちたいと思っています。

僕は、チームメンバーの人生に対しての責任を持っています。

その瞬間、メンバーが嫌な思いをしたとしても、この人の人生トータルで考えて実りあるものになるのであれば、やっちゃいます。
ぶっちゃけ、嫌われてもいいんです。
僕の顔を見たくないと思ってもいいんです。

その人の人生が実りあるものになるのであれば、一向に構いません。

家族関係や夫婦関係で悩んでいるのであれば、僕の出来うる範囲を少し超えたことまでやっちゃいます。

上司との関係で悩んでいるのであれば、その場でその上司に電話もします。

それは多分、そのメンバーのことが好きだから、っていうのも一方では感じますが、むしろ、それこそが僕の「言い出しっぺ」である役割に付随する「責任」だと思います。

僕は、診断を受けたりしていないのでわかりませんが、多分、軽度〜中度の発達障害です。
以前、チェックリストのいくつかを試してみたんですが、3つ中3つとも発達障害の可能性有り/大、と出ていました。

それを言い訳にする訳ではないですが、
僕は仕事ができません。

エクセルやスプレッドシートの操作はほとんどできません。
簡単な作業くらいはできるようになりましたが。

細かい書類整理とか、パソコンのファイル整理とかもできません。

今使っているmacbookAirも、ファイルの整理がめんどくさいので、全部グーグルドライブに突っ込んで、ローカルデータは全消去しました。

そんな僕でも、メンバーに必要とされている実感を得られるのは、「言い出しっぺ」の矜持と責任を体感できる時です。

独りよがりに聞こえるかもしれませんが、
「僕が、仲間みんなを幸せにする!」と思える時に、これ以上ない幸福感に満たされます。

そして、感じたことのないようなパワーとエネルギーを感じます。

人の人生に責任を持つなんて、神様でもない限りできないと思います。

でも、それでも、持ちたい。

それが、メンバーの幸福であり、僕の幸福であるならば。

<終わり>



シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。