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美味いものを愛でる

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ジャワの農村での激辛原体験

ジャワの農村での激辛原体験

1983年の夏。

いかにもジャワの少女らしい健康的な褐色の肌とクルクルした丸い目のアニタは涙を流して笑い転げた。

中部ジャワの農村地帯に一泊のホームステイで訪れたぼくに、アニタは悪戯に、

「赤いのは辛いけど青いのは大丈夫よ〜」

と言って青唐辛子を手渡して齧らせた。

あまりの辛さに身をよじらせて悶絶するぼくを見てアニタは笑い転げていたのだ。

ぼくの激辛フードの原体

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ねぎしの牛タン

ねぎしの牛タン

 西新宿老舗シリーズ。

 昼に牛タンが喰いたくなった。
 牛タンと言えば仙台とおっしゃる向きが多い中、ぼくはやはり「新宿ねぎし」を差し置いて牛タンは語れぬと思う。
 固すぎず、柔らかすぎずの絶妙な歯ごたえの肉質と焼き加減、程よく塩をした網焼き牛タンは申し分なく美味い。
 が、これはあくまでも基本であって、ねぎしがねぎしたる理由はここからだ。

 粘り、香り、舌触りも最高の大和芋のとろろは

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関西のコーラと関東のコーラ

「関東のコーラと関西のコーラ」

40数年前の秋の夕暮れ時。

中学に入っても小学生気分がまったく抜けないぼくらは近隣の田園風景の中を自転車で日中さんざん遊び回ってひどく喉が渇いていた。

ヒロマサ君の家は地元の本屋さんだった。ルネ・シマールのサイン入り万年筆がおまけに付いた旺文社の中一時代もヒロマサ君のお父さんが配達してくれた。

その本屋さんの前にあった自販機で瓶のコカ・コーラ

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浜松で鰻の洗いを食す

浜松で鰻の洗いを食す

鰻は囁き声で切なくも懇願した。

「イツモトチガウワタシヲミテ」

蒲焼きでもない。白焼きでもない。
開いたばかりの鰻を瞬時に湯にくぐらせ氷水でしめ刺身に下ろしたのみである。どこまでもウブなのである。

鱧の湯引きの如く食する大きさに切られたものが湯の中でくるりとせしものに非ず、「鰻の洗い」と言う表現が近しいと思うのはワタシだけだろうか?

酢味噌や梅も良縁には違いない。
しかし今

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韓国料理のこと

 韓国人と一緒に麻婆豆腐を食べた。
 想像以上にかなり激辛なやつだった。
 私はそれでも完食した。
 韓国人はこれは辛いと言って残した。

 オフィスに戻って来た。

 韓国人「辛すぎて具合が悪いです。」
 私  「韓国人のくせにダメじゃん!」 
 韓国人「韓国人みんながみんな辛いものに強いって訳じゃありませんから!」

 頬を赤らめて、そう真顔で言った。
 何だか可愛らしいと思った。

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カフェ・ハイチのドライカレーを食す

カフェ・ハイチのドライカレーを食す

 「これ、ドライカレーちゅうやろ!」

 28年前、新宿 HAITI のドライカレーを初めて食べたとき、ドライカレーとはそれまでカレーチャーハンだとばかり思っていた新入社員のぼくはそう叫んでしまった。

 水分が蒸発するまでしっかり炒め込まれたカレールウが、ご飯の上にかっちり塗り固められた一見色気のないドライカレー。
 と思いきや、ドライパセリのグリーンが狂おしくも食欲を誘い、意外性をもっ

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水餃子が焼餃子より好きだから

水餃子が焼餃子より好きだから

どうして日本人は焼餃子が好きなんだろう?

焼餃子もいいが水餃子も好きだ。

本当は蓮華の上に細く短冊に切った生姜を添えて酢醤油で食べるのが好きだ。確かシンガポールではそう言うスタイルだった。

韓国ではムルマンドゥ、水饅頭と言ってやはり水餃子が主流。やっぱり餃子の中にキムチを刻んだのが入っていてスパイシーだ。

中国東北地方は焼餃子だとか言うけれど、そう言えば学生時代中国吉林省か

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酸辣湯麺

酸辣湯麺

酸辣湯麺
熱い・辛い・酸っぱい。
ヒィハァ、ヒィハァと何度も言いながら一気に食し終えた。

辛味と酸味と旨味の3つが絶妙に絡み合いせめぎ合いやがてハーモニーを醸し出す酸辣湯麺。

早春の風に頬を撫ぜられながら額のうっすらした汗と共に身体全身に満足感が満ち足りた。

鹿と鹿と鹿と

鹿と鹿と鹿と

 「ぴゅ~~」
 背後から鹿の声が聴こえた。
 振り向くと、そこは信州の森深くだった。紅葉に晩秋の木漏れ陽が揺らいでいた。
 時折風が木々を揺らす音がする。さらに耳を澄ませば、やがてはらはらと舞い落ちた紅葉の落葉を鹿の蹄が犯している。
 悠久なる大自然と野生の命の息づかい。
 そんな夢想に耽りつつ、生命を頂くことに感謝しながら、八王子の空の下、1000円のジビエ・ランチを頂いた。
 (以上、マッキ

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韓国中華のハーフ&ハーフ

韓国中華のハーフ&ハーフ

韓国中華と言うカテゴリが存在する。

ソウルにも小さな中華街があるが極めてひっそりとした佇まいだ。やっぱり近過ぎるのか?やっぱり仲が悪いのか?

それでも韓国では中華料理は人気がある。但し著しくコリアナイズされている。そして韓国では何故か中華料理屋に行くと必ず真っ黄色のタクワンが最初に供される。

日本にも主に韓国人向けにその韓国中華料理を食べさせる店が少数だが存在する。

韓国ジ

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韓国の酒、チョウムチョロム

韓国の酒、チョウムチョロム

 昨日は極めて適度にお酒を頂いたので、気持ちのいい朝だ。
 写真はチョウムチョロム。「初めてのように」と言う意味のやや胸のときめくようなネーミングが憎らしい。
 度数は20度。所謂、韓国焼酎、焼酒(ソジュ)である。
かつては、30度以上が一般的に流通していたが、今は女性も飲むようになり、中国酒のような火が点くようなキツい酒は見かけることは稀だ。
 ちなみに、今一般的に飲まれるソジュは穀物エタ

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恋するボルシチ

恋するボルシチ

 1月5日の小寒を過ぎた東京の街。
 本格的な寒さが訪れ、ぴんと張りつめて澄んだ空気に包まれると、ふとロシア料理が食べたくなる。

 熱々のボルシチ・ Борщ 。
 その深々とした紅葉色に暫し目を奪われ、次の瞬間スメターナ(ロシア風サワークリーム)の白との鮮やかなコントラストにどきりとさせられる。
 その名も火焔菜(スヴョークラ)なるビーツとトマトがボルシチの紅を彩る。
 スメターナの酸味と

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美々卯のうどんすき

美々卯のうどんすき

うどんすき美々卯の大阪本店を訪れる。

堺に200年続いた耳卯楼なる日本料亭を美々卯と改め80余年。当主薩摩氏先々代が昭和3年(1928年)に考案したうどんすきは今では一般名詞化したものの美々卯の登録商標である。

実に四半世紀余りを経ての再訪である。学生時代留学生と一緒に恩師にご馳走になった。活け海老を直接鍋に入れるのを見て米国人女子学生たちが怖がってかしましく大騒ぎしたことが懐かしい。

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法善寺串の坊の思い出

法善寺串の坊の思い出

 84年のある夏の日、大阪ミナミは法善寺の串カツの老舗「串の坊」本店。

 カウンター席でボクの隣に座ったサンドラは、芝海老に紫蘇の葉を巻いてさっと揚げた、そのひと串をゆっくりと食べ終ると、いつものようにとてもはにかみながら、蚊の鳴くような小さな声で、それでもいくらかは嬉々として、「トテモオイシイデス!」と言った。

 サンドラは日系3世の米国人留学生だ。可憐な長い黒髪で、少しだけだけどアグネス・

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