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20190510_029_「インナーチャイルド」、舐めてました その2

昨日記事にした、「「インナーチャイルド」、舐めてました その1」で、初めてインナーチャイルドと向き合ったこと(やり方としては、特定の年代の頃の自分をイメージしながら当時の自分へ手紙を書く、ヒーリングする、チャクラをイメージしてアロマを使うなど、色々と。最初は一人では入り込みにくいので、ナビゲートしてくれる誰かに手伝ってもらうと向き合いやすいかも)、イヤイヤながらも!?続けて行くことで、心を擡げる癖や自分でもどうしようもないなぁと思っていた面(人と誰かを比較してしまったり、自分に自信がなかったり、劣等感があったり)が不思議とお空にかえっていったような、消えて無くなっていたということに気づいた。

35歳をすぎてから、なぜか引き寄せるかのごとく機会が増えている幼少期との自分との向き合い。続編の今日は、昨年秋からイベントのコーディネイターをしながら、参加できることになった、ルドルフ・シュタイナーのバイオグラフィワークについて。ちなみに、シュタイナーの中では、「インナーチャイルド」という単語は出てこない。

人生には、繋がりとリズム(規則性)がある  byルドルフ・シュタイナー

神智学を超えて「人智学(アントロポゾフィ、日本語にすると人間の叡智、の意味)」を提唱したルドルフ・シュタイナー(1861年-1925年)。
2017年の秋のこと。ご縁をいただきインドの最北部ラダックへ旅する仲間の一人に、人智学、特に植物学を専門とする先生がいらしたのだ(先生のププロフィールにはアントロポゾフィー薬学認定薬剤師と肩書きがある)。
舗装もされない険しいヒマラヤの山道を車で何時間揺られたことか。毎夏スイスの山への植物観察を欠かさずに行なっていて移動に強い先生と、車酔いのない私、同情するメンバーの大半が車酔いでぐったりとする中、グラングランに揺れるミニバスの中で、好奇心爆弾の私、例のごとく先生に、

「なぜシュタイナーを学んだのか」
「シュタイナーの考える植物とは何か」
「スイスの山とヒマラヤの山との違いはどうか?」
(先生は世界中旅されているので)「美しいと感じた景色はどこか?」


などなど、たくさんのヒアリングをさせてもらった。
人生の体験が豊富で、そして自分が経験してきたことを友好的に世界へ還元しようと愛をもって生きている方のお話は、話をきいているだけですっかり旅に出た気持ちにさせてもらえ、自分自身が三次元を超えた気持ちになれる。私の心はすっかりドイツ、オーストリア、スイス、時にはイギリスへと…。

「バイオグラフィ」って何ですか!?

その会話の中でのやりとり


先生:「私が◯◯歳の時に病気をして、◯◯歳の時に結婚をして。そこでずっと諦めることのできなかったことを、◯◯歳の時に実行する時になって。
バイオグラフィーで振り返ると、その通りの規則性がみつかったんです


と。

私:「先生、バイオグラフィーって何ですか!?」。
なんというか、昔から人の話を聞いていても、本を読んでいても、たとえばパソコンで情報収集をしていても、自分にとって大切なキーワードはとても重要性を帯びて振動するように受け取る傾向がある。

ふと下をみるとインダス川、舗装がほぼされていない険しいヒマラヤの山道に揺られるバスの中。その時はワークを受けてみたいなという淡い願望しかなかったけれど、1年後、実際に先生からワークを受ける機会をいただくことができた。それは、いざ取り組んでみると、震えるほどに、ものすごい気づきが得られるものだったのだ。

生命の軌跡を辿ると、そこには確かな”つながり”と”規則(リズム)”がある

シュタイナーの考えでは「7年サイクル」といって、年齢を7年ごとに区切って、それぞれの時期に大切なテーマがあるとされる。
0歳の誕生を起点に、63歳が定年、その63年間を7つに分けてそれぞれのサイクルごとに生きる上での主テーマがあるのだ。
たとえば以下のように。

●「心身の成長」が主題の0〜21歳
0-7歳(月、善を養い「肉体」を育てる)、7-14歳(水星、美を養い「生命体」を育てる)、14-21歳(金星、真実を養い「アストラル体」を育てる)
「魂の成長」を主題とした21歳〜42歳
21歳で「自我」が誕生
21-28歳(テーマ:関係性)、28-35歳(テーマ:構築)、35-42歳(テーマ:問い)
「霊的成長」を主題とした42歳〜63歳
42-49歳(テーマ:葛藤)、49-56歳(テーマ:創造性)、56-63歳(テーマ:本質)

今回経験させてもらったワークでは、0歳〜42歳までの6回にわけてそれぞれの年齢域をクレヨン、水彩絵の具、粘土といった、道具をつかって、当時の自分に語りかけるように向き合いながら、振り返って行く。
粘土に触れたのも30年ぶりくらいか?というほどの久しぶりの感触だったが、この経験、この時間での気づきが、本当にとっても深いものがあり。
涙が出そうなほどの悲しみを思い出したあの瞬間よくわかったのが、指先の触感の、手先指先を動かして行くことが、すっかり記憶の彼方へと忘れ去られた記憶のトリガーのきっかけとなるようだ、ということ。

何をして、何に気づいていったのか、ということは、また次の記事に。

人生最初で最後の覚悟でblog連続更新、まずは、向こう1年を目標にスタートしました。今日で29日目、29/365となりました。
読んでいただきありがとうございます。

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