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[理系による「映画」考察] 赤西蛎太(1936) ➡お笑いの"天丼"(ボケを繰り返すこと)と"間"を多用する落語的傑作映画

よくある時代劇的なやつに歌舞伎っぽさを加えた映画かな、とあまり期待せず観たのですが、全く異なり、"知的に人を笑わせる"という分野における傑作でした!

まず、全体的なバックグラウンドは落語にあると思います。按摩の安甲の演技自体はそのまま落語家ですし、江戸時代を舞台とした人間味あふれる創作ストーリの中にお笑いを混ぜてくるところが、落語の映像化を試みた作品とも言えます。で、実際、落語で笑ってしまうのと同じ笑い方をしてします。ここで言う、"落語で笑ってしまう"、とは比較的長いストリート展開における"良い意味での裏切り"と"王道のボケ"の混合によるもので、現代の漫才やコントのように一気に沸点には達しませんが、じわじわと温度が上がっていくぶん、蓄積されるエネルギー量は多いです。

具体的に、"良い意味での裏切り"と"王道のボケ"の混合が使われている箇所を記載します。

まず、銀鮫鱒次郎が鱶平に雪降りしきる中で、"なあ、鱶平"、と用事を頼むシーンです。ここでは、同じパターンを繰り返す"天丼"を使っています。しかも、4回です!(普通、天丼は3回で、観客は4回目があることで裏切られます)。かつ、芸がかなり細かく、雪を払う行為、をきちんと入れて用事が面倒であることを分かりやすく描写し、3回目で笑いをとれるようにしてあるにも関わらず、4回目の、"うわー、旦那、ご勘弁を"、でさらに笑いが取れ、目付の振り、でさらにもうひと笑いとっています。

次に、最後の"今日はそうゆっくりもしていられない"のシーンです。ここも4回です…(天丼の4回目は飽きられるリスクが高いので、超高等技術なのです)。さらに、細かいところまで設計されており、まずはこのシーンに入る前の、さざ波が着替えに時間がかかっている描写による全体への前フリ、そして、最後のシーンが昼から夜に変わっての"まだ早うございますから"のボケに対する"あんまりゆっくりできない"のボケにボケを重ねる、とまあ日本人を笑わす最高のコントになっています。

また、上記2つの会話の"間"も、笑わせるように設計されています。
前者は会話のあいだの"間”が比較的長いです。これは、"間"が長いことで緊張感を高める効果を狙ったものだと思いますが、その分、ボケの面白さが増大する仕掛けとなっています。
後半はゆったーりした会話の"間"になっていますが、"ゆっくりできない"のボケの面白さがそのままストレートに増大する仕掛けとなっています。

それ以外も笑わせる要素が多分に含まれており、日本人の笑いのレベルは世界一で、そんな中、"人を笑わす"のは、実際とても難しい作業なのですが、それをスマートに実現しているのです。

また、お笑い以外でも、猫と天井裏ネズミが、"赤西蠣太が実はスパイ"、を暗示している等々、とても知的な面も持つ傑作ですよ!

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