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散文、あるいは小説のような

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電話は鳴らない

電話は鳴らない

鞄からガサゴソと鍵を探し、「ただいま」と、声をかけ家に入る。誰が待っているわけでもないから返事などないのだけれど、口癖のように「ただいま」と声をかけてしまう。
仕事帰りに、スーパーに寄り買ってきた物を手早く仕舞い、とりあえず腰を下ろす。そうして一息ついた後、慌てて洗濯物を取り込み、夕飯の支度をする。

今日も、いつもと同じ一日だった。同じように見えて、同じじゃないかもしれないけれど。

大きく吐き

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思い出は向こう側に

思い出は向こう側に

久しぶりに彼の夢を見た。確かに彼だった。だけれど、彼の顔はのっぺらぼうになっていて、まるで思い出の輪郭だけになってしまったようだった。それでも、私は楽しそうに、時には泣きそうにお喋りをする。今までの事、今日あったこと、昨日の話。それはもうとりとめもなく。

そんな時間が永遠に続くと思ったけれど、そんなに甘いものでもなく、彼から「彼女にバレると面倒だから、やっぱり俺の携帯に入れたお前のアドレスは消す

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最大の失恋

最大の失恋

彼女と知り合ったのは、19歳の時だった。
慣れない場所で、知り合いもいなくて、挙動不審になる私を、まるで、どうってことないよと言うみたいに、たわいもない話をたくさんしてくれた。明日の天気とか、夏と冬とどちらが好きかとか、ほんと、どうでもいいような話ばかり。それでも、ひとしきり話した後、「また、明日ね」と言ってくれた彼女の声は、とても柔らかかった。

艶やかで柔らかく風になびく黒髪を目指して、髪を伸

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日々

セットしていたアラームが五時を告げる。外はまだ暗いけれど、私の一日は始まった。お弁当を家族分作って、家族を順番に起こしていく。洗濯もしながら時間は刻々と過ぎていく。

一昔前に流行った歌を口遊ながら、今日の事をゆるりと考えてみる。人と会う予定も、出掛けなければいけない諸用もないから、今日はどうとでもなる。もう随分涼しくなったから、ちょっと散歩してもいいし、読みかけの本を読んでもいい。だけど、誰にも

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私と彼女

彼女と出会ったのはただの偶然だった。いつもと変わらない人の流れの中で、たまたま肩があたり、挨拶を交わし、ぽつりぽつりと話すようになって、そして彼女の輪郭と内面を知った。

挨拶を交わしただけなら、きっと出会ったなんて思いは抱かなかっただろうと思う。そして、私と彼女はそれだけの人で終わったのだとも思う。

憂いたまま、彼女がこちらをみて聞く。
「ねえ、なんでさ、私はここにいるんだろうね」
その問いに

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元恋人

久しぶり、元気にしてた?から始まったメールは、忘れかけていた、二年も前に別れた元恋人からだった。アドレスを辛うじて朧気ながらも覚えていたのは、当時は本気で好きだったからで、そこにはそれ以上もそれ以下もない。

とりあえず、元気ですと返信する。するとどうでもいいような事ばかり返ってきて、お前はいつも優しかったよなと締めくくられていた。そりゃ、好きな男には優しいわよと内心毒づきながらも、普通だよと返す

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恋ではないが愛かも知れない。

情熱的であったかどうか、もう、そんな事は覚えてなどいない。ただ彼の一言で一喜一憂し、妄想など一人前にこなし、夢見るような恋だった事は間違いない。

そんな恋の輪郭が曖昧になり、情熱の欠片もどこかに行って、穏やかに2人の時間が流れるようになった頃、ぼんやりと恋が愛に変わった、気がする。

ただ特別な事ではなく、当たり前のように、そばに居て笑って、明日の天気の話をしながら、晩ご飯は何を食べようかなんて

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思い出、はらり

「もう、泣かさない」と約束してくれたのはいつだっただろうかと、戻ってこなくなったあなたを思い出していた。なにかある度に、少しも上手にならない言い訳を受け止めてやり過ごして、涙よりもため息が増えていったあの頃。そういう意味では確かに「もう、泣かさない」という約束は果たされていたのかもしれないと、ぼんやり思う。

今年も、あの人が嫌いな冬がやってこようとしてる。一度も私は冬が好きだと言えなかったけれど

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二人

晴れだという天気予報は外れてしまった。いつもの夜がもっと深く黒くなった気がする。だからなのか、アスファルトを照らす車のヘッドライトが反射して、余計に眩しい。予定もない明日をどうするか、そんな事を考えながら、ハンドルを握る彼の横顔を、ひそりと眺めていた。

私たちどうなるの、どうするのと彼に聞ければ、一番いいのだけれど、聞けないし言えないし、聞いたところで彼の返事は曖昧なものだという事もわかっている

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