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中世ヨーロッパにおける有色人種とアフリカ系住民の歴史

前置き

御存じの通り、中世ヨーロッパ風な世界観(名前、建築様式、街並み、気候、服装、社会制度等)にインスパイアされているなろう系のファンタジーや異世界モノ、そしてなろうじゃないラノベ発のハイファンタジー系を描いてきた日本作者が数多くいましたが、白人ばかりの世界観を描く作者もそう少なくはないですよね?

日本の一部には『中世ヨーロッパはどうせ白人ばかりだったから、登場人物をすべて白人にしても普通だ』もしくは『黒人キャラとか黒人騎士や魔導士を中世ヨーロッパ世界観で出すのは違和感しかない』って思う人も少なからずいることは事実である。

しかし、ごく少数だけれど、中世ヨーロッパにはちゃんとしたアフリカ系の人達や他の有色人種も住んでいましたよ?これから詳しく解説していきますが、『中世ヨーロッパだから黒人出したら違和感しかない』という思考自体が間違っている考えであり、ひいてはヨーロッパ史と現代欧州においてのマイノリティー系に対する差別発言と受け取られても仕方ないんです。

ですから、もし黒人キャラを作品に出したくないならば、中世ヨーロッパ史を理由にするのではなく、単純に『うちの作品には黒人キャラの上手い扱い方が分からないから、あえて出さない』といった方が差別発言ではなく純粋に執筆能力と知識不足の問題だけになります。なので叩かれずに済みます。

でもType-Moonといったお金に潤っている会社ならば、フランス史のマイノリティー系偉人であった【シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ】を是非、キャラクターとして出してほしいと筆者が願っております。だって、サン=ジョルジュさんって、シュヴァリエ・デオンとフェンシング試合したことありましたよね?

シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ対シュヴァリエ・デオンを描写した絵画

なので、シュヴァリエ・デオンだけ出してシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュを出さない方が違和感に思えますね。もし面識や接点がないならまだしも、会ったことだけじゃなくて戦ったこともあるならば尚更シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュはFGOに登場すべきだと思っております。

無論、マイノリティー系のヨーロッパにおける努力、犠牲や労働と貢献に対して労いたい気持ちのある他の会社や日本作者がいるなら、黒人キャラを欧州ファンタジー作品に出すのはとても素晴らしい行動だと筆者が思っております。ではでは、まずはヨーロッパにおける少数派の史実について解説していきます:

中世ドイツの文学と芸術における黒人の表現

まずは、上記のPDFをご一読下さい:

引用:

"The tendency of some historians to refer to the inhabitants of North Africa as predominantly Caucasian, or as "Non-Negroid" has a long tradition. Despite several primary Roman and medieval Arabic texts which describe the peoples of North Africa as Black, some modern scholars such as C.G. Seligman, have described the peoples of northern and northeastern Africa as "Hamites". "Hamites" are allegedly a branch of the Caucasian race which is said to have brought civilization to the "slower-witted negroes" of the African continent. These Hamites are called Europeans despite the fact they are to all appearances Black. Some modern historians have also perpetuated the myth that if Black African kingdoms were so powerful and successful, it was because European peoples ruled them. For example, Bovill writes that the medieval African empire of Ghana was ruled by a white dynasty, but the people there were Black Mandingo"

上記PDFの引用の翻訳:

一部の歴史家が北アフリカの住民を主に白人、または「非黒人」と呼ぶ傾向には長い伝統がある。北アフリカの人々を黒人として描写しているいくつかの主要なローマおよび中世のアラビア語文献にもかかわらず、C.G. のような一部の現代の学者は、セリグマンは、アフリカ北部および北東部の人々を「ハム人」と呼んでいます。 「ハム人」は、アフリカ大陸の「知恵の遅い黒人」に文明をもたらしたと言われているコーカサス人種の分派であると言われています。

これらのハム人は、どう見ても黒人であるにもかかわらず、ヨーロッパ人と呼ばれます。現代の歴史家の中には、黒人アフリカの王国があれほど強力で成功したのは、ヨーロッパの人々が王国を統治していたからであるという神話を永続させている人もいます。たとえば、ボビルは、中世アフリカ帝国のガーナは白人の王朝によって統治されていたが、そこにいた人々は黒人のマンディンゴだったと書いている。

筆者の見解:明らかに黒色人種の帝国であったガーナをまるで白人支配層が統治していたかのように言われていたことが明らかなWhitewash【ホワイトウォッシュ】発言ですね。 

リトルマーメイドといったフィクション作品の肌白かったキャラを黒人が演じるよりも、明らかに黒色人種が統治していた国をまるで白人支配層が統治していたような嘘を歴史家が言った方が何十倍も深刻なことですね。歴史改竄になりますから。

もしかしたら、そういった白人至上主義の歴史家は今度、マンサ・ムーサというアフリカ人の王様が統治したマリ帝国のことを本当は白人帝国だったと言い出すかもしれませんねw

そして、下記の記事もご一読下さい:

白人ばかりのヨーロッパは神話ですか?

引用:

Redditの質問者、ログナーによる問い:
中世ヨーロッパを舞台にした番組で黒人が登場すると、必ず「意味がわからない」「当時のヨーロッパには黒人はいなかった」という大きな抗議が起こる。しかし...これは本当ですか?たとえこれを誇張として読んだとしても、ロムがすべてを支配していた時代に多くの非ヨーロッパ人が移住して定住したはずなので、ヨーロッパにはかなりの数の非ヨーロッパ人が住んでいただろうと想像します

それに答えたKelpie-Catがこう解説しました:

それは完全に神話です。 中世ヨーロッパの多くの地域には、少数派の黒人やその他の有色人種が存在しました。 私たちが「黒人」を定義する方法が当時と現在でどのように異なっているかについて、通常の免責事項が必要です。 時々、人々は出身地によってのみ識別されることがありました。 ベーダはハドリアヌス司教を「アフリカ人種の男」とどのように表現しているか。 これは、中世ヨーロッパ人は肌の色に完全に気づいており、時々コメントしていましたが、それが人々を世代、つまり「人々」に組織する主な方法ではなかったからです。 通常、言語、宗教、出身地がより重要な要素でした。

話を続ける前にもう一つ免責事項を述べておきます。多くの白人至上主義者は、中世の北アフリカ出身者は誰も黒人ではありえないと主張したがりますが、中世には北アフリカの黒人はたくさんいました。

北アフリカは、人々が「イタリア人よりも暗くない」ある種の白いオアシスだったという考え(私の教師の一人がかつて主張しようとしたことです)は、北アフリカとイタリアの間の貿易、旅行、交流の証拠を保持しません。 大陸の他の部分。

東アフリカの大部分はイスラム教であり、アフリカの一部は何世紀にもわたってキリスト教徒であり、サハラ砂漠を越えて奴隷、金、象牙、塩の大量の取引が行われていました。

黒人は北アフリカとの知的・経済的ネットワークに深く結びついていた。たとえば、カイロに本拠を置くファーティマ帝国には数千人の黒人奴隷がおり、その多くが社会の地位を非常に高くし、大きな成果を収めることができたことがわかっている。

個人の富(例えば、シット・アル・ムルクの奴隷の一人であるマリハは、別の奴隷であるタカルブの死後、シット・アル・ムルクの富の多くを相続した)。


AIアートによって生成された黒人男性騎士と色白な王女様のカップル



さて、それはさておいて、黒人やその他のPOC(有色人種)の存在が最も否定されている場所の一つ、イギリスにおける黒人やその他のPOCの証拠をいくつか見てみましょう。 最も有名な例はカンタベリーのハドリアヌス司教です。 アフリカ人であることが黒人であるかどうかについては、多くの議論がなされてきた。 それは確かなことではありませんが、その可能性は確かにあります。 中世イングランドのほとんどの人々は、彼らの生活について書かれた情報源を持っていないため、代わりに考古学に目を向けます。

ケイトリン・グリーン博士は、青銅器時代から中世盛期にかけてイギリスに移住したアフリカ人に関する考古学的証拠について、非常に有益なブログ投稿をまとめました。

歯の酸素同位体分析により、誰かが地元の水を飲んで育った場所がわかります。 英国のすべての遺跡がこの分析を受けているわけではないが、分析を受けている遺跡のうち、グリーン氏は一部の人々を驚かせる結果をまとめている。 各期間の酸素同位体を検査した施設のうち、北アフリカの起源と一致する少なくとも 1 つの結果を示した施設の割合がこのグラフに記録されています。

ご覧のとおり、中世初期の割合はローマ時代や中世盛期に比べて小さいものの、中世初期の遺跡の 13.8% で、北アフリカで育った少なくとも 1 人の人物がそこに埋葬されている証拠が依然として示されています。 中世盛期には、その数字は 28.6% に上昇します。

中世イギリスを舞台にした映画で、場所の 13 ~ 29% に北アフリカ出身者 (つまり、おそらく白人ではない) が登場する映画を何本見たことがありますか?

これらの人々は誰で、どうやってイギリスに来たのでしょうか? 彼らの多くは、イギリスがその構成国がキリスト教に改宗したときにその一部となった教会ネットワークを経由して移動した可能性があります。

たとえば、12 世紀または 13 世紀にホイットホーンに住んでいたある人物は、酸素同位体分析によってナイル川デルタで育ったことが証明されます。

ウィットホーンは、スコットランドで最も古く、最も重要な初期の修道院跡の 1 つです。 ハドリアヌス司教と同じように、この人もはるか遠く離れた場所で人生をスタートさせながら、最終的にはイギリスの宗教共同体に所属することになりました。

奴隷として来た人もいるかもしれない。 バイキングは北アフリカを襲撃し、アイルランドの歴史書によると、9世紀に彼らは捕虜となった多数の「青い人」をアイルランドに連れてきて、彼らは長年そこに留まりました。 アイルランド語で黒人を表す言葉は「青い」人々であり、ゴームという言葉は「青」を意味しますが、暗い表面の虹色や光沢も指します。


イスラムの情報源は、現時点でモロッコ周辺でバイキングが活動していたことを裏付けています。 アイルランドでは奴隷制が主要な制度であったため、これらの黒人男性はおそらく地元の奴隷集団と結婚し、子孫を残したものと考えられます。

英国の墓に埋葬されているのを発見したすべてのPOCについての説明はありません。 たとえば、ノース エルムハムの大聖堂墓地では、西暦 1000 年頃の女性が埋葬されているのが発見され、その頭蓋骨の形は、そこに埋葬されている他の人々とは著しく異なっていました。 頭蓋骨の形状から人種を分析することには科学的人種差別に端を発する非常に暗い歴史があるが、ノース・エルムハムの女性の鼻腔と顎の構造は他の頭蓋骨よりも非常に際立っているため、研究者らは彼女がおそらく黒人女性であると結論付けている。


スペインのアル・アンダルス王国も、相当数のアフリカ人やアジア人が住んでいたであろう場所です。


イスラム世界は北アフリカと東アフリカを越えて西アジアの大部分に広がっていました。 10 世紀のカリフ アル ハカム 2 世は、イスラム世界全体から学者 (一部のキリスト教徒も含む) をコルドバの宮廷で学び、ラテン語とギリシャ語の文書をアラビア語に翻訳するのを手伝ってもらうよう招待しました。 彼は、バグダッド、コンスタンティノープル、カイロ、サマルカンド、ダマスカスに本を買ってもらうために、コルドバの図書館の責任者だった奴隷の女性ファティマを派遣した。

もちろん、当時の西アジアのイスラム都市には黒人アジア人がたくさんいたし、ヨーロッパに旅行する人もいた。 有名な例の1つは、アブ・ル・ハサン「アリ・イブン・ナフィ」で、「クロウタドリ」を意味する「ズィリャブ」というあだ名でよく知られています。


現代作家のイブン・ハイヤンによれば、彼は非常に暗い肌色、美しい声、そして「性格の甘さ」からこのあだ名が付けられたという。 ズィリャブはバグダッドのアッバース朝宮廷から解放された奴隷だったと考えられている。

彼は王子アル・ハカム1世からアル・アンダルスに来るように誘われ、コルドバに定住し、宮廷から高額の給料を支払われ、カリフ「アブド・アル・ラフマン」の親しい友人になりました。

ズィリャブはアンダルシア文化に革命的な影響を与えたと信じられています。 彼はアッバース朝宮廷の音楽スタイルをヨーロッパにもたらし、そこで非常に人気になりました。

彼がコルドバに設立した音楽学校は、彼の時代の後も何世代にもわたって続きました。 彼の生徒には奴隷の少女歌手も含まれており、彼女たちはアッバース朝に非常に人気があり、アンダルシアの宮廷で音楽的に有名になりました。

彼はアンダルシア音楽スタイルの父の一人とみなされており、彼の生徒たちは彼のスタイルを北アフリカの他の地域やヨーロッパにもたらしました。 彼の家族は彼と一緒にスペインに移住したため、彼の子供たちの何人かは著名な音楽家になりました。 その中には彼の2人の娘ハムドゥナとウライヤも含まれていた。 ハムドゥナはその音楽的才能で非常に有名だったのでコルドバの宰相と結婚し、妹のウライヤは父親の音楽的顧客のほとんどを受け継いだ。

引用先はこちらのスレ―です:

https://www.reddit.com/r/AskHistorians/comments/otknk2/is_white_europe_a_myth/

アフリカ黒人だけじゃなくて、肌の濃いアジア人やアラブ人も中世ヨーロッパにいました


AIアートによって生成された異人種間恋愛のカップル。ちなみに、両方が悪役で、物語は悪役視点から語られるが、途中で男の方が心変わりして善人になってヒロインを更生してみる

北アフリカだけじゃなくて、中世ヨーロッパにはちゃんとした黒人や肌の濃いコーカソイドやアジア人の人達も住んでいました。

たとえその【ごく少数な人口】が1万人以下であろうとも、それは十分にファンタジー世界において、アラブ系の傭兵、日本人の転生者、モンゴルっぽい敵国、黒人騎士、黒人貴族、黒人留学生、黒人外交官、黒人旅人、黒人商人や黒人魔導士といったキャラくらーのタイプを出すことに関して、何も不思議さや違和感のない行為であり、むしろ出さない方が【マイノリティー系の排除】と揶揄されても仕方がありません。

なので、ハイファンタジー作品を書く場合、たまには褐色肌をしているコーカソイドやアラブ人っぽい男性や黒人男性を主人公として出しても違和感ではなく、当時のヨーロッパにあり得たことなんです。

欧州にインスパイアされたファンタジー世界だからといって、全ての作品の主人公を色白とか白人主人公にする必要はありません。

韓国産漫画のように、褐色や黒人男性と白人ヒロインの主役コンビがメインとして活躍する作品も作れるという訳です。エロゲーとして出されたらもっと筆者が嬉しいく感じますw

現に、中世ヨーロッパが舞台の異世界アニメにも数多くのアジア系の日本人主人公が活躍しましたし、ヨーロッパのマイノリティー系である黒人や中東系の人達の存在を認めたり、貢献を労う形として、日本のエロゲーメーカーも中世ヨーロッパ風なファンタジーに主人公が黒人男性かアラブ人男性の作品を作った方が良いですね。

だって、マイノリティー系も何らかの形で社会に労働を提供したり、功績を残したり、貢献していたのに彼らだけを作品の主役から仲間外れにされるのは酷いことだと思いませんか?

舞台の大半数の人口に反して、マイノリティー系が主人公として活躍した作品の例:


1.ドラゴンボール

主なスタートし舞台である【地球】は地球人が主な人口なのに、クリリンという地球人が主人公ではなく宇宙人の孫悟空が主人公。

2.スーパーマン

主な舞台は地球だけど、ごくごくマイノリティー系であるクリプトン星人であるスーパーマンが主人公

3. 異世界アニメの殆ど

主な舞台はハイファンタジー世界で欧州人っぽい人ばかりいる世界観なんだけれど、ごくごくマイノリティー系の転生者や転移者である日本人主人公が活躍します。

4.黒人男性もしくは肌黒い人間の男が主人公で白人美少女がメインヒロインのエロゲー

なので、中世ファンタジーの作品にて、マイノリティー系である黒人男性の騎士が主人公で白人美少女がメインヒロインのエロゲーが作られてもいいのではないでしょうか?


AIアートによって生成された多様性あるカップル


韓国産のWEBTOONS作品、【皇女の宝玉達】に登場している皇女と肌がとても濃い男性主役キャラ。こういう男性が主人公の中世ヨーロッパ風なファンタジー系エロゲーがあればいいなって思っております


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