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こんなことしてて何になる?

昨日、仕事というか付き添わせてもらった程度だけど仕事に行き、家から外界に出て、普通の人たちの世界、世間を目にして、いかにこうなる前の自分、つまりメンタル不調や離婚を経験させらている前の普通の暮らしができていた自分が幸せだったんだろうと思った。

狭い道を行き交う人たち。そんな細い路地を気にせず走り抜ける車たち。踏切を横切る電車に乗車して移動していく人たち。洗車場で車を洗う人たち。街にはあふれる様々な人たちは一様に忙しそうでつまらなそうな顔に見えるけど、そんな人たちを、自分がうらやましい目で見ることになるなんてね。

きっと普通のこと、それができることにその人たちは何の疑い持たず「当たり前」とすら考えもしてないだろう。かつての自分がそうだったように。

もちろん人それぞれに、悩みや問題はあるんだろうけど、それでも強い不安もなく移動できて、買い物ができて、仕事に行けてるような人たちを見たら、自分が情けなさくて、自分がくやしくなった。

そんな「当たり前」とすら考えもしなかった、ふつうのことをするのに、今はとてつもない勇気がいるだなんて、いったいどうなってるんだろうね、人生って。

もう50も過ぎたから「右上がりに成長し続けろ」とは言わずとも、右下がりにガンガン下がるってどういうことだよ。小学生だってひとりで学校に通えるし、授業を受けて帰ってくるのにね。

「きっと頑張りすぎたんだよ、自分は」とか「今は取り戻すべくエネルギーを蓄えている時期ななんだ」とか、「ここからがスタートだ」とか、正直、思えないんです。

昨日、久しぶりに仕事ができて、また今日みたいに家にひとりでいるとさ、オレはいったい何をしてるんだよ、と悲しくなってくる。

当たり前を当たり前のように過ごす人たちを見て、今朝は人生への悲観が強い。だから、妻が思い出されるエネルギーが無いのか妻を思うことは少ないけれど、それでも無いわけじゃないからそれもしんどい。

いったい、いつまでこんな何の生産性もなく、誰の役にも立てず、パートナーも家族もいない。自分も苦しいだけで、まわりからは「もったないよな」と言われるような状態を続けなければならないのだろう。

こんなことしてて何になるんだろう。

こんな状態で生きてなんのためになるんだろう。

先日、薬を持ってきてくれた薬剤師さんにぽろりと言ってしまった。
「何のために生きているのかわからないんです」と。

そうしたら
「そんなこと考えないで!」
「私も頑張って薬を持ってきてるんだから、悲しいこと言わない!」と言われて、薬剤師さんのためにも頑張ろう、と思った自分。

誰かのためには頑張れるんだけどな・・・。


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