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聖徳での4年間。福祉の学びと素敵な人達との出会いが、私を変えた

自立支援医療と就労移行支援。大学に入ってから得た知識。私は私を生きるために、聖徳で社会福祉を学ぼうと思った。卒業を控えた今だからこそ、そう思う。

私は聖徳の社会福祉学科で、4年間学べてよかった。本当に。(まだ卒業確定していないけど)

2ヶ月程前、自立支援医療が認定されてから、通院時の医療費が1割負担になった。その時、3割負担との金額の違いに心底驚いたこと、今でも覚えている。

就労移行支援については、まだ利用したいなあと漠然と考えているだけ。それでもこの制度だって、それがあることを知ったから、使うかどうかを今、悩めているのであって。知らなかったら迷いすら生じない。

だからこそ、知識って生きる上で必要だし、時には自分を守ってくれるんだと思う。

昔から私には、漠然とした不安がある。それが3年前、医師によって"社交不安障害"と言う名前がつき、服薬治療を行えることになった。

服薬治療によって、昔よりかは私は、確実に生きやすくなったことは事実。ただそれでもまだ、私には生きづらさがあって。

それは例えば、私が物事の機微に敏感が故に、他者の言動に自身の精神的影響を受けやすいところとか。

後は何かこう、私は「生きる」だとか「働く」ことへの捉え方や考え方が、世間一般よりも多く欠如しているような気がする。

聖徳に入る前、私は社会と他人に不信があったし、生きることに絶望していた。

特に、学校は社会の縮図だと、父親から刷り込まれていた、中学生時代の私。

その時の私と言えば、"これが社会のすべてなら、私はもうこの社会では生きられないし、生きたくない"。そう思っていたのを、今でも克明に覚えている。

でも、聖徳に入って、その考え方は一変した。徐々に、私は他人を信じることができるようになった。そして社会は、私が思うよりも温かくて、優しいことに気が付けた。

友達がたくさんできて、かかわっていくうちに、弱さを曝け出せるようになった。そして私が、その弱さを曝け出した上でも、それまでといい意味で、何も変わらずに接してくれる友達には、本当に、感謝の気持ちでいっぱい。

加えて自分の弱さを話せる、先生に出会えた。先生に対して、助けてを言えるようになったし、困っていることを素直に言えるようになった。

授業の時は前後の時間に質問とか、雑談をできるくらいには親しくなれた。これも大学に入ってからできるようになったこと。

ただ関係性が緩くなってしまった結果、ある先生から言われた言葉に対して、1年間ほど苦しみ、心が傷付いたこともあった。それさえも今では多分、乗り越えられたんだと思う。

そしてその全てが、私という人間を、大きく変えるきっかけになった。

福祉を仕事にしている人達から学ぶ福祉は、私自身、とても楽しかった。ただ私は、学べば学ぶほど、福祉を生業にするのは向いていないなと、悟った。

だから私は、それまで目指していた、社会福祉士と精神保健福祉士の資格取得への道を、結果的に退いた。

だけど上述したように、自立支援医療や就労移行支援等、知れたことで実際に利用することができるようになった制度もある。だからこそ、これらを学べたことは無意味なんかじゃなく、寧ろめちゃくちゃ、意味のあることなんだと思う。

正直、福祉を学ぶだけなら、他の大学とか学校でも、よかったんだと思う。

でも、私にはそれと同じかそれ以上に、聖徳で出会った人との関係性を、これからも大切にしたいと、私は思っている。

そこでは先生も友達も、立場も役職も関係なく。私が、素敵だなって思えた人達と、大きな括りの中で。同志とか、仲間で在りたいなって、すごく思う。

加えて、聖徳に通わせてくれた、両親への感謝の気持ちを、忘れずにいること。お金を稼げるようになったら、必ず親孝行をすること。

だから、まだ自分からは死なないようにしたいなあと思う、今日この頃。生きる理由なんて、難しく考えなくても、そんなもんでいいのかもしれない。



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