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2021年12月15日「人生って分からんもんだ」

昨日と今日と読書がはかどらなくて、ちょっとだけ落ち込んでいた。けれどもよくよく考えてみたら、本が読めない日があったって良いんだし、読めなかったことを引け目に思うことは無い。読みたい時、読める時にガッツリと読むことだってあるし、その反対に全く本が読めない時があるのは当たり前じゃないか、と気づいた。

「本が読めない」と感じるのは、「本が読める」を経験しているからだし、どちらか一方しか経験していないなら、「本が読めない」なんて悩みも無いんだものね、と読書を全くしない夫を見ながら思う。

夫は本を読みたいと思ったことが人生で一度も無いらしいし、それを言うなら私の両親だって読書には全く縁がないので、読書の習慣があるのは家族で私だけなので、「本が読めないなんて私は最低だ!!」なんて卑屈に感じることは無い。

ただネットの世界には読書で知識をどんどん増やしている人たちがいて、そういった人たちをSNSなどで見かけるたびに、もっと頑張らなきゃ!!と自分を責めてしまうことがよくあって、そういった流れは不毛だし、人と比べることに意味はないと分かっていても、どうしたって比べてしまう、それは今まで生きてきた状況が「人と比べる社会」だったのだもの、仕方がないよね、と考えたりしていた。面倒くさい考え方をしているね。

そんな今日の読書は『分別と多感』を少しだけ。

常に冷静で(いようと努力している)周囲に気を配ることを忘れない姉と、自分の感情を抑えることが難しく、自分の思いのままに行動してしまう妹。おそらく、一般的な長女と次女の違いが表現されているのだろうな、と思ったりした。

私は一人っ子なのだけど、長女という意味では周囲に気を遣う面は大きくて、でも一人っ子として自分の思いのままに行動することもあって、相反する感情を持ちながら生きてきた。だからなのか、『分別と多感』の姉妹どちらにも共感しつつ本を読んでいる。

二人ともまだ若いので、若さゆえの思い込みなどもある。そういった若気の至りみたいなものも思い出しながら読み進めているのだけど、姉妹のように二十歳前後の頃って、私はここまで分別は無かっただろうな、でも多感でもなかったかもしれないな、なんて一人でアレコレと思い出していた。

そういった過去を思い返してみても、あの頃に戻りたいとか、あの頃は良かったなんて思いはみじんもなくて、障害児を育てている今のほうが、世間的な目では大変にうつるようだけど(実際に「大変でしょうね」の声は非常に多い)、絶対に今のほうが私にとっては平和だもの、人生って本当に分からんもんだ。

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