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風の谷のナウシカ 原作7巻(著:宮崎駿)【「マンガ紹介を語れ!お前たちの本質はなんだ」ぐぅぅ「どのマンガ紹介をだね」(隣の奴がなんか始めた)】

有名なアニメ原作はアニメ版とは一味違う。
あまりにも有名すぎて一般教養となっている作品ですが、
今回はマンガ枠として、あの伝説の最終回について考察します。
今回は内容の説明は省きます。あまりに有名なので。

↓ ネタバレ大体のあらすじ。ご注意を。

アニメ映画版は、だいたい2巻まで描いたところで、
とりあえず御大が映画化。
その反省を踏まえて、原作は7巻でまったく違う結末に落とし込みました。

なんでもアニメ映画版は宗教チックな話になってしまったというので。

いや、宗教チックな話というのは、つまり泣ける作品ということなのでエンタメ向きだと思うけど、それが気に入らないと感じた模様。

これは作家の良心ですね。
その時点で手持ちの最新最良のアイデアを出してくる。

まあ今回は哲学的な話に寄せてきました。
マンガ版の結末は結論的ネタバレすると、

人類の生存よりも重大で尊重すべき価値が存在する。

というもの。
これは大スキですね!!!!

というか、
人類が、人類の生存だけを最高価値として生きていくと、
人類はダメになってしまうと思います。

うすうす気づいている人も多いと思いますが、

生きていてもいいんだよ。
ということは、だからなにやっても良いんだよということでは。
ないと思うんですよね。

まあ繊細な人は、
最初からそういうことをしないのかもしれませんが。

もちろん誰かの存在を肯定してあげることは時に必要。
あらゆる存在は肯定的な価値を持っているものです。
しかし肯定するからといって、
どんなことも許されるのだというのは、ちょっと違うでしょう。

だから、メタ視点を獲得して、
人類より高い価値を設定する、そこからメタ的に俯瞰する。
というのが、やはり必要でしょう。

そういう意味で、かつて宗教はその役割を果たしていました。
しかし科学の発展で宗教が死につつある昨今、
その役割を代わりに果たす概念が何もなくなってしまいました。

その結果のこれ、
それで環境保護とか訴えても、
それは本当に環境保護なんでしょうか?

今の環境保護って、
結局は人類の欲望追及のために環境保護を言い出しているわけで、
動機が不純なわけです。

人類から見て、カワイイ動物だけが優遇されて、
キモい動物はむしろ絶滅させようとする。
これって人種差別に通じるものがありますよね。
いやそれ以前に、
そんな不純な動機でうまくいくはずがない。

もちろん人類がいなくなればいい、とかいうのも、
人類のエゴですよ。
すでに人類の存在に依存している生物種がたくさんいるんですから。
カイコガには生きる価値がないとかでも言うのでしょうか?

アリと共存しないと生きていけない生物群がいますけど、
人類と共存しないと生きていけない生物群も確固として存在する。
共生や寄生は、生命として基本的なモデルのひとつです。
30億年前からそう。それを否定するのですか?

いや、純粋な動機であっても、うまくいかない。
「私は希望や未来を信じている」と言っても、
誰かにとっての希望や未来が、
他の誰かにとっての絶望や否定になったりもするわけで。
そういうの、ちゃんと視えているのでしょうか?

ナウシカにおいては、
そこで生命主義を持ち出します。
生きているものにはすべて平等に価値がある。

たとえば動物愛護を語るとき、
動物を食べても良い。しかし人間も動物に食べられなさい。
という生命平等主義です。

これは厳しい戒律です。
お互いに生きるために殺し合うのは聖なる行為であり、
「ナウシカ」という新世界の神は積極的にそれを肯定します。

なんだったら、ウイルスが人間を食べるのも聖なる行為です。
(人が感染症で死ぬということはそういうことです)
もちろん人間が薬剤で反撃するのも聖なる行為です。

ここで禁忌とは「この世界を決してウイルスが存在しなかった可能性世界にしよう」とか考えることなのです。それは危険なのです。

実際にウイルスは生態系に重要な役割を果たしているので、
病原体だからという理由で根絶していくと、いずれ生態系が崩壊し、
死の世界が訪れます。おそらく。だからいけない。

人間とウイルスの命の価値は平等なのです。
だから正々堂々と生きるために殺し合う以上のことは、してはいけない。

そういう結論に至るわけですよね。

****

ただそれを政治目的とかにしちゃのは、
何かが違う。

現実を追求すべき(政治)の世界と、
理想や大義を追求すべき価値観「宗教や文学、文化」の世界は、
ごちゃまぜにしたらあかんのです。

(政治)「価値」の世界は、
相反するのが正常な社会というものです。

(理想社会)は、ただのディストピアにしか成り得ないし、

「合理主義」は、飛び降りる人を説得する力などなく、むしろ突き落とす。

どちらも必要で、棲み分けが必要なのです。

上で不純だと書きましたけど、現実問題として、
原生林を守るためにわかりやすいテーマを掲げるのは、
政治的な戦術として、無意味ではないでしょう。
というかそれしかない。否定はしません。勝たなければ意味がない。
でもその先もあるんだよ、というか。

何のために戦うんだよ、ということは知っておいて欲しい。
さもなければ戦う意味がない。
それは「価値」の世界の話。

ナウシカは、これは文学なので「価値」の世界の物語。

***

有識者によると、
映画の反動で、原作のあの結末に持って行った、
とよく言われています。御大自身もそんなこと言ってますけど。
私からすると、連続性が否めないなあ、と思います。

20世紀のキリストを描く作品としてリアリティがある。

みんな、これを言われると嫌がると思うけど、
誠実に文化やってる証拠ですからいいんです。
これで良いのだ。
文化とは、畢竟、生きる理由を定義することなんですから。

宗教が死んだ今、文化こそがその継承者にならなければいけない。
他に取って代われるものはいない。
だから作家の仕事は、とても重要なのです。
社会的存在意義がある。

今日「価値」を提示できるのは預言者や教会ではなく、
ただ作家だけなのです。
作家だけが、社会や人間がこの宇宙に存在する意味を提示できる。

科学者ではない。科学は、
どのようにして存在しているのか?
という理由を説明することはできても、
なんのために存在するべきか?
という意味は説明できない。
説明しようとしたら逆に《科学》がおかしくなりますよ。

科学が《科学》であるためには、なぜ生きるのか?
なんてことは、語ってはいけない。
こうすれば生きられるとか、
こうすれば生きられないとか、
そういう技術的ノウハウしか語ってはいけない。

《科学》は反証可能なことしか、語ってはいけないし。
それを破ったら、それは《科学》ではなくなってしまう。
偽科学になってしまうのです。アンチキリストです。

もちろん科学者兼作家という方はおられますけど。
いわゆるSF作家の方々ですね。しかしあれは「文化」。

***

もちろん。現代では異端も積極的に肯定されています。
ぜひ新たなる思想を付け加えていってください。
他人に沈黙を強制する以外のあらゆる思想が許可されているのですから。

***

最後に、この文章は考察であり、文化ではありません。
このような安っぽい定義の整理で、あのマンガ作品を説明することは不可能。
むしろ冒涜とすら言えます。
いちばん重要な部分は、
主人公が紆余曲折の中で悩みまくったあげくに、
あの結論に至ったという過程なのですから。
ドクトリンは文化ではないのです。

実際に理解してもらうには、読んでもらうしかない。
道徳とは体験なのです(エンデ風)
血の通った体験だけが道徳たりえます。

ああ~、おかしなこと書いちゃった。

↓ 最近、発見した動画で締めよう。

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