見出し画像

「ワニの涙」派か「ポケットに涙」派か?

Lacrime di coccodrillo (ラクリメ ディ コッコドゥリッロ)

ワニの涙

悲しい振りをして嘘泣きをする人を表す言い回し


avere le lacrime in tasca (アヴェーレ レ ラクリメ イン タスカ)

「涙もろい」を意味する言い回し
※直訳すると「~はポケットに涙を持つ」


涙や泣くことに関する両極端な表現だが、わたしは決定的に後者で、時期にもよるが、あまりにも泣きのスイッチが入りやすいので、自分で "Ho le lacrime in tasca, anche se questi vestiti non hanno le tasche…"(わたしは涙もろいの/直訳:涙がポケットにあるの、この服にはポケットはないけれど…)と、半分、冗談にしているぐらいに。(レディースの衣類にはポケットがないものも多いので)

普通に悲しい場面で涙を流すのは普通のことだと思われるが、「あなた、なんでそこで泣くの?」という場面でも泣けてしまうのが困ったところだ。まあ、個人的には特にすごく困っているわけでもないのだが、泣くと体力を消耗するので疲れることは疲れる。そして、周囲の人に気を使わせるかもしれない。それでも、それは自分の特徴のひとつだと受け入れているので、なるべく泣かないようにしよう…とは思っていないのだが(笑)

例をあげてみると、イタリアの語学学校に通っていた頃、2週に1度、週末の最終授業時に全クラスの生徒が集まって歌を歌う時間があった。たいてい、週末には誰かしら学校のコースが終わって去って行くのだが、歌を歌っている時に、その去って行く生徒たちのシチュエーションを思うと泣けて仕方がないということがあった。卒業式のようなものである。その去る生徒が、同じクラスメイトで親しくしていた人だったら、そういうこともあるだろうとも思えるが、別のクラスの接点がなかったような人との別れでも、端から見ると、ちょっと泣き過ぎじゃない?というぐらい涙を流すことが度々あったので、そのうち、わたしの前には箱のティッシュが置かれたぐらいだった、、、

他にも、電話で話していて、心の琴線に刺さる言葉をかけられると、涙腺がゆるんで泣き声になる時もあるので、そういう可能性のある相手と話す際には、要注意だ。

葬儀の際に涙を流すのはごくごく自然なことだと思われるが、それも故人との関係しだいでは、どうしてそこまで泣くのか?という場合もある。それも、自分でも思いがけずに、突然、涙の大波が寄せてくるので驚く程だ!予防の術がない。不自然なぐらい大泣きしていると、「そんなに泣くのならば、もう知らせないわ」と言われたこともある……(半分、冗談?) それほど慕ってもいなかったわたしの方が大泣きしているので、より近しい人(親戚だが)に嫉妬されたこともなきにしもあらず。。。誰がより泣けるかを競う必要もないとは思うが……
南イタリアや韓国では、葬儀や通夜のような場に「泣き女」として依頼され、泣くのが商売という役割があると聞いたことがあるが、わたしはそれを生業にできるかも?と思ったことも。

最近、あまりこれと言って泣いていない気がするが、同じ泣くにしても、やはり、感動の涙や嬉しい涙を流したいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?