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ナン 【1】 日本での進化

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


バターチキンと相性バツグンなのがナン(ナーン)である。焼きたてでふっくらモチモチしたナンは今やすっかり日本のインド料理店のアイコンとなっている。ホールの店員さんから
「ナンにしますか? それともライスにしますか?」
と聞かれてナンを選ぶ人は多い。それどころか、ナンが美味しいからインド料理店に行く、という人も少なくないのだ。

トクリと呼ばれる専用のバスケットからはみ出すようにして提供されるナン。もちろんナンはインドから伝わった料理ではあるのだが、日本で独特の進化を遂げてもいる。ここではその独自進化の過程とインドとの違いを追ってみたい。

私がインド料理に開眼した90年代初頭、ナンはまだ珍しい異国の食べ物だった。
「インド料理店に行ったらライスじゃなく、ナンで食べるんですよ」
などと言ったら周りから「通」呼ばわりされるような時代だったのだ。今は昔である。

タンドール自体がまだ特別なものであり、あえて耐火ガラス越しにタンドールを設置し、調理作業を客席から見えるように造られた店内も多かった。今ではあまり見られなくなったが、
「わぁ、顔より大きい~!」
とナンとツーショット写真を撮る人もよくいた。つまり客にとって「大きなナン」とはそれだけ珍しかったのだ。大きさを強調する商法自体は「デカ盛り」などという言葉があるように日本でもなじみのあるものだし、インドでも巨大なナンを名物メニューに据えたホテルはある。他にもチャレンジ系の巨大ドーサやターリーを提供する店があるから決して珍しいものではない。ただし一般的なインド料理店による、大きさを強調した提供のし方は日本で独自発展したものだろう。

日本のインドレストランでおなじみの大きなナン


現地インドとの比較でいうと、そもそもインドではナンの大きさそのものは重視されない。仮に多少大きく作った場合でも、ナイフで切り分けたのちトクリにのせてサーブするのが現地のレストランでの提供スタイルだ。それは例えば洋食レストランでフランスパンの長さを強調したいがために丸のまま出さないのと同じある。またナンを大型化すると食べるのに時間を要し、おしまいの方になるとだんだん冷えていく。冷めたナンは美味しくない。インドにおけるレストランのナンが大きくない理由はそんなところだろうか。

このナンは以下の手順で作られる。ナンを焼く前の小麦生地を英語でドウ、ヒンディー語でローイーと呼ぶ。捏ねられたドウを数時間寝かせて発酵をうながし、素手ではなくガッディーという厚く小さな座布団のような専用具の上にのせてタンドール内側にペタンと貼りつける。日本ではこの貼りつけ前に、ガッディーからはみ出したドウの一辺を、弓を引く要領でグイっと引っぱる。するとちょうど先端の長い二等辺三角形の形状の大きなナンが焼きあがる。生地を伸ばすことで薄くなり、内部の生焼けを防ぐ効果もあるという。
一方インドでは、ドウが小さいためガッディーにのせる際も引っぱるほどの余地があまりない。ただしもちろん例外はあり、インドでも二等辺三角形状のナンを焼いているのを見かけたことはある。それでもサーブする時にはカットされていた。

タンドールの内側に貼りついたナンを取り出すのは尖った先端をレの字型に曲げたサリヤーという棒と、先端が平らなヘラのようになったクルピーという棒。サリヤーでナンを引っかけながら、窯肌と接着した部分をクルピーでシコシコとはがしていく。この2本の棒を自在に使いこなせるようになれば一人前のナン職人だ。

インド現地のレストラン厨房。ガッディーにのせた生地の先端部を引っ張っている。


出来上がったものを食べ比べてみると、大きさだけでなく味もかなり日印で違うことがわかる。日本では小麦のほかに砂糖や卵、ベーキングパウダーが大量に加えられる。そのためナンそのものがかなり甘くなる。一方、インドではこのような甘味は抑えられている。

長くのびるチーズナンやチョコレートナンといったバリエーションの豊富さも日本で独自進化したものだ。中に具材を詰める調理法そのものはパンジャーブ地方などで広く見られ、パラーターという鉄板焼きのパンの具にゴービー(カリフラワー)、アールー(ジャガイモ)を入れたものは定番の朝食となっている。ナンの中にチーズを入れたものもレストランにはあるが、そのほとんどがパニールと呼ばれるインド式カッテージチーズであり、日本のような「のびるチーズ」が入っていることはまずない。ではインド人がこのようなのびるチーズを食べないかといえばそんなことはない。インドの街の至るところには外資系大手ピザチェーンの店舗があり、そこを訪れる客たちは糸のようにのびるチーズを楽しんでいるからだ。もしかしたら今後、のびるチーズ入りナンも流行るかもしれない。

日本で人気の高いチーズナン


チョコレートナン、あんこナン、明太チーズナンなどの、菓子パンや総菜パンをイメージさせるナンはインド料理店のコックの発想というより、関わっている日本人のアイデアだろう。そのバリエーションから、日本人がナンをどう捉えているか見えてくる。

ナンはすっかり日本に定着し、独自の進化を遂げてきた。次に、本国インドでのナンの食べられ方をもう少し詳しく見ていこう。




小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/


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