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犠牲者意識ナショナリズムーイスラエルの場合(その4)

前回からのつづき、いよいよイスラエルの場合です。


ガザでパレスティナ人を虐殺し続けるイスラエル。
イスラエルにとってホロコーストの記憶はどのような意味を持っているのでしょうか?



イスラエルの教育大学の学生を対象にした1992年のアイデンティティに関する意識調査で「私たちはホロコースト・サバイバー」だという項目に80%近くがそうだと回答しました。

学生のほとんどは1960年代半ばから1970年代初めの間に生まれたはずで自らホロコーストを経験したわけではありませんでした。

ホロコーストを象徴の資産とするイスラエルの記憶文化は、「ホロコーストの子どもたち」である戦後世代に犠牲者の地位を世襲させました。
この身分はすべてのユダヤ人に開かれていて父母や祖父母が犠牲者かどうか戦争中に何をしていたかは関係ありません。
家族史とは関係なく、自らを世襲的犠牲者と同一視するのは社会的記憶の領域においてイスラエルの市民権を得るという意味です。


しかし、最初から世襲的犠牲者意識が支配的であったわけではありません。
新生国家イスラエルの記憶文化を支配したのはむしろ英雄主義でした。 
ヨーロッパのユダヤ人犠牲者たちは「ネズミのように逃げ回り、虫けらのように身を潜め見つかると犬ころのように死んでいった」と言われました。

イスラエルの公式記録では、強く、男性的かつ能動的なイスラエルのシオニズム的英雄と、虚弱で女性的かつ受動的なユダヤ人ホロコースト犠牲者という二分法から抜け出せなかったのです。


アメリカのユダヤ人社会でもホロコーストの記憶が抑えこまれました。
これには始まったばかりの冷戦が大きく作用していました。
アメリカ共産党の党員の50~60%がユダヤ教という状況に加え、ユダヤ系のローゼンバーグ夫妻が原爆製造の秘密情報をソ連に流したスパイ事件でユダヤ人社会は窮地に追い込まれていました。
西ドイツこそがヨーロッパの共産化を防ぐ唯一の防壁だと考えられている中でホロコーストの記憶を強調すれば西ドイツを加害者にしようとするユダヤ人共産主義者の政治的挑発だと取られかねませんでした。
だからホロコーストよりもスターリンの反ユダヤ主義と東欧でのユダヤ系共産主義者の粛清が強調されました。


イスラエルのシオニズムでは、パレスティナの地に独立したイスラエル国家を建てるのはユダヤ民族に与えられた生来の運命で唯一の代案でした。
ホロコーストの犠牲者のほとんどは、パレスティナへの移住を拒みヨーロッパへの同化を主張して残ったユダヤ人だったのでホロコーストの入り込む余地はありませんでした。

建国初期のイスラエルでのホロコーストの記憶は、1943年のワルシャワゲットー蜂起とその英雄たちの殉教者的な死でした。

イスラエル人がホロコースト犠牲者への関心を高めたのは1961年のアイヒマン裁判からでした。
アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンをモサドが拉致してイスラエルに連行し、ナチの犯罪を裁いたのです。
ホロコーストの生存者たちが証人として出廷し証言する様子が世界中にメディアで公開されました。
裁判を見守ったイスラエル人は世代にかかわりなく、ホロコーストの犠牲者が経験した痛みを自らのものと感じ始めました。

民族の悲劇は生々しくイスラエル人に伝えられホロコーストはイスラエルの記憶文化にしっかり根をおろし、支配的イデオロギーとなりました。
その後の中東戦争の経験はさらにイスラエル国民に危機感をもたらしました。
「戦争で負けたら絶滅だ。」と皆が信じたのです。
それは強制収容所から受け継いだ考えであり、イスラエルでは中東諸国からの脅威が政治的な次元にとどまらない国家の存在そのものを脅かすものだと解釈されました。


1967年の第3次中東戦争以後のイスラエルで特徴的な現象は、国家が積極的に犠牲者の地位を求め始めたことです。
ホロコーストの世襲的犠牲者意識はイスラエル国家の存在を必然とする論理につながり、中東でのイスラエルの覇権的振る舞いを正当化する論理として働いています。


「道徳についてわれわれに説教できる民族は地球上にどこにもない」とかつてのペギン首相は言いました。
イスラエルの公式記憶におけるホロコーストの物語としての価値はパレスティナ国家の抹殺を正当化する政治的計算が入っていることが多いのです。

パレスティナ人の若者によるインティファーダを受けて、ワルシャワ・ゲットー蜂起の記念館に兵士が行くことをイスラエル軍は禁じました。
蜂起を残忍に鎮圧したナチの歴史からインティファーダを鎮圧する自分たちを連想するのではないかと恐れたのです。
それはすでにイスラエル軍の自画像となっています。
アラブ人に対する人種主義的な嫌悪が公然と噴き出し、アラブ人虐殺の陰謀を計画したイスラエル軍の兵士たちは自分たちを「メンゲレ部隊」と呼びました。

イスラエルの記憶政治で犠牲者意識ナショナリズムは発展しながら、ホロコーストの記憶は犠牲者の武器から加害者の武器に姿を変えました。



犠牲者意識ナショナリズムは犠牲者になった歴史への悔恨と批判から出発するのですが、自らが勝者や加害者になれるのなら植民地主義とホロコーストのルールを受け入れ可能となります。
だからこそ「世襲的犠牲者」という意識から抜け出し、自らも加害者になりうるという歴史的省察が必要なのです。
ホロコーストからくむべき教訓は私たちも犠牲者になりかねないということではなく、私たちも加害者になりうるという自覚です。


犠牲者意識ナショナリズムの危険性は加害者を被害者にするだけでなく被害者の内にある潜在的な加害者性を批判的に自覚する道を閉ざしてしまうことです。



ホロコーストの犠牲を前面に出し、世界で最も道徳的な国家であると自負するイスラエルの公式記憶は、犠牲者意識ナショナリズムの悪しき典型です。



参考文献
「犠牲者意識ナショナリズムー国境を越える「記憶」の戦争」林 志弦著


執筆者、ゆこりん

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