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第五章 それでもフリーランスを続けています(3)

特殊な事情により、あがき続ける

この状態なら、やはりまた勤めに出て安定した収入を確保するのが、まともな人間の一択でしょう。年齢が年齢なので難しいところもあるでしょうが、ちょっと無理をすれば出来ないこともないでしょう。

その一方で、なかなかそこへ踏み出せない理由もいくつかあります。

(1)眼や睡眠関係など自分の持病…よそでの業務に支障を来す可能性がかなり高い。
(2)妻や母姉妹の病気…何かあった時に対応する人間が私しかいない。1人だけならともかく、2人以上が同時に何かあった場合の対応が困難。
(3)年齢的に雇ってもらえないところが多い。

何だか自分でも「できない理由を探している」ような感じがしないでもありませんが、(1)や(3)は自分の努力ややる気だけではカバーできない部分が多いし、(2)は最も頻繁に起こりそうな事柄。客観的に見てもかなりの障壁になっていると思います。

一方、どうしても今の仕事を今の働き方、つまりフリーランスで続けたい理由も多々あります。自分に都合のいいことを主張しているように思われるでしょうが…

(1)今の持病があってもほとんど支障なく作業ができる…慣れた場所(=自宅)を中心に慣れた作業を自分のペースで。
(2)時間に融通が利くので、身内に何か起きてもすぐに対応できる。
(3)毎日通勤する必要がないので、コロナ感染のリスクは少ない。
(4)体と頭が働く限り(そして持病が悪化しない限り)、年齢に関係なく仕事を続けることができる。
(5)時間に余裕ができたら研究に時間を廻すことが出来るし、その研究が新たな仕事につながる可能性もある。

…うーん、やっぱり自分に都合のいいことばかり言ってますかね?(苦笑)

確かに、「眼の病気持ちなのに、眼を酷使する仕事が中心じゃないか」とか、「そもそも。それは今やらなくてもいいんじゃないか?」という、自分でも引っかかる点はあります。しかし、そこで考えてしまうのが、熊本地震や今回のコロナ禍を通し身をもって感じた、

「今まで普通にやれていたことが、ある日突然やれない状況になることもある」

ということです。それは、災害などの外的な要因もありますし、自分の持病が急に悪化するなどといった内的な要因も考えられます。だから、

「今やれることは、例え先延ばしにできることだとしても、今やる」

が自分の中での鉄則になってしまったのです。

また(2)についても、コロナ禍が続く限り、老人ホームでも「何か起こる」可能性は常に存在します。増してや、母も伯母も90歳過ぎ(伯母に至ってはもうすぐ100歳!)なので、ただでさえしょっちゅう入院するような状態なのに、万一コロナに感染したら…という恐怖は抑えられません。

やはり、自分と身内の健康のために、今は時間的にも身体的にも「融通が利く」状態をキープしておきたい、というのが最大の理由かと思うのですが、最終的にはやはり自分の夢や理想、そして目標を何とか実現させたい、という思いが強いのです((4)と(5)がまさにその一部です)。

第一章で触れた“自由”に関して言えば、完全フリーランスとなっている今、2つの“自由”を頂けているのは本当に有り難いことです。

その「2つの“自由”」とは、「時間のやりくりの自由」と「意味不明なしがらみ(特に人間関係)からの自由」だと思います。

前者はもちろん仕事をやる上での話です。今みたいに福岡に試写に行くのも、以前みたいに兼業だとなかなか行きづらい。また、どの仕事をいつやるかというスケジュールを組みやすいから、可能な限りお仕事を請けられる。そういう「組み合わせ」的なことでの自由です。もちろんそこには、身内の病気への対応など、仕事以外だけどどうしても外せない用事も含まれます。「今日は気分が乗らないから休む」みたいなことではありませんので(笑)。言わば、「お仕事をどんどんやるための自由」。これはフリーランサーには絶対不可欠でしょう。

後者は、組織に属することに向いていない私には必需品。数よりも強さの問題。人的つながりはなるべく緩くしたいということです。もちろん、仕事や趣味のつながりはすごく有り難くて大事なもの。しかし、「同じ組織に属しているから」とか、そういうのがどうも苦手なんです。これは明らかに父の遺伝ですな。

それ以外はむしろ不自由なことだらけですが、この2つが自由なおかげで、かなり気が楽なのです。それらを返上する勇気がない、というのが本音なのかも知れません。

のっぴきならない事情でもありますが、私のわがままもかなり入っているかも知れません。どうしても、今のこのお仕事を今の働き方のままで続けていきたいと願っているのです。

…と、ここまで書いてしまったので、もう思い切って、最後に書きたい放題、自分に都合のいい話、寝言みたいな大甘な話を書かせていただきます。まあ、「ほどほどの寝言」に抑えるつもりなので、大目に見てください。

そのうち何とかなるだろう

あとどれぐらい生きられるか、そして何より、あとどれぐらい頭と体が言うことをきくか分かりませんが、日本人の平均寿命を全うするぐらいの余生を送れるものとして、これからの人生をどう生きたいか、漠然と考えていることを書き連ねていきたいと思います。

…と、その前に、夢や理想とか言っても、ハリウッドに乗り込んで超大作映画をプロデュースしたいとか、どこかの映画会社を買収したいとか、あまりに現実離れしたものは持っていません。また、〇〇歳で何かをやって…みたいな、細かな人生設計もしていません。そんなに細かく計画立てても、先ほど書いたように、世の中、何がいつどうなるか分かりません。とりあえず、こんなことやってみたいなあということを挙げておき、その時の状況に応じて優先順位を決めてやっていく、ぐらいの緩さが必要でしょう。

とにかく私は、映画関係の仕事や研究、そして書き物関係のお仕事だけで、十分に家計を支えることができるぐらいの収入が毎月確保できれば、それでいいと思っています。まさにそれは「好きなことだけして生活する」ことになるのですが、その代わりに高望みもしないし、いろいろ返上する覚悟もできています。

有り余るほどのお金は要らない。たまにサントラやブルーレイ・ディスクが買えればそれで十分。

体を壊さない程度なら、特にまとまったお休みも要らない。たまに仕事以外で映画が観に行ければそれで十分。

私の知り合いにはフリーランスや自営業の方が結構多くて、やはり生活は楽ではないようです。でも、やはり頑張ってその生活を続けていて、お互いにエールを送り合うこともしばしばです。付き合いは薄くてもお互いに理解できる、“仲間”と言うより“同志”の人たちの存在の方が、すごく勇気づけられるのです。

「老後はのんびり暮らしたい」なんて、恐ろしくて考えたくもない。どうせ私のことだから、そんなことをしたら3日でボケる。

「体と頭が働く限り仕事と研究を続けたい」というのは、父が亡くなる前に最後に退院した時、帰宅すると真っ先に自分の研究スペース(?)に向かったのを見たからです。結局、キツくて5分も居られずにベッドに向かいましたが、私もそうするだろうなと思ったのです。これも遺伝です。

映画も書き物も基礎がなっていない我流でお仕事を続けているのでいまだに不安はありますが、それでも評価してくださる方がいらっしゃるわけで、そこで自信を持って続けていかないと、その人たちにも失礼です(もちろん、過信やテングはもっての外)。亡くなった父もその一人であったと信じています。

先日、音楽関係のある先生から、

「大きな目標を一つドンと掲げるより、段階を踏んで実現していけそうな小さな目標を立てて、着実に達成していった方がいい」

というアドバイスを頂き、なるほどなと思いました。確かに、目標が大き過ぎると、なかなか達成できずにモチベーションが減っていきます。小さくてもしっかり達成すれば、そのたびに達成感を得られ、モチベーションも上がっていきそうです。だから、その方法でいくつか目標を考えています。

これまでの人生では後悔するようなことが多く「わが人生は悔いばかり」なのですが、せめてこれからは後悔を1つでも少なくしていきたい。そのためには、やはり今のこの仕事を、今のこの働き方で続けていくしかない、と思っています。

とは言え、私が夫or父であることを家族に後悔させてはいけないというのも事実です。家族にそのことを後悔させたまま終わったら、私にとっても人生最後にして最大の後悔になるでしょう。

自分の生き方を貫きつつ、家族に迷惑と苦労をかけない。そのためにも、今のこの仕事と働き方で毎月しっかり稼げるようになりたい。それが、万事を丸く収める最良の方法だと信じています。


…やっぱり、甘いかなあ?いや、実現させる!

(おわり)

<これまでのお話>

持続化給付投げ銭(サポート)、何卒よろしくお願い申し上げます!

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