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第三章 「兼業フリーランサー」の苦闘(3)

伊福部様と白蛇様のご利益?

その年の2月1日、東京で「伊福部昭百年紀」というコンサートが開催されました。伊福部先生の生誕100周年を記念して、先生の映画音楽を、作品ごとに元の楽譜に忠実に組曲化し、オーケストラで演奏するという、まあマニアックと言えばマニアックなコンサートです。もう何年も、いろんな意味でとても東京でのコンサートに行けるような状態ではありませんでしたが、なぜかこれは何としても行きたい!という強い思いが湧いてきました。今思えば、何かのお告げだったのかも知れません。ちょうど前年の暮れ、安室奈美恵の大ファンだと言いながら一度もライブに行ったことがなかった妻と娘を福岡でのライブに行かせ、生のコンサートの素晴しさを体験させたばかりでした。以前、ちょくちょく東京でのコンサート(行きたいコンサートが東京でしか行なわれないから)に行っていたことに小言を言っていた妻も、これで説得しやすい状況にはなっていました。ただし、行くならコンサートだけ、余計なところに遊びに行く金銭的余裕はありません。どうすれば旅費を安く抑えられるか…。真剣な悩みをFacebookで書くと、
「どこでもドアを使ったら?」
とコメントしてくる人がいて、正直言ってちょっとイラッとしました。現実的かつ具体的なアイディアがないんなら黙っていて欲しかった…。つーか、h他人事感がハンパないのは考え過ぎでしょうか?そこに有り難いコメントを付けてくらたのが、高校時代からの親友で今は千葉県職員の草野君でした。「LCCで来れば?」

その手があったか!当時、熊本空港にはLCCが乗り入れていなかったのですが、調べてみると福岡空港までの高速バス代と成田と都心の間の電車代を足しても、福岡⇔成田のLCCを利用した方が、熊本⇔羽田を大手航空会社で行き来するより遥かに安く上がるということが分かりました。しかも、コンサートの会場は錦糸町。大雑把に言えば成田と都心の間。翌朝一番で熊本に戻ることを条件に、何とか説得に成功しました。そして、このLCC利用による上京は、以後の私の東京行きのメインの手段になりました。これで、東京でのお仕事に行きやすくなり、その機会も増えていったのです。

その年の正月休みも終わりに近づいた頃、妻が阿蘇の白水龍神権現、通称白蛇神社にお参りに行きたいと言い出しました。ちょっと前に「金運や宝くじ運にご利益がある」とテレビで紹介され、宝くじをよく買う妻としてはぜひとも行きたかったのでしょう。我が家は熊本市でも東の端の方にあり、南阿蘇にあるその神社へは意外に行きやすいということもあったのでしょう。ここは金運をはじめ、商売繁盛、子宝、健康、合格などいろいろなご利益があるとのこと。拝殿の中にいらっしゃる白蛇様の前に財布やくじを置いてお祈りします。帰りがけ、おみくじ的なお守りを買って開けると、サイコロの絵を模った小さなお守りが。「目(芽)が出る」ためのものだそうです。何と、これもまた当たってしまうのです。

私が上京すると知った河出のA氏が、あるムック本の企画への参加の相談も兼ねて、コンサートの前にちょっと会いたいとの連絡を下さり、会場の前の喫茶店でお会いすることになりました。いろいろお話をしているうちに、当時私が1970年代のパニック映画について書き進めていて、第一章だけをKindleで発売している、という話になりました。これもまた、出版社では拾ってもらえないだろうと思い、さっさと電子書籍で段階的に発表していたのです。すると、A氏は非常に興味を持ってくださり、後日その原稿を見て下さるということになりました。結論から書くと、元々お話を頂いた企画には参加できなかったものの、思わぬ成り行きで“処女作”を世に出していただくことになりました。

そしてコンサート会場へ。伊福部先生についての著作をたくさん上梓されている小林淳さんと少し前からFacebookで交流させていただいていて、直接ご挨拶することができました。そして、小林さんから紹介していただいたのが、私が最初に買ったサントラであるゴジラのオムニバスアルバムの制作に携わった西脇博光さん。今日の私の基礎の一部になるアイテムを生み出してくださったという意味では、大恩人です。さらに、コンサートを主催したスリーシェルズの代表の西耕一さんにもお目にかかることができました。この時からのご縁もまた、その後思いも寄らない形に発展します。もちろん、コンサート自体も期待を遥かに上回る素晴らしいものでした。

コンサートから数週間後の2月下旬、例のパニック映画本の途中までの原稿を読んでくださったA氏が会議で通してくださり、何と河出さんで出版していただくことに!ただし、3月いっぱいまでに全部仕上げてもらいたい、と。全6章の予定だったので、残り5章を再び突貫作業で書き続け、何とか3月の下旬には全部仕上げることができました。そして5月下旬に、私の処女著作「絶叫!パニック映画大全」は発売されました。最初に完成品を手にした時の感動はいまだに忘れられません。「物を生み出す喜び」を実感できた瞬間でした。何より、私が映画にのめり込むきっかけになった『タワーリング・インフェルノ』をはじめ、自分の映画の原体験についてまとめた本でもあったので、余計に嬉しかったのです。
発売後には、梶尾先生の、
「処女出版の時は、いろいろやった方がいいよ。」
とのアドバイスで、出版記念パーティや書店さんでの著者サイン会など、イベントもたくさん行ないました。嬉しいやら畏れ多いやら。

そしてもちろん、県立図書館に1冊寄贈しました。以前、調査のためにマイクロフィルムを見に通ったことや、タグ付けの作業をしたこともお話しました。その調査の成果である『土曜招待席』についての本でなかったのは残念でしたが、夢を叶えることはできました。

いろんなことがきっかけになり、いろんなお導きのおかげで、ようやく単独著を世に出して「目を出す」ことができたのです。しかも、それがさらに思わぬ展開につながりました。

ご利益再び?

その年の7月下旬に「伊福部昭百年紀」の第2弾が開催されることになりました。河出さんへのご挨拶なども兼ねるということで、今回は大手を振って行くことができました。ただし、相変わらず経費は抑えなければならなかったので、今回もLCC。ただ、この時はLCCが熊本に就航していたので、さらに行きやすくなりました。

コンサートの1週間ほど前、理由は覚えていないのですが、またも白蛇神社へお参りに行くことになりました。私も出版できたお礼に行かなければと思っていたので、ちょうどよかったのです。

その数日後、思いがけない方からEメールが届きました。何とキネマ旬報の編集部員の女性からでした。編集部でも「絶叫!パニック映画大全」が評判になったのですが、著者紹介のところに私が映画検定1級の合格者であることを書いていたため、ちょうどその頃に同誌で連載されていた1級合格者の体験談に寄稿して欲しい、という依頼でした。もちろんお引き受けすると同時に、近く上京するのでご挨拶に伺うことになりました。予想外の展開、しかもあのキネ旬にお邪魔できるという喜び。拙著が私の予想以上に高く評価されていたことに感激しました。しかも、その原稿の後にも、キネ旬から何度か原稿の依頼を頂くことになるのですから、映画検定1級の威光はすごいと感心しました。

コンサートは今回も素晴らしく、特に私が大好きな『宇宙大戦争』(1959)のマーチを生で聴けたのは感動でした。そして翌日、キネ旬編集部に続いて訪れた河出書房新社で、再び思いがけない話が動き始めたのです。A氏たちとのお話の中で、旧大映が倒産する直前の1970年前後に多数製作されたちょいエロ作品群―――関根恵子(現・高橋惠子)の『おさな妻』(1970)や松坂慶子の初主演作『夜の診察室』(1971)などについての本を書きたいという考えを(ダメもとで)申し上げたところ、拾い上げてくださったのです。数週間後には正式にGOサインが出て、またまた1ヶ月で執筆、年末に発売されたのが、2冊目の『大映セクシー女優の世界』でした。まさか半年の間に2冊目まで決まるとは…。

今回の上京でも、人とのご縁に加えて、昔取った映画検定までがお仕事を呼び込むという有り難い経験をしました。そしてそこには、白蛇神社参りと「伊福部昭百年紀」という共通点があったのです。

上妻流(主に東京への)出張術

あちこちまわった話がでたので、ここでちょっと余談を。

この頃の上京から、私は行かなければならないところを効率よくまわるための計画を、事前にしっかり立てるようになりました。ごく当たり前のことですが、

*相手の都合などの事情がない限り、行ったり来たりをなるべく避けるルート設定
*「公共交通機関の乗換案内」と「徒歩でのルート検索」のサイトやアプリを活用
*道に迷ったり交通機関の遅延などを考慮して、それぞれの行程にプラス10分

これで細かく設定すると、効率良く、しかもムリなくまわることができます。一度、東京であちこちまわったのをいちいちFacebookにアップしていったら、東京在住の人たちが、
「そのルートをその時間でまわれたなんて、すごい!」
と感心されたことがあります。

フリーランスは時間も費用もムダなく使わなければいけません。観光旅行ならここまでする必要はないかも知れませんが、仕事ならばその辺は引き締めていかないと。食事も、特に途中で摂らなければならない場合は、値段も味も所要時間も分からない現地名物のお店ではなく、全国チェーンのファストフード。
「東京に行ってまでマック?」
などとよく呆れられますが、いちいち現地名物を食べている余裕はありません。観光旅行じゃないですからね。それに、観光客ばかりになるような現地名物のお店と違って、全国チェーンのお店ならお客はその土地の人たちがほとんどでしょうから、そんな人たちを観察できるのも楽しみの一つです。

あまり他人様におすすめするような方法でもありませんが、この8年近く、私が東京などで少ない費用で何とか用事を片付けられてきたのは、このやり方のおかげだと思っています。

(つづく)

<これまでのお話>

持続化給付投げ銭(サポート)、何卒よろしくお願い申し上げます!


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