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走れないきゅうりと、納涼まつりのちょうちんと。

気温37度に喪服は暑すぎる。
駅からたった6分のアスファルトの道が蜃気楼みたいにぼやけて、裏道でクラクションを鳴らされた。恐る恐る振り返ると、父だ。車から荷下ろしを手伝うと、玄関から伯母と母が顔を覗かせた。

「暑かったでしょう」
日本は37度が続く、異様な夏を迎えている。

線香が香る客間の真ん中に祖父はいた。ひとりだけ介護用の椅子で、それを祀りあげるかのように囲んだ座布団。暑い暑いと集まった孫が麦茶を飲むのを、ピンク色の額縁から祖母が見守っていた。

初めてのお盆を、新盆というらしい。きゅうりとなすが並んだ光景を実際に見るのは初めてで、そう言われれば祖母がここにいるような気がする。きゅうりはかまぼこのように曲がっていて、伯母が「脚の付け方、逆だったかも」と困ったように笑っていた。馬は水飲み休憩をするように、ゆったりと首を垂らしている。

「楽しい人でしたよね」
ご住職の言葉に、祖父がその時だけ間髪入れずに答えた。「そうですね」と。

祖母はすこぶるせっかちな人だった。どこへ行くにもマイペースな祖父を急かしては、「あなた急いでくださいな」と繰り返しては忙しなく動いていた。そのくせ祖父とはどこへ行くにも一緒の仲良しで、ばたばたと残像を残しては頼まれもしない世話を焼いた。

「きっとね、お盆も早く早くと言って急かしながら戻ってきてますよ」

そう母が言ったとき、元気だったときの祖母の姿がありありと浮かんできた。今日は泣かないと決めたのに、じんわりと視界がぼやけていく。

客間には、祖母の書いた般若心経が天井から吊り下げられている。一回で書き切るには相当体力がいるらしい。ご住職は祖母のことをよく知る人で、だから般若心経も読みましたとおっしゃった。客間には、そこかしこに祖母の残した作品があった。

祖母は季節ごとに絵葉書を送ってくれた。季節の花の絵に、筆で綴ったメッセージを添えて。庭に植った植物のときも、散歩中に見かけた花の時もある。それが届くと祖母にありがとうの電話をしなくてはならず、小学生くらいまでは妹と押し付け合っていた。あの絵葉書が届かなくなったのは、いつだったのだろう。

親の心子知らずとはいうが、祖母のこともわたしはほとんど分かってあげられなかったと思う。それが自然の摂理かもしれないけれど、失うまで気づかなかった自責が、痛みになる。孫を思って、祖母は季節を待ちきれずに葉書に花を描いたのだろう。子どもだったわたしには、薄い水彩と読めない文字は、ディズニープリンセスみたいに魅力的なものとは思えなかった。

わたし、もう笑えるようになったけれど、おばあちゃまは笑っていますか。

伯母さんが運んできた大量のパンと茶菓子をみんなで消費する。昨日見た花火が綺麗だったとか、それは誰と行ったのとか、そういう話が矢継ぎ早に飛び出しては家族の大きなリアクションで昇華されていく。

コロナ前までは、その輪の中でいちばん大きな声で笑うのは祖母だったのにね。祖父はわたしの恋人の名前を10分おきに忘れてしまうようだった。父の沈黙が怖いわたしも、名前をはっきりと呼べないで早口になる。

「1ヶ月後には挨拶に来るからね」
「おお」と「うん」の中間のような音で、祖父は返事を返した。お盆が終わってもそのときまでは、祖母はあの家で興味津々で見張っているかもしれない。その日もきっと、猛暑日だろう。

帰り道、普段は聞こえない子どもたちの声が遠くから聞こえた。21時半。いつもなら寝静まる住宅街が、今日は夏休みの喧騒を引きずっている。

ぶうぶうと鳴っているのはきっとおもちゃの笛。気だるい暑さの余韻を残しているのは、町内の真ん中にある広場の納涼まつりだった。「納涼なんていう暑さじゃない、猛暑まつりだ」とかなんとか言いながら、昨日は恋人と浴衣で通り過ぎた景色。赤や黄色や黄緑のちょうちんが、いつもの遊具を非日常に照らしている。

店じまいした露店の焼きそばの匂い。自転車を止めてアイスを舐める中学生。まだ走り回っている小学生と、浴衣で手を引かれる子どもたち。けろんけらんと下駄の音が遠ざかって、小さな町の納涼まつりは余韻だけで賑わっていた。

ああ、この町にはまだこんなに子どもたちがいる。

ちょうちんが公園全体をあたたかに照らす空間で、礼服のわたしは影だった。足を止めて一瞬、祖母の着せてくれた鞠柄の浴衣を思い出す。高い笑い声が響いて、真っ黒のわたしは子どもたちを怖がらせないように足早に離れた。

夏休みの夜っていい。名前も顔も知らない子どもたちだけれど、この季節を楽しむ姿がありありと浮かぶ。非日常に目を輝かせながら、額にひじきのように前髪をはりつかせながら、その命を精一杯輝かせている。

彼らの声に、本当はありがとうと伝えたかった。今日も、世界が前に進んでいると教えてくれた。こんなに暑くてもまだ、あしたの日本も続くと信じられた。失っても、生まれるものがあるとわかった。

真っ黒な通行人の感謝なんて、彼らは知るよしもない。けれども浴衣で見たちょうちんの灯りよりも、わたしはこの先何十年も、今日の黒衣で眺めたささやかな納涼まつりを忘れないだろう。きっと還ってきた人たちも、喜ぶ子どもたちによって続く夏の風物詩を、どこかで見守ってくれている。

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