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#1 【7年間の不登校から大学院へ】


 「習う」とは、白い羽を一枚手に入れること


 ある授業で先生は言った。「『習う』という漢字は、白い羽と書くでしょう。毎日なにか1つを習う。そして白い羽を一枚手に入れる。それを365日、続けたとする。すると3年足らずで羽の数は1,000枚を超える。するとそれは、翼になる。翼が大きければ大きいほど、高く遠いところまで飛べる。翼を持った者でしか到達することのできない領域には、同じ枚数の羽を蓄え習ってきた人が集まる。あなたたちの背中の翼は、卒業のときどうなっているでしょう。これから白い羽をたっくさん蓄えて、大きな翼でこの空を高く遠く自由に羽ばたいていってくださいね」



まえがき

 私は、小学3年生から中学卒業までの約7年間、不登校でした。

 いま現在は、大学院の修士課程を修了後、大企業への就職を経て独立。個人事業主として仕事をしています。不登校という7年間のブランクを経ても、自らの意思で大学院まで進学することになった、そんな経歴をありのままに書いてみたら、どこかの誰かに届くかもしれないと思い、この記事を書き始めることにしました。

 私にとっては過去の話が、誰かにとっての「今」かも知れないから。

自分にとっても、そして何より家族にとっても、しんどかった時期を振り返ることはとても勇気のいることでもありましたが、この文章を読んでくれるあなたは、そんな深刻にならず気軽に読んでもらえると嬉しいです。

 小学3年生から中学3年生まで約7年間不登校で、勉強も大幅に遅れていた私が大学院まで進学していくことになる。当時は誰も予想できなかった展開を振り返って、それをありのままに文章で残してみようと思い、書き始めました。


簡単な自己紹介


 
私はいま社会人3年目の26歳。新卒入社した会社を辞職後、個人事業主として独立して仕事をしています。まだ法人化はできていないのでフリーランスのような立場ですが、企業や一般社団法人などに業務委託契約を結んでもらいながら個人で仕事をしています。ゆくゆくは法人化して自分の株式会社をつくるのが夢です。

 趣味は、本を読むこと、舞台観劇、音楽を聴くこと、散歩、ドライブ……などなど。文章を書くことも大好きです。


 不登校だったときから現在までの時系列はざっくりこんな感じです。


 


不登校になる前後の時系列


・幼稚園
(物心つく前から、集団で過ごすことが苦手だった)

・小学校入学
(小学2年生の3学期あたりから徐々に学校に行けなくなる)

・小学校 在学中
(小学3年生から完全に学校へ行けなくなる)

・小学校 卒業
(小学6年生から卒業までの一年間は週2回、保健室に登校)

・中学校 入学
(不登校からやり直そうと決心し、入学式からGWまでは頑張って登校するも、5月の中旬辺りから教室に入るとパニックのようになってしまい、また不登校に)

・中学校 在学中

(学力は小学生レベルで止まったまま、自力での勉強に限界が来る)

・中学校 卒業

(遅れどころの騒ぎではない遅れをとって、中学3年の11月から塾に通い始め、私立高校への受験勉強を開始)

・高校 入学
(無事に筆記試験に合格。さらに入試で優秀な成績であったと特別進学コースへの案内が同封されてくる)

・高校 在学中~卒業
(入学から卒業までの3年間は普通に登校、部活動と塾にも通う。ただ、いじめのターゲットのようになってしまうしんどい時期がある)

・大学入学~卒業
(文系の私立大学(偏差値50程度)に合格。不登校7年間の勉強のブランクを補うべく連日猛勉強。4年生では学部トップクラス(25人以内)に入り、「入学後に成績が最も伸びた者」として大学から表彰を受ける)

・大学院入学~修士号修得
(文系大学院に合格。大学院を2年で無事に修了し修士号を修得)

・某大企業に就職

(就職活動を経て、第一志望の会社に内定をもらう。しかしながら新型コロナの影響をモロに受ける業界であったため、半年で会社を辞職)

・独立して仕事

(個人事業主として独立。株式会社、一般社団法人などに業務委託契約を結んでもらい仕事を行う)←イマココ



伝えたいこと


 不登校だった7年間と、そのブランクを抱えながら大学院まで進学した日々の記憶は薄いようで濃くて、短いようで長い日々でした。

歩んだ道の先にいる今だからこそ、こうやって振り返ることができますが、当時は「将来どうしよう」「最終学歴は中卒だ」「人生の序盤でつまずいちゃったな」とずっと悩み、周りにも心配と迷惑をかけてばかりの薄暗いトンネルのような日々でした。
でもトンネルにはちゃんと終わりがあるように、足元を照らすサーチライトを集めていたら、いつの間にか出口の光が突如として見えてくる日が人生にはやってきたりします。
そこでまた新しいチャンスに気がついたりもします。

当時の私にとって、そのサーチライトは「実は私も不登校だったよ」という他の人が歩んだストーリーでした。

知らないどこかの誰かが学校に行けるようになった話、結局最後まで学校には行かなかったけれど今はちゃんと生きて生活をしている話、学校には行かず学者になった人の話など。

こういった話が、ずっと心のどこかで「救い」になってたことを思い出しました。

だからそんなふうに、この文章を読んで共感を得て心が軽くなったり、そんな道を歩んだ人もいたんだなと気持ちが軽くなる人がいたら嬉しいなという気持ちで書き始めてみることにしました。



これからは週に3回程度(予定)で記事を更新していき、「幼稚園」「小学1年生」「小学2年生」「小学3年生」……「中学1年生」といったように各段階のパートに分けて、できるだけ詳しく思い出しながら書いていこうと思います。

幼稚園から大学院修了までを書き綴った全編は、5〜7万字を超える予定です。
※追記:全て書き終えてみると、全編で10万字を超えました



最後に

 どんな書き方をしても、どんな伝え方をしても「でもやっぱり義務である学校に行かなかったあなたが悪い」と言われてしまうでしょう。

でも、そんな正論を振りかざされても、どうしても行けなかった。
他人事ではなく自分のことだから、他の誰でもなく自分の人生がかかったことだから、必死に悩んでどうにかしようとしていた。他人が思いつくような方法はすべて考え尽くして実践していた。


 強制的にみんなと足先を揃えて一本の道を歩まされるのではなく、みんなそれぞれの道を歩める選択肢がもっと多くあったなら。


 今日でもいろんな事情で、いろんな理由で学校に行きたくないと心底悩んでいる子どもたちは数多に存在していて、長期休暇明けの月曜日には多くの子どもたちが自ら命を絶ってしまう。そんな現実を目の当たりにしてもなお「学校には行け、なぜならば行くべきところだからだ」なんて言葉を通すだけでいいのでしょうか。


 不登校の本人を含めその家族は、世界中の誰よりも自分のこと、自分の子をどうにかしようとしている。他人が断片的に考えるよりもはるかに多くの時間、長く深く奮闘しています。あえてわざわざ険しいイバラの道を選ぶ人なんかいません。

不登校だった自分。そして支えてくれた両親。
両親に計り知れないほどの心配と迷惑をかけながら、たくさん悩んで、模索した日々。

そんな日々のストーリーが、少しでも誰かの救いになると良いな。


次回は #2【7年間の不登校から大学院へ】幼稚園編 を更新予定です。

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