見出し画像

【料理エッセイ】たらこパスタをまだ麺つゆマヨネーズで作っているの? 一回、トマトソースで食ってみな。飛ぶぞ!

 と、タイトルを書いてはみたけれど、別にわたしは麺つゆマヨネーズで作るたらこパスタが嫌いなわけではない。むしろ、好きだ。思い出の味だ。

 我が家でたらこパスタは父のレシピだった。普段は料理なんてしないくせして、どこかのレストランで食べた味を再現すると意気込んだところ、なにを間違ったか大成功。以来、自慢げに作り続けているのだと母からたびたび聞かされた。

 そんな風に言うと少し変に感じるだろう。一般的に食べ物の思い出は「美味しかった」と主観の経験で語られる。なのに、「聞かされた」と伝聞形式でお伝えしたのにはもちろん深いわけがある。

 父がたらこパスタを作るのは決まって夜中のことだった。当時はTSUTAYA全盛期。仕事帰りにビデオを借りて、両親は毎晩、映画鑑賞を楽しんでいた。お酒も飲んでいたのだろう。父がキッチンに立つのはえんもたけなわ、〆の一品を欲したときに限られていた。

 一方、小学三年生とか四年生とか、成長著しい難儀な肉体に囚われていたわたしは睡魔に勝てるはずがなく、決まっていつも蚊帳の外。リビングで繰り広げられる酒池肉林は幻の世界。そこで食べられるたらこパスタもまた遠い遠い存在だった。

 しかし、ある日、チャンスをつかむことになる。

 それは午前一時のことだった。激しい尿意に襲われ、わたしは不意に目が覚めた。理由は明白だった。寝る前、お風呂に浸かり過ぎたせいか、脱水症状を引き起こしたわたしは母に促されるまま麦茶をガブガブ飲みまくっていたのだ。このままじゃ漏れる。眠さより、危機感が勝ったことで飛び起き、トイレへ猪突猛進。無心で一気に用を足し尽くした。

 ふーっ。すっきりし、冴えた頭で暗い廊下に出てみれば、突き当たりの扉にはめ込まれたすりガラス越しに楽しげなムードが垣間見えてしまった。きっとコメディ映画を見ていたのだろう。母の笑い声がこだました。いかにも楽しそうだった。

 別に来ちゃダメだと断られていたわけではない。でも、子どもながらにアチラ側は大人の世界なんだと一線を引いていた。顔を出したら怒られるかもしれない。あるいは怒られなくても、残念がられてしまうかもしれない。そして、そうなることをわたしは一丁前に恐れていた。

 だから、部屋に戻ることにした。本来はスヤスヤやっている時間なんだし、なにも見なかったフリをするのが一番いい。そう自分に言い聞かせ、トボトボと踵を返した。

 そのとき、父の声が聞こえてしまった。

「パスタ茹で上がったよー。ソースと和えるから、ちょっと待っててねー」

 無論、母に向けられた言葉だった。だけど、かねてより父のたらこパスタを食べたいと思っていたわたしにとって、それはセイレーンの歌声よりも魅力的かつ悪魔的。気づけば、我を忘れて、あっさり扉を開けていた。

 まず、母と目が合った。

「あれ? まだ起きてたの?」

「うん」

 そこに父がたらこパスタを持って登場。わたしのお腹は折よく、ぐーっと綺麗な音を響かせた。父は笑った。

「食べたいなら食べればいいさ」

 父のたらこパスタは実にシンプルだった。たっぷりのお茹でスパゲッティを茹でてある間、でっかいボウルに明太子を投入。そこにたっぷりのマヨネーズと適量の麺つゆを加え、スプーンの背を使って粒々を解体。いわゆるたらこソースを作って、茹で上がった麺と和えるだけ。あとはお好みで刻んだ青葉や海苔をトッピングすれば完成。

 それまで、わたしはミートソース以外のスパゲッティを食べたことがなかったので、たらこパスタは尋常ならざる衝撃だった。和風なコクと爽やかな香り、プチプチ弾ける嬉しい食感。あらゆる点で美味しいに満ち満ちていて、フォークで巻く手が止まらなかった。

 だが、残酷にも時は流れた。

 大学生になり、一人暮らしで自炊を始め、わたしは想像していた以上にパスタを頻繁に作りまくった。なんというか、パスタって、簡単だし、コスパがいいし、美味しいし、理に適い過ぎているのだ。

 乾麺は保存が効くから安売りしているときに大量買い。常に在庫を抱えまくる中、わたしの十八番は父譲りのたらこパスタ。一人でもしょっちゅう食べたし、誰かが遊びにきた際も自慢げに振る舞いまくった。結果、どうなったか。まんまと飽きてしまったのである。

 これはけっこうな悲劇だった。心はたらこパスタを求めているのに、身体が拒絶反応を示してしまった。アンビバレントに引き裂かれ、好物をひとつ失ってしまった悲しみは人知らず胸の奥にくすぶり続けた。

 ところが、先日、YouTubeで小倉知巳シェフの動画を見ていたところ、わたしの知らない「たらこパスタ」が紹介されていて、とてつもない衝撃を受けた。なんと、トマトソースで作っているのだ。

 前述の通り、わたしにとってたらこパスタは父が作るものであり、麺つゆマヨネーズで味付けする以外の可能性は微塵も存在していなかった。だが、ミシュラン1つ星イタリアンのシェフはトマトソースで作っているじゃないか!

 その日、早速、真似してみた。小倉シェフの動画を見漁り、トマトソースの作り方もマネした。その出来は言わずもがな。「食ってみな、飛ぶぞ!」とすかさず長州力がこんばんは。めっちゃくっちゃ美味かった。

 以来、我が家のたらこパスタはトマトベースなのだ。

 ただ、懲りないことに、トマトソースのたらこパスタにハマったわたしは物凄い頻度でこれを食べている。なんなら、今日の夕飯も。たぶん、きっと、絶対に飽きる日がやってくる。これだけは間違いない。

 でも、そしたら、再び父の味が美味しく感じられるかもしれない。案外、それは楽しみだったりもする。

この記事が参加している募集

今日のおうちごはん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?