見出し画像

亡き父が遺してくれた秘伝のレシピ「和の鴨ロースのグリル 白ネギ添え」に込められた想い


私の父は、和食の料理人。
しかし、一番に挙げたい秘伝の料理は「鴨ロースのグリル」だ。

名前だけ聞くと「西洋料理じゃないの?」と、思ってしまう、この一品。
しかしそこは、さすが和食の料理人だけあって、隠し味はなんと「和風のお出汁」と「無花果」
我が家の鴨ロースは、ベースが「醤油」の和のメニューなのだ。

鴨ロースに無花果を添えたり、洋風ソースにして使うことは、よくあること。しかし父のレシピは、素人の私では、すぐには思いつけないような、完全無欠のオリジナルのものだった。



🍖 私の食レポ、下手すぎ問題w


カリッと香ばしく焼き上がった鴨の皮と脂身。
中の肉は、薄いピンク色に蒸し焼き上げた、程よいミディアム。
外は、サクッ、カリッと、香ばしく、薫りも味も楽しめる。
中は、肉汁と出汁がよく染みていて、なんとも柔らかくジューシー。

ありきたりな常套句だが、本当にこれ以外の言葉が見つからない。
今思い出しても、生唾が沸いてくるほどに、美味しい一品だ。

画像1


ここまでは、よくある西洋料理の鴨ロースと同じ工程だ。
しかし、つけ込むタレは、父オリジナルの和のアイデア満載の秘伝のタレ。
味醂や砂糖の代わりに、無花果を潰した汁とハチミツを少々加えるのだ。

そして、鴨肉が丸々見えなくなるまで、たっぷり浸して、味をしみこませる。さっと表面を高温で焼き上げた後、胡椒と山椒を振りかけて、つぎに、オーブンでじっくりと蒸し焼きにする。

そして、そこに添えられるのは、5cmほどに切りそろえられて、岩塩とごま油だけで香ばしく焼かれた「白ネギ」、これ一択。 
それが数本、添えられるだけ。 これだけで、一気に和の雰囲気に変わる。
出来上がった鴨ロースを、適度な薄さにスライスしたら、別の小皿に盛られた、岩塩だけでいただく。

これがまた、なんとも食欲をそそるのだ。
これだけでも「ご飯3杯はいける!!」と、言えるほどに美味い。
その鴨ロースと焼いた白ネギを一緒に食べることで、更に旨味が混ざり合い、追加のご飯が更にさらに、ススム君になってしまうのだ!!



🍖 父の想い……


最初にも言ったが、父は和食の料理人、だった。
京都の祇園で、祖父の代から引き継いだ小料理店を経営していた。

残念ながら、私たち姉弟が誰も料理人にならなかったこともあり、平成バブル崩壊後の不景気が長引く前に、父はあっさりと店を閉じてしまった。

画像2


父は私たち姉弟3人の誰にも、料理人になれとは言わず、それぞれが好きな道を行けばいいと、いつも笑っていた。

「超一品の包丁を何本も持っているのに、誰にも継がせる気は無いの?」と、どストレートに父に聞いてみたことがある。

帰ってきた言葉も、父らしくストレートなものだった。

「やりたければ、やればいい。お父さんの店も、包丁も譲ってやる。
それが、例えばお前の婿になる人でも、あいつらの嫁になる人でも構わんよ。そりゃー、そうなってくれたら、お父さんも嬉しいし、親父にも顔が立つ。
 
でもなぁ、親に言われてやるというのは、お父さんは違うと思ってるんや。料理の世界は、それほど甘い世界やない。毎日のコツコツとした下準備から、雑用から、料理を仕上げて、はい終わり、やないんや。
 
作る料理を楽しめるか、そこにどんな創意工夫が出来るか、如何にお客さんを楽しませることが出来るか。 そこが大事やとお父さんは思ってる。
 
おまけに、店を切り盛りしながら、自分の料理を極めるなんてなぁ……
ウチのお得意さんは、みんな舌の肥えた、厳しい人ばっかりやしなぁ 笑
器用なお前ならまだしも、下の2人には、どう考えても無理やろ? 笑」

なるほど、納得の答え。
さすが、父。
私たちのことを、しっかりと見抜いていたとは……

たしかに、祖父の代から父を贔屓にしてくださるお客様の中には、祇園の名だたる名家の大旦那さん方や奥様方、お師匠さん方がいらっしゃった。

私も子供の頃に、何度かお目にかかったことがあるが、皆さん料理のこととなると、一瞬にしてその場の空気が変わるほどに、真剣で怖かった覚えがある。

父が店を畳むことを知ると、誰もが惜しがって、援助を申し出てくださったりもした。 しかし、父は笑顔ではっきりと、それを断ったのだった。

和食の世界だけではないかもしれないけれど、父が修行して料理人になった時代は、今のような専門学校がある訳でもなく、先達の背中を見て、手元を盗み見て、練習に練習を重ねて現場に出て、たたき上げで覚えたと言っていたのを思い出す。

私はそんな父の包丁さばきを見るのがとても好きで、学校帰りに調理場に寄っては、仕事の邪魔にならないように、隅っこから父が調理するのを飽きずに、ず~~っと眺めていた。

画像3


「この包丁と店があるせいで、お前達の未来を縛りたくはないんや…… 笑」
ぼそっと、私に聞こえるか聞こえないかの声で呟いたのを、私は知っている。 

ハッとして父の顔を見たが、その時の父は、私と目を合わそうとはしてくれなかったのだった。


🍖 父の㊙レシピノート


私が結婚する数年前に、父は突然、鬼籍に入ってしまった。
心臓の大きな手術をした後、経過は順調だったはずなのに、わずか1週間で脳梗塞を引き起こしてしまった。そして、倒れてそのまま昏睡状態に陥ってしまい、わずか3日で呆気なく逝ってしまったのだ。

そんな父が、いつか嫁ぐであろう私のためだけに、料理レシピノートを手書きで遺してくれていた。
父は包丁さばきだけでなく、本当に美しい文字を書く人だった。
流れるような美しい文字で綴られたレシピノートは、今でも門外不出の私の大切な宝物だ。

忙しかっただろうに、いつの間に何冊もの手書きのレシピノートを書いていたのだろうか…… 思い当たるのは、父が入院していた時くらいか。
きっとその時に、コッソリと書きためていてくれたのだろう。



🍖 だがしかし!!


私が譲り受けた手書きのレシピノートには、肝心なことが一切書かれていなかった。

それは「最後の隠し味」「最後の一手間」となる、一番肝心なところ。

そこに気づくまで、私はもうかれこれ10年以上を無駄にしてしまった。
父はその肝心なところを、レシピノートに残すどころか、誰にも話さなかった。母にすら、教えてなかったと言うから、その徹底ぶりには驚きだ。

父は調理に関して、何をしてもとても手際がよく、用意から仕上げ、片付けに至るまで、一連の動作がまるで舞台芸術の如く、美しかった。
私と母が食後に片付けようとしても、いつも本当に食器しか残っていないほどだった。

洗い物を片付けながら、母に何度も聞いたことがある。
「結局、お父さんのレシピの肝って、なんなの? あの美味しさの秘密は、なんなんやろう? 何入れてんのかな? どうやったら、お父さんの作る、あの味になるの?」

母は、いつも決まってこう言う。
「わからへんなぁ 笑 お母さんも、あの味は、よぉ再現出来ひんもん 笑
教えてくれはるまで、お父さんに何遍も聞いてみたら?笑」

いやいや、何遍聞いてもわからんから、尋ねてるんですよ、お母さんっ! 笑

「なんなんよ、も~! お母さんにも、わからへんわけね!?」
と、当時の私はそう思っていた。 
なんやぁ、お母さんにも教えてへんのかぁ…… と。

画像4


それがいかに浅慮だったかは、私は結婚後に思い知ることになるわけだが…… (゜_゜;)



🍖 未来に受け継ぐレシピ


父が私に遺してくれた「秘伝のレシピ」 
それは「未来に受け継がせたかったもの」だったんだと気づいたのは、私が結婚して、数年経ってからのこと。

最後まで書き記してくれなかった、「最後の隠し味」「最後の一手間」となる、一番大切なところとは……

父が私をずっと大切にしてくれたように、料理を通して、今度は私がその想いを受け継いで、大切な人に伝えていくこと。
大切な家族に、仲間たちに伝えていくこと。

それが、
「我が家の料理の大切な隠し味」
「最後の一手間」となるところだったのだ。

食べてくれる人たちの笑顔を思い浮かべて、心を込めて作る料理ほど、美味しくなるものは無いはずだ。
「愛情」という調味料が、どんな調味料にも負けるはずがない。

何事も背中で語るという、昭和を代表するかのような父。
父がレシピノートに、そこをわざわざ書かなかった理由が、今なら少しわかる。

「娘のお前なら、お父さんの意図をちゃんと酌み取れるやろう?」
どこからか、そんな父の声が聞こえたような気がした。

我が家の秘伝のレシピ。

それは、単なる料理や、父のレシピノートではなく、料理を通して父が伝えてくれた家族への愛情。
誰よりも、私に引き継がせたいと願ってくれた「誰かを大切に思う心」
そのものだった。

画像5


******

画像6

スキ&フォロー&サポート
24時間 365日 年中夢中で
100%! お返しします~!!
💖(*´ェ`*)モキュ

*****

💐 プロフはこちら!! 寄ってってね!!💐


この記事が参加している募集

スキしてみて

習慣にしていること

投げ銭感覚で、サポートして頂けたら嬉しいです💖(*´ェ`*) 未来の子供たち、未来の地球のために、UNICEF、NPO法人フローレンスなどへの、毎月の募金支援に加算させて頂きます!!  ありがとうございます💖(*´▽`*)ノ🍀 あなたにも、沢山の幸がありますように🌟