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白ブリーフは私たちを前進させるか、立ち止まらせるか。ードラマ「Breaking Bad」についてー

史上最高に面白い海外ドラマ 「Breaking Bad」、シーズン5最終回まで一気に観た。(はい、今さらです)

タイトルはアメリカ南部のスラングで、「道を踏み外す」とかいう意味みたい。

高校の化学の先生、ウォルターが化学の知識を活かして、元教え子、ジェシーとドラッグを作る話。回を追うごとに拍車がかかる悪人っぷりと、山のように積み上がっていく札束は痛快なほど。次々と登場する強烈なキャラクターと、テンポ良い音楽や映像で、ドロドロなストーリーなのに明るく楽しい気持ち(?)で観られる。

極悪人の道を突き進むウォルター。しかし、そのウォルターに私たちは最後まで親近感を持ってしまう。その親近感の理由は、悪事を働きながらも「妻に嫌われたくない」「息子に尊敬されたい」と思い続けてしまうウォルターの人間らしさ、言葉を選ばずに言えば、「小物感」だと思う。

ウォルターはその「小物感」ゆえに、「家族のためにやっている」という免罪符を自らに貼り続ける。相棒であるジェシーの恋人を見殺しにしたり、ジェシーが大切にしている子どもに毒を盛ったりという大罪を犯しても。

しかし、最終回"Felina"で、指名手配され、すべてを無くしたウォルターは、最後に会いに来た妻の前で自ら免罪符をはずす。「家族のためではなく、自分のためだった。自分には才能があった。自分の才能を試したかった」(うろ覚え。すみません)

ここで、ウォルターは私たちから離れるどころか、さらに近づくのだ。心をえぐるほど近くに。

私たちは、自らに問いかけてしまう。「家族のため」と言いながら、自尊心や虚栄心を満たそうとして動いたことはないだろうか。あるいは、自分のプライドのせいで立ち止まったのに、「家族のため」と言い訳したことはないだろうか。

思い返せば、ウォルターが悪の道を進んで行くとき、引き金になったのはいつも「父として夫としての自尊心」だった。冷徹なディーラー、ガスに「男の使命は家族を養うことだ」みたいなこと言われて彼の傘下に入ったり、妻との関係が悪化した時に息子を味方につけるべく高級車を買い与えたり。

悪の世界での地位を極めれば極めるほど、ウォルターの服装は少しずつ洗練されていく。スキンヘッドに黒い帽子、ダークカラーのシャツ。いかにもインテリな悪役といったイメージ。しかし、シーズン1から5を通して、下着はずっと白ブリーフである。このアウターとインナーのギャップが、悪の世界での「大物感」に対する、家族という小さい世界に向けた「小物感」を象徴しているように思えてならない。

白ブリーフ、それは古き良き父、ちょっとショボくて優しいお父さんの象徴。

人の中にある「白ブリーフ的なもの」は、良くも悪くも人を前に進ませ、また、立ち止まらせるのかもしれない。

私が、あなたが、心に履いた白ブリーフは、私たちを縛り付けるのか、それとも新たな可能性を見出させてくれるのか。

そんなことを考えつつ、Breaking Badロスの日々が始まります。

※写真は rock candy という飴です。撮影の時もこれ使ったらしいね。あしからず!

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