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無価値なこの子の、居場所の作り方

友達から随分ヒドいことをされたり、言われたりしても、ニコニコしている子っています。

その子が、飛び抜けて穏やかな子、という訳では無い様に思えます。

その子が、年齢に似合わない心理的成熟を遂げている、という事も無さそうな感じです。

傷つけられることに、鈍感な気がします。

自分の尊厳を踏まれることに、抵抗が薄い気がするんです。


傷つける方には勿論、如何なものか、と思います。
如何なる場合であっても、傷つける側に正義はありません。

しかし、傷つけられる方の子は、自らその立ち位置に収まっている様にすら思えます。

テレビの中のお笑い芸人さんに、イジる人、イジられる人、の棲み分けがある様に、

実生活でその模倣をするかの如く、ハッキリとした立ち位置の違いをつくる子等は少なく無い、と思っています。

言うまでも無く芸人さんは、エンタメの中で、職業的に棲み分けを作り、演じて見せているのですが、

実生活でのイジる、イジられる、の関係性は、一歩踏み越えたなら、いじめ、にもなり得る危うさが有ります。

おそらく、こういった関係性は、イジられ役の立ち位置に居る子の、感じない姿勢、によって保たれています。

イジられ役の子が、「お前、バカだな」と言われた時、「バカとはなんだ!」と言ったなら、その関係性は成り立ちません。

ケンカになるか、シラけるか、とにかくその場が丸く収まることは無い訳です。

それをきっかけにして、いじめに発展する事だって少なく無いと思います。

つまり、イジられる側の子は、感じない姿勢、を貫くことで、友達の輪の中に入っているのだと思います。

この子にとっては、それがコミュニケーションの手段です。

大半は無意識に、時に意識的に、感じない姿勢、を取ることで、

この子は、居場所、を手に入れます。

代償は、自尊心、です。


そのコミュニケーションを取る限り、本人に自覚は無くても、自分を尊く思うことが困難になります。

自尊心を削って、居場所を得ても、その居場所には、安らぎも、友情も、成長もありません。

それでも、その子は、突っつかれてもニコニコ笑って見せるのです。

それが、その子が知る唯一のコミュニケーションの方法だから、です。


どうして、その方法でしか、人と関わり合うことが出来ないのでしょうか。

それは、生まれてからずっと、その方法で居場所を作って来たから、です。

心が未成熟な親の下に生まれ、

親が未成熟な心のままに、突っついて来た時、

この子は、腹が立っても、涙が零れそうになっても、ニコニコ笑うことで、居場所を獲得して生き抜いたのです。

心が健やかな親であれば、誰が指南しなくても、
真っ白で柔らかな心に、親の要求を押し付けて、
親の色に染め、親の望む形にはめ込むことが、
如何に理不尽で、如何にその子を傷つけるのか、を知っています。


しかし、その子の親は未熟です。

真っ白な心は、いかようにも染まる自分専用のキャンバスに見えます。

柔らかな心は、どんな形にも変えられる自分専用の粘土に見えます。

だから、親の要求で色を塗り、親の望む型にはめ込みます。


その子は、本当は傷だらけ、です。

でも、親が望めば笑って見せます。

涙は決して零しません。


そうやってずっと、悲しい時も、悔しい時も、親が望むなら笑って見せるうちに、

その子は、自分の感情がわからなくなります。

感情がわからないままに、居場所を作る為に笑います。


生まれた時からそうやって生き抜いたのですから、

自分の感情がわかりません。
友達が突っついたなら、笑って見せます。
それがこの子の、居場所の作り方、です。


親の要求に応えて、笑顔を作る時も、
友達に突っつかれて、笑って見せる時も、

本当は、その子は、悔しいし、悲しいし、怒りでいっぱい、なのです。

でも、生まれた時から、自分の感情なんて邪魔なだけで、何の価値も無い、と投げ捨てて来ました。

だから、感じることが出来ません。

自分がどれ程傷ついているのかが、わかりません。

何の価値も無い感情を、生み出す自分も価値が無い、と思い込みました。

思い込みのせいで、尊厳なんて薄くて軽いものに思えます。

だから、踏まれても平気、です。
だから、踏みにじられても、笑います。

どこに身を置いても、イジられ役になる子はいます。
どこに行ってもいじめれる子は居るのです。

幼稚園でも、小学校でも、大人になっても、幼い頃に生き抜く為に身につけた、居場所の作り方で、対人関係を築くから、です。

無価値な生命など在りはしないのに、自分は無価値だ、と思い込んでいるから、です。

物心がつく頃には既に、思い込んでいました。

だから、自分は無価値だ、という感覚は、慣れ親しんだ感覚なのです。

当たり前の様に、慣れ親しんだ感覚なのですから、気がつくことは容易ではありません。

しかし、イジられ役の自分に、ふと疑問を感じたら、

それは、心の呼びかけ、です。

心は、無価値なんかじゃ無い、と知らせています。

微かな心の呼びかけを、

耳を澄まして聞き取って欲しく思います。

気がつくことさえ出来たなら、

手放すことは出来るんです。

何故なら無価値は、

単なる思い込みに過ぎないから、です。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム








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