母さん、メリークリスマス
昨日、2023年12月24日はクリスマスイブ、日曜日でした。
日曜日は毎週、母が入居している老人ホームに面会に行くので、昨日も会って来ました。
母が暮らす老人ホームは、海を見渡せる小高い丘にあります。
私の自宅からは、クルマで40分程度の距離です。
母の口からは、泣き言、恨み言、心配、不平不満、しか出て来ません。
それに引きずられる訳ではありませんが、面会すると、私も晴れやかな気分にはなり難いのです。
出来るだけ雨でなければ、バイクで行くことにしています。
クルマだと運転操作が忙しく無い分、余計な事を考えがちだからです。
海を左手に眺めながら施設のある丘への道を登り、
帰りは、丘から海を右手に眺めながら、下ります。
泣き言や恨み言をたっぷり聞かされても、景色と風と潮の香りが、気分を戻してくれる気がします。
だから、出来るだけバイクを使います。
しかし、昨日は今にも降り出しそうな空模様だったので、クルマで向かいました。
クルマを運転していると、やはり色んな事を考えるとも無く考えてしまいます。
今日はクリスマスイブだな、
子供の頃は、クリスマスが堪らなく嫌いだったな、
そんな事を考えてしまいます。
子供の頃のクリスマスにまつわるエピソードは、割愛しますが、
いつも寂しかったけれど、より寂しい日、
いつも悔しかったのですが、一層悔しい日がクリスマスでした。
機能不全家庭に育ったのですから、当たり前なのですが、幼い頃に暖かい思い出はまるで無いんだな、と母が暮らす丘を目指す車中、そんな思いが頭を巡りました。
施設に着いて、受付けを済ませ、母の部屋へ。
入るなり、文句、不平不満、泣き言、恨み言をぶつけられます。
今は、それが母の甘え方なのは、理解出来ています。
母は、もっとも近い人この人には甘えて良いと判断した人に、もっともつらく当たります。
踏みにじる様な事を言うのです。
だから、顔を見るなり、辛辣な文句をぶつけるという事は、今一番頼っているのは私、という事です。
母の心は、二つに裂けています。
頼りたい甘えたい思いと、
相反する腹立たしい思いが、
一時に湧き上がるのです。
その心の動きを母自身は分かっていません。
自分が腹立たしいのは、幼子が母親に駄々をこねる感情である事を知りません。
私は母から辛辣な文句をぶつけられながら、幼い頃いつも、今と同じ様に責められ続けていたな、と思いました。
今の私は生きづらさを手放した実感があります。
こうして週に一度、踏みにじる様な事を言われても、心があからさまに乱れる事はありません。
しかし、本来、母親から受け容れられるべき幼少期に、毎日毎日こんな言葉を浴びせられたら、
心は傷だらけになってしまう、と改めて思います。
昨日は、顔を見るなり「死ねばいいと思ってるんだろう」という言葉で迎えられ、
「何の役にも立たないから帰れ」という言葉に送られて母の部屋を出ました。
帰りの車中、やはり考えてしまいます。
人は生命が尽きる時、人生を走馬灯の様に見る、とも言います。
ならば、母はその走馬灯に何を見るのでしょうか。
憤りや、恨みを見るのでしょうか。
母は自分の生きづらさを、そっくり子に背負わせて、身軽になって生きた人です。
自分と向き合うこと無く生きた人です。
そして今、人生の最終章を迎えても、自分が幼子の様に駄々をこねているという事すら、自覚がありません。
生涯、与える喜びとは縁が無く、与えられる事ばかりを欲しました。
愛する事を知らず、愛される事を望みました。
心は成長することも、成熟することも無く、あまりにも幼いまま、人生の最終章を迎えています。
生き方や人生に、善悪、正誤、優劣は無い、と言います。
しかし母は最期、走馬灯の中に、どんな景色を見るのだろう、と思わずにはいられません。
役に立たないから帰れ、と追い立てられて部屋を出たので言い忘れたことを、
帰りの車中、つぶやこうと思うでも無く口をついて、つぶやいていました。
冷えるから毛布、しっかり掛けて寝なよ、
母さん、メリークリスマス。
そうつぶやいて、
心がぐらっと揺れました。
鼻の奥がツンとしました。
やっぱり次はバイクで来よう、
そう思いました。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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