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もう自分を責めない

この世に価値の無い生命は有りません。

そこに存在するだけで、既に有価値です。

なのに、「生きづらさ」を抱えてしまう人は、

生まれながらにして、存在を尊重される環境に恵まれず、
日々、無価値な扱いを受けるうちに、

自分には価値が無い、という思い込みを心に刻み込んでしまった人なのです。

「生きづらさ」を手放すことは、
自分にはもともと価値があるという事を思い出すこと、です。

自分が心に刻み込んだ、価値が無い という思いは、単なる思い込みだと、腹の底からわかること、なのです。

それが腑に落ちるまで自分と向き合います。

とことん、です。


生まれた時から無価値な扱いを受けて、尊重された事など無かったのですから、

無価値な扱いを受けるのが当たり前なのです。

もっと言うなら、無価値な扱いを受けているのかどうかすら分からない状態のことだって有るのです。

良いも悪いも、有価値も無価値も、とにかく生まれながらに、そう扱われた、その扱いしか知らない、

だから分からないのです。

そんな状態にありながら、自分の「生きづらさ」に気が付いて、

その「生きづらさ」を手放そうと決意することは、大変な勇気です。

この時点で既に尊い気づき、と言えます。


そんな尊い気づきを経て、心に取り組み始めます。

自分と向き合います。


「ありのままの自分を受け容れる」

おそらく、そんなことは、心に悩み、心に苦しんだ人は、百も承知なのだと思います。

「心のこと」にまつわる本も読み、ネットから情報を集め、

頭では、知識としては、「ありのままの自分を受け容れる」ということを理解しています。

それなのに、迷い込むのです。

優しい自分になろうとします。
強い自分であろうとします。

自分を変えよう、としてしまいます。


「ありのままの自分を受け容れる」つもりで、自分と向き合い始めたのに、
自分を変えよう、としてしまうのです。

自分を変えようとすることは、
今の自分ではダメだ、と自分を否定することです。

あるがままの自分を受け容れることとは、正反対の自分へのダメ出しです。


生きづらさを抱えて今日まで生きた人は、あまりにも自分に厳しい場合が多いと思っています。

心の中で、自分を責めに責めています。

何故でしょうか。


幼い頃から、否定的に扱われ、尊重されること無く、生きました。

親が望めば、泣きたいのに笑って見せました。

親が望む子供にならなければ、受け容れてもらえなかったからです。

もしも、そこで涙をこぼしてしまったら、親は自分を責めます。

幼い子供にとっては親が世界の全てです。

その親から責められることは、全世界の人々から一斉に非難されるほどに辛いのです。

だから、自分の泣きたい気持ちは、放ったらかしにして、親が望む様に笑うのです。

そうやって、自分の感情を放ったらかしにして、親の望む感情を選ぶことが当たり前になってしまうと、

その子は、自分の感情は捨てなければならないもの、だと思い込みます。

自分の感情を出した時、世界の全てである親は、自分を責めます。

責め続けられるうちに、自分の感情は、悪いものだ、と思い込むのです。


人間は感情の動物です。

生きる限り、私達の感情は次から次に生み出されます。

その子は、感情が次々に生み出される度に、それを悪いもの、として自分を責めます。

生きづらい人は、ずっと自分を責め続ける人です。

その事を本人は、ほとんど自覚していません。

しかし、いつも心が塞ぐ人は、意識すること無く、常に自分を責めているのです。

だから、慢性的に心が重たいのです。


生きづらい人が、生きづらさに気づいて、それを手放そうと決意して、自分と向き合います。

知識としては、ありのままの自分を受け容れる、という事も理解して、自分を見つめようとします。

それなのに、いつの間にか、今の自分を否定して、変わろうとしてしまうのです。


無理も無いことです。

これまで自覚が有ろうが、無かろうが、自分を責めに責めて生きて来たのですから、

今の自分を、ダメだと思ってしまうのは、当然です。

もっと優しく、もっと強く、変わろうとしてしまうのは当然です。

自分と向き合う時、生きづらい人は、ここでつっかかります。

そしてまた、つっかかった自分を責めます。

さながら、無限ループです。


生きづらさを手放そうとする人は皆、真剣です。

だからこそ、自分と向き合おうとしています。

でも、真剣と深刻は、全く違うことです。

過去の見たくない出来事や、思い込みと対峙します。

怖くもなれば、痛みも伴います。

しかし、だからこそ、変わろうと躍起になる自分に気が付いたなら、責めないで欲しいのです。

もう嫌と言うほど、自分を責めながら生きて来たのですから、

「いろいろあっての今だから、仕方が無いよね」

「その甲斐あって今がある」

と、そろそろ責めることを止めにして欲しく思います。


ありのままの自分を受け容れる、ということは、

何があっても自分を責めないということ、だと思うんです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム









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