見出し画像

歴史小説「Two of Us」第4章J‐4

割引あり

~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Forward to【HINO-KUNI】country

J‐4

 豊後水道の灘の水面が、さざ波できらきら輝いている。

 起床が早い朝、あなた珠子は、小袖の身支度もそこそこに、朝日に光る内海の杵築湾を、眺めていた。
 曇りを感じない天気の遠くかすかに、四国の半島を見つけた。

「あの海を、渡って来たのですね。。。」
 珠子は振り向かずに、問いかけた。
「お方様。とても穏やかな海です。
渡って来た瀬戸内海も、堺の港もそうでしたね。
 宮津の向こうの若狭の海は、今頃波が荒くなって来ております。
 イトは、畿内が恋しゅうござりますが、お方様は、穏やかなお心持ちのようです」

 

 細川家に嫁いだ満15歳の時からずっと、いっしょに付き添って来た無口なイト(清原マリア)が、珍しく饒舌なのだ。
 珠子は振り向いて、微笑む。

「貴女も変わりましたよ。本当は、希望に溢れてらっしゃるのでは❓
ちっとも畿内が恋しそうやないですよ❓」
「はい、、、そうなのかも。私は明日、五十路(いそじ)に辿り着きます。
 なぜだか『PACÍFICO』(葡語≒英語Gentle)なのです」
「さようなのですね。わたくしも、あの凪の海のような気持ちです。
ようやっと、辿り着きましたよ❓和平な心の内に。
 イトが五拾ならば、わたくしも数えの四拾六ですね。
永い旅路でした。お疲れさま」
「有難きお言葉。身に沁み入ります」


 時代は徳川幕府の世家康の孫にあたる三代目将軍家光(竹千代)が生まれ、後陽成天皇和仁様の慶長年間は二十年続く。

 1608年の秋。
 ガラシャ珠子は、永らく陽なたを忍んで生き延びた丹波の地を離れ、九州の別府(本拠地とは別に統治する領土のこと)へと、呼び寄せられていた。

 表向きは城代家老の松井佐渡守康之が統治している城下町だが、実質は常置されず、ガラシャ珠子が主として居城することとなる。現存する日本一小さな天守閣。

 初代小倉藩主の細川忠興が隠居し、隣接した中津城を住まいとしていたからだ。1602年(慶長7年)に忠興が築城した博多小倉城に、家督を継いだガラシャ珠子の実子三男の忠利が、藩主として居城していた。

 『小倉百人一首』から採った〈小倉〉の地名や、『祇園太鼓』の命名は、京都に生まれ育った与一郎忠興ならではなのだ。
 その細川忠興も、旧暦のあとひと月余りで、同じく満45歳を迎える。

ここから先は

719字 / 1画像

この記事が参加している募集

歴史小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?