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美しい女シリーズ004: 鬼になれる女 Mrs. Whittle


七田の今日の一曲:The Kid LAROI の Always do


これは私が中学一年の時に出会った美しい女 「鬼になれる女 Mrs. Whittle」のお話。

知らない方も多いと思うが 私は幼少期をサイパンで過ごし、
小学から中学2年にかけてはオーストラリアに住んでいた。
東海岸の小さな田舎町で 当時の町の人口は僅か2800人。
信号機もなく、ましてやファーストフード店など一つもない様な場所。
息を止めてメインストリートを走り切ることができ、 それでも小学校は2つ、中学・高校一貫の6年制高校が一つあった。

父は日本の教育システムに疑問を持っていた。
”分かる人に挙手させ 答えさせる” 教育方針に ”分からない人 手をあげて”というのが教育の在り方だ!と私たち兄弟と母を オーストラリアに送り込み、自分は一人日本に留まり 2-3か月に一度 父がオーストラリアに来る生活であった。

小学で普通に周りとなじめるくらいまでの英語力は身に着けた私が Mrs. Whittleに出会ったのは 中学1年の時。

小さくて 小太り。淵の尖った緑の眼鏡を下にづらして 眼鏡の上から新入生をのぞき込む。鼻先から フン!と息を出しながら、チェーンのついた眼鏡を首にたらし置き 腕を組む。。。この英語の授業は難関だと 私はすぐに悟ったことを覚えている。

彼女からの初めてのアサイメントは 感想文だった。
とある本を一日で読み上げ、感想を書いて翌朝提出。
今でもはっきりと覚えている。。。初めて私に向けて 彼女が放った言葉達…

”お前は私の赤ペンを無駄にしている!!!”


その日は悔しくて悔しくて 帰宅してから夜通しで泣いた。
誤字や文法間違いが とてつもなく多かった私の感想文は、私が書いた鉛筆の黒色をも消し去る様な 真っ赤な赤ペンで埋められていた。

その日から私は図書館で毎日3冊の本を借り、毎日毎日感想文を3つ Mrs. Whittleに提出した。
どんな日にも本を借り、夜中まで読み続け、日にちが変わっても感想文を書き続ける。

”こんなに頑張っても 上達しないんだから諦めなさい”

”本当に赤ペンが切れちゃって 払ってもらいますからね!”

”私もう疲れちゃったわ”

”また来たの???”

彼女のオフィスのドアを叩くたびに 彼女はふてくされて 昼寝を邪魔されたカバの様ないやぁーーな顔をする。そして毎回 このような言葉達を 表情一つ変えずに私に浴びせて行った。

手元に戻った感想文は いつも真っ赤に染まっている。真っ赤っかで 何が何だか分からないくらいに。。。それも書き直して 次の日に新たな感想文と共に提出しなおしても なお また赤く染まって返ってくる。

とにかく悔しかった。
どうせなら町中の赤ペンを Mrs. Whittleに買わせてやると思った。
小さな椅子にあふれんばかりに座る 小さくも大きいMrs. Whittleを アッと言わせてやりたかった。

他の子供たちは 何の苦労もせずに 英語の授業をパスしていった。
たまに泣いて彼女のオフィスを出る子も見かけたし、笑いながら彼女と話をする生徒もいた。彼女が他の生徒にとって どんな先生であろうとも、私にとっては 正に 「赤ぺん鬼教師」だった。
授業以外では Mrs. Whittleをあまり見かける事もなかったし、見かけないようにもしていた。
廊下で他の先生と一緒にいるMrs. Whittleに わざと皆の前で

”明日はシニアのダンスパーティーだから 赤ペン無駄にしなくて済むわ”

そう言われた事を 幼い私は根に持っていたという事も一理あった。


一年間…ダンスパーティーがあってフレッシュマンが登校しなくてよい日さえも 私は欠かさず 感想文を書き上げた。まさに365日間。


年度最後の英語のテスト。
お題は、歴史的人物のレポートだった。
レポート用紙10枚に、人物像の紹介を含め15ー20ページ。

私は一年分の自分を このレポートにぶち込んだ…。


レポートが返ってくる日。
一人一人、Mrs. Whittleに呼ばれ レポートを返却される。
相も変わらず、眼鏡の上からのぞき込んで ため息をつきながらの作業。
この瞬間は 出来の良い子にも悪い子にも 緊張が走る。

いつも通りに私が呼ばれたのは最後の最後だった。
私の名前を呼ぶこともせずに…
Mrs. Whittleは片方の眉毛をあげながら 私を見て
人差し指を クイッとまげて 指招きをした。

あ、あれ??????

手渡されたレポートを見て、何が何だか分からなかった。
何も書かれていない、提出したままのレポートが私の手の中にあった。。。
それは 真っ赤にも染まっていなければ、線の一本も引かれてはいない。

Mrs. Whittleは やれやれとため息を一つついて
混乱した私の手から レポートを奪い取り ぺらぺらと頁をめくり
最終頁で折り返し、また私に手渡した…

”You did Well. ”

最終ページにだけに入れられた赤ペンは
A+++ と にこにこマークの :)この絵文字だった。


”やっと私の赤ペンを無駄にすることがないレポートを書き上げたね。

”一年間 本当によく頑張った。”


ふと顔をあげると 天使の様な 涙を浮かべたMrs. Whittleの笑顔があった。


必死になって感想文を書きまくって、悔しくて悔しくてたまらなかった私だが、 何処かで 分かっていた。
どんなに下手くそなレポートでも、
どんなに真っ赤に染まっていても、
毎回必ず私のもとに 赤ペンと一緒に必ず返ってきた。
毎回返ってくるから、また書けた。

Mrs. Whittleもまた、365日 休まずに 私に付き合ってくれていたのだ。

私が頑張れる、悔しがることが出来る子供だったから?
教師という立場だから?

真相はわからない。でもMrs. Whittleが始めてくれた ねぎらいの言葉で
初めて 彼女の顔に”鬼面”がかぶさっていることを知った。
そのお面の下には、 偉大で 優しさが沢山籠った 笑顔がいつもあったことも。


その日のうちに私は ずっと貯めていたお小遣いを握りしめ 文房具屋へ向かった。
ありったけのお金で 赤ペンを これほどかというくらい買い占めた。
翌日 それをMrs. Whittleのオフィスに持って行ったときに
彼女は何も言わずに 小さな椅子から 大きなお尻をあげ
私をぎゅっと抱きしめてくれた。


鬼になれる美しい女は、こうして今の私を作り上げてくれたのである。


美しさとは、優しさや 柔らかさだけではなく、
時には 強さであり 厳しさでもある。
表に出た感性がどんなものであっても、根本にあるものは
愛であり 情熱である。
どんなお面をかぶっていても、その下に美がある人は皆
「美しい人」なのだ。

赤ペン鬼教師のMrs. Whittleは 間違いなく
「美しい女」だった。





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