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こぼれる。【SS】あじさいシリーズ/由佳と千歳シリーズ

 

まるで息をするように、彼女は彼女に恋をした。

 

 

「失礼します…」

 

昼前、校庭からは体育の授業に勤しむ生徒たちの声が遠くで聞こえている。
思春期の煩わしさとざわめきからほんの一瞬だけ、それらと自分とを隔離してくれる場所が保健室。
その保健室のドアをゆっくり空ける少女がいた。

樫木あおい。

校庭に面した大きな窓にはオフホワイトのカーテンがかけられている。室内に踏み出す歩調に合わせ、彼女ショートボブがほんの少揺れ、プラスチックフレームの眼鏡のレンズが柔らかな明かりを薄く反射させる。
まるで心の波を穏やかに保とうとするかのように、ゆっくりと。

目当ての人物がいない。

残念なような、助かったような。
どちらとも言えない気持ちで息を一つ落とす。

授業を抜け出してしまった手前、教室に戻るのも憚られるような気になり保険教諭の机の横に置かれた長椅子に腰掛けた。椅子にかけられた透明のビニル製のシートが腿の裏に張り付く感触がする。

 

いなくて、良かったかもしれない…
あんなこと、気のせいかもしれないのにそれを聞き出そうとするなんて、先生に失礼だ。

 

あおいはあることを打ち明けるために保健室に足を運んだ。
しかしその打ち明ける相手が不在となると一気に冷静になるというか、決意が鈍るというか、なぜ打ち明けようと思ったのかとすら疑問に思えてしまって考えが脳内をぐるぐる巡り始めてしまった。
考えが3周目に入ったところで、先程自分が入ってきた扉が音を立てて開いた。入ってきたのはこの部屋の主である保健教諭の古島由佳だ。

 

「あれ、樫木さん。どうしたの?」

「お邪魔してます、先生。」

 

思わず立ち上がったあおいに、座ってと優しく微笑んだ。しかしあおいはその言葉を受け取らず、長椅子の前に立ったまま相手を見つめた。
その視線に気付かないのか、古島は手に持っていたバインダーや書類を机に下ろすと、処置用のガラス棚の扉を空ける。

 

「風邪?熱測っておく?」

 

背中越しに問いかけるも返答はなく、取り出した体温計を手にしたまま振り返った。
完全ではない静寂は、遠くの楽しそうな声たちからこの場所が遠く、隔てられているように感じさせる。此処に居るのは先生と自分だけという舞台装置を少女の心に作り上げた。

 

「先生、」

 

息をひとつすって、ぎこちなく言葉にして吐き出す。

 

「なに?」

「先生、この前の土曜の夜、女の人と手、繋いでましたよね…?」

 

先生の方へ向けた視線を微かに下ろし、ゆっくり紡いだ。

見てしまった。土曜日の夜にたまたま歩いた、少し離れた駅から先生が出てきたこと。女性と一緒だったこと。そして駅から少し離れると大切そうに手を繋いだこと。

その姿が幸せそうで、おそらく友人じゃないことは17歳の自分にもわかってしまった。

先生の視線が揺らぐのを感じる。

ごめんなさい。いくら今は同性愛に偏見が無くなってきたとはいっても、学校内で暴かれるなんて望んでないと思う。

 

「あの女の人と、先生は付き合ってるんですか…?」

 

決定打を放つ。こんなことを言っておきながらこわくて目も見られないなんて、なんて私は無責任なんだろう。
でもどうしても聞いておきたかったんだ。他ならぬ自分自身の為に。

 

「そっか…見られちゃったか。」

 

静かな声色。大人の女性の少し困った声。

 

「…そうだよ。あの人は私のパートナー。」

 

しんとした静けさは薄く張った氷みたいな緊張感で二人を包み込む。

やっぱり、

 

「やっぱり…そうなんですね。」

 

これを聞きに来たのに、肯定されると次の言葉に悩んだ。どう話したらいいだろう。何度も頭の中でシュミレーション したのに。

 

「座って。」

 

再度促されると、視線を落としたまま今度は言われたとおり長椅子に腰を下ろした。
ビニル製のシートがぴったりと腿の裏に張り付いた。夏服のプリーツスカートのサラリとした感触とのギャップがちぐはぐな今の心みたいだ。
先生も自身の椅子に腰掛ける。古い教務用の椅子がギィっと音を立てた。

 

「なんで、それを聞きに来たの?」

 

秘密を暴かれたはずなのに、声色もその表情も優しくて。何ならいつもより優しくしようと意識しているようでかえって不安になる。優しく問いかけるその裏側を考えてしまう。他の人、こと教員に言われたら困るんだろうなと、簡単に辿り着いた仮説を問いかけに答える為に真実のように飲み込んだ。

 

「あの…」

 

用意していたはずの言葉は胸でつかえた。
上擦って出てきた声は小さく、手のひらの真ん中はじんわりと熱くなった。

 

「わた、しも…友達の、女の子が、好きなんです…」

 

言い切ると熱を持った手のひらがびりびりと痺れる様な感覚になって、心の中心は手のひらだったんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
先生は目を丸くしてその言葉を受け取った。

 

「あ、そ…そうなの…!」

 

瞬間、照れ笑いのような安堵したことをはぐらかすような笑みをこぼして、そうかそうかとあおいの肩を数回叩いた。

 

「いいよ、いいと思う!先生応援しちゃう!」

「先生…」

「ん?」

「もしかして、私に告白されるかもって思いました…?」

 

こみ上げた違和感と、勝手に飲み込んだ仮説と現実とのギャップに眉を寄せる。

視線が少し泳いだあとすぐに自分に戻ってきた。

 

「ごめんね、ちょっとだけ思った。」

 

そう笑った顔は今まで見た先生の表情とは違って見えた。こういう笑顔を、あの一緒にいた女性にも向けているんだろうか。

 

「もう、違いますよ。」

 

その笑顔につられて笑みが溢れる。
びりびりと痺れていた手のひらの真ん中は、柔らかな熱の余韻に変わっていた。

 

「そっか…良いね、青春だね。もちろんそれだけじゃないんだろうけど。」

「はい。告白とかは、考えてないので。」

「切ないね〜…でも、そうだよね。私もそうだったし。」

 

遠くに聞こえる生徒たちの声がほんの少し静かになった。柔らかな光はオフホワイトのカーテンの隙間から筋になって空気中の細やかな埃がそれに反射する。

 

「でも、その人を好きになれたことは大切にしてね。」

「はい」

 

教員用の椅子がまた古さを示すようにギィと音を立てる。先生はあおいに手を伸ばし、先程まで緊張仕切っていた両手を自分の両手でゆっくり包み込んだ。

 

「誰かを好きになれる樫木さんのことを、必ず誰かが愛してくれるから。」

 

胸のあたりに何かがこみ上げてまた言葉が詰まる。
私は先生に話したかったんだ。女性を好きなのかもしれないと思った、パートナーと歩く先生を見つけた時から。先生なら、わかってくれるかもしれないって思ったんだ。

 

「…また、話に来てもいいですか、」

「もちろん!私で良ければコイバナしましょ。」

 

コイバナって、と小さく言葉が転がり落ちるとふふっと笑う声がしてその後一緒に笑い合った。

まるで息をするように、当たり前のように好きになった彼女のことを、話せる人が欲しかったんだ。
出来れば、同じような思いをしてきたかもしれない人に。
だって、

もう溢れてこぼれ落ちそうなくらい、私は彼女が好きだったから。
誰かにこぼさないと、彼女に伝わってしまいそうでこわかったんだ。

 

「じゃ、また。」

 

授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、先生は手を解いた。

 

理解者が出来た嬉しさはとても晴れやかで、その気持ちを胸に保健室を後にする。

 

 

 

fin.

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はい。
百合で書いてる由佳と千歳シリーズです。
由佳の仕事と、生徒のあおいのお話でした。
あおいは「あじさいシリーズ」として今後も書いていきます。やっぱり百合です。
今度はあおいと意中の人の話を書きたいなぁと思います。
由佳と千歳の周りの話も書いていきたいのでだんだん群像劇のようになっていきそうですね。

僕自身もLGBT当事者なので、カミングアウトはいつも緊張したなと思い起こしながら書いた一本でした。

いつだってテーマは「ドラマチックがない人はいない」なので、きっと自然とドラマチックになっていくんだと思います。

 

では。

 

過去の由佳と千歳シリーズ

 

 

 

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