マガジンのカバー画像

名取老女物語

19
中世の名取の巫女伝承を研究しています。宮城県名取市に熊野三社を勧請した「名取老女」伝承の子孫、虹乃さんを中心に名取老女を考察中。宮城県南の歴史、伝説の他、東北の豊かな自然を伝える… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

【熊野信仰をめぐる】熊野速玉大社と東北から巡礼にもきた権現川原

最初に訪れた新宮市の熊野速玉大社。 熊野速玉大社は、生命の根源である自然の働きを神格化し…

【熊野信仰をめぐる】熊野信仰の原点となった花の窟

2023年2月5日に開催された和歌山県新宮市丹鶴ホールにて 「新宮・名取ロータリークラブ…

【新山観音堂】奥州三十三所観音霊場札所納札

先月、平泉へいき、その帰りに立ち寄った花泉町。 平泉の本拠地近くで観音霊場に関係する資料…

【神社】『今熊野神社』の老女さんと継承された榊流神楽

今熊野神社は、名取市赤坂の地名にあります。 別名「赤坂神社」とよばれていました。 ここは、…

【能】護法(ごおう)の名取ノ老女と世阿弥

先日、仙台在住の能楽師、山中迓晶(やまなかがしょう)さんと名取熊野勧請900年実行委員会…

【紀州】熊野本宮大社旧社地「大斎原」の音無川

和歌に多く詠まれる「音無川」 名取老女が勧請した由縁では、名取川を熊野川に模している。し…

【神社】名取熊野神社の老女宮とわらじ

今年は、名取熊野神社勧請900年になります。 名取老女が勧請した由縁によるものですが、 文献、史料が乏しい中でも、 長い間、伝承されてきた理由は何でしょうか。 老女神の由縁 新宮は、明治以降に熊野神社と称される。 初見は、『名取熊野神社文書』1341年(暦応4年) 祭神 速玉男命、伊邪那美命、事解男命、菊理媛神。 ※事解男命(ことさかのおのみこと)掃きはらって生まれた神。 老女宮(老女神)の由緒 昔、名取に一老巫女がいて、深く紀州熊野三神を信じ、しばしば登拝した

【信仰】小謡で誓う「名取老女かくばかり~信なれば~」

わらじを編んでいた熱心な熊野信者である名取老女は、複数の顔をもちます。 なぜ、熊野三社の…

【能】糺河原勧進猿楽の御乞能(アンコール)は「名取老女」だった

名取老女の名が流行したのは、 音阿弥・世阿弥による お能(護法)からです。 1464年「糺…

【信仰】熊野権現影向図のこと

この図は、阿弥陀如来が大きく雲から現れ、 熊野権現を信仰する者だけに見えるとされた 影向(…

【伝説】鳥羽天皇の病気を治した名取老女と奥州札所三十三観音霊場

「春日入の熊野社」の中で、 鳥羽天皇の病気を治す伝説がありました。 諸説ありますが、奥州…

名取熊野信仰講和会の記録②

名取老女伝承に語られる守家の談話より(一部です) 10月1日に行われた能「名取ノ老女」 …

名取熊野信仰講和会の記録①

『未来につなぐ名取老女伝説』2018年5月13日:名取熊野那智神社にて お話:虹乃美稀子さ…

【口承】守家の名取老女について

名取老女の子孫:守氏の遠祖 仙台市太白区中田七丁目に「烏宮(からすのみや)」があります。 元は、名取郡中田村前田の地にあたるのですが、守氏は、名取老女の子孫と称されます。 以来、800年もつづく旧家です。 守氏の遠祖は藤原叙用(のぶもち)で、 叙用は利仁の子であり藤原鎌足の十世の孫とされます。 ※藤原利仁・・・『今昔物語集』の中に登場するモデル。 「悪路王を攻め、勅命により新羅に遠征」といった内容の軍事物語。 『田村草子』では、藤原俊仁として登場する。    藤原叙用は、