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ギターしか愛せない


家庭訪問

「お父様、本日ご自宅に伺ったのは照山くんの事についてご相談をするためです」と教師は口を開くと、生徒の父は話を聞くためにテーブルの向こうからテカリ尽くした頭を教師に近づけてきた。窓ガラスから入る夕陽が父親の頭にあたりそれが反射して光が教師の目に当たった。教師は生徒の父の貫禄のありすぎる姿とテカリすぎた頭に気圧されて思わず顔を背けた。

「まぁ、先生遠慮しないで全て話してください。一体ウチの息子に何があったのですか?彼はこの間の期末テストで学年トップだったではないですか?」

「おっしゃる通りです」と教師は眩しさを堪えながら父親の方に向き直って続けた。

「確かに照山君は我が校に入学してからずっとテストで学年トップの成績を取っています」

「まぁ、当たり前です。彼は私の子供なのですから」

 父親は胸を張ってこう言ったが、教師はその堂々っぷりと頭のテカリの神々しさに慄いてしまった。

「し、しかしですね。照山くんは授業態度に少々問題がありまして。いや、大学教授であるお父様にこんな事を報告するのは非常に心苦しいのですが、照山くんは毎日マイクとギターとアンプとスピーカーと、それにエフェクターでしたっけ?とそれらを一式全部学校に持ってくるのです。まぁそれは今からでも軽音楽部とかに入部してもらえば解決できる問題ですが、しかし授業中にギターをアンプとスピーカーに繋いで大騒音で演奏するっていうのは……。たしかに我が校はこの田舎にしては自由な校風ですが、それでも照山くんはあまりにも逸脱しすぎています。他の生徒の保護者からも苦情が出ていますし、我々教師の中にも照山くんの退学をを考えざるを得ないとの声が出ています。ですのでお父様からも照山くんに注意していただきたいのです。授業中にギターは鳴らすなと」

「ふむ、それは確かにまずい事ですな。先生のご忠告は彼が帰ってきた時に伝えておく事にしましょう。最も彼は私たち親の言うことなど聞くまいと思いますがね」

「何故です?照山くんは日頃からお父様の事を大変尊敬しておられているじゃないですか?」

「確かにそうですが、しかしそれとこれとは違うのですよ。先生は学校で彼を見ていて常人とは違うものを感じませんか?」

「は、はぁ。確かに照山くんは少し、いやかなり変わっていると思いますが……」

「そうでしょう。ハッキリ言ってね。私は彼を天才だと思っているのですよ。彼の変わり者ぶりには私たち夫婦もほとほと参りましてね。どうしたもんかと悩んでいましたが、ある日ハッと気付いたんですよ。彼がマヤコフスキーのような天才ではないかと。天才というのはいかなる規範から逸脱するものなのです。私は父親として彼を見ていてそれを強く感じました。マヤコフスキーの『ズボンをはいた雲』に「僕の髪には一筋の白髪もない」という一節がありますが、彼はまさにそれなのです。その光で我々に新たな光をもたらす存在なのですよ。まさに奇跡ですよ。大学でマヤコフスキーをずっと研究し続けてきた私の息子が彼と同じような天才だったなんて!そのような彼に向かって我々のような凡才が何を言っても無駄なのです。天才の彼にああしなさいこうしなさいと規則を押し付けても彼は規則を飛び越えてしまうでしょうから」

 教師は生徒のこう興奮してテカリまくった頭を上下左右に動かして語る父親が眩しすぎて思わず顔を背けた。父親はその教師の態度が気になってどうされたのかと聞いた。教師はうかつにも正直に、お父様が眩しすぎてと口にしてしまったのだが、しかし大学教授である照山の父親は教師の言葉を、素直に自分の威厳を称えていると受け取ったようで、満足げな顔で私は天才の父親ですからなと胸を張った。

 教師が退出してしばらくすると、息子の照山がギターセット一式持って帰ってきた。父親はキッチンで料理を作っていた母親と共に息子を迎えるために玄関に向かった。照山は大学教授の息子として礼儀正しく「お父さん、お母さん只今戻りました」と一礼してから家に上がった。父親はその息子に向かって先ほど教師が来て彼の授業態度について相談を受けた事を話したが、それを聞いた照山はさわやかな表情で「お父さんに心配はかけない」とはっきりと言いきり、そのまま二階の自分の部屋へと上がって行った。

 照山の両親はその二階への階段を上る息子のいずれ天才が頭から輝くであろう神々しい姿を見て、これぞ天才と感嘆するのだった。間もなくして二階からギターの爆音が聞こえてきた。地響きと共に響くこのギターは天才の息子から鳴らされた物であった。

 これが後に永遠の少年ロックバンドRain dropsのカリスマフロントマンとなる照山である。照山は当時この冬は雪が降り積もる地方都市で鬱屈した毎日を送っていた。学校で友もなく、ただギターだけが彼のそばにいた。照山はどこでもギターと共にいた。学校でも家でも電車の中でも、彼はどこででもアンプとスピーカーをつないで最大ボリュームでギターと語り合っていた。。ギターなしで生きていくなん今の彼には耐えられなかった。周りのうるさいとか、授業の邪魔だとか、耳がつぶれるとか、警察を呼ぶぞとか、そんな雑音は彼にはどうでもよかった。ただギターを弾いていればそれでよかった。

恋の衝撃

 最近照山は学校の休み時間を屋上で過ごすようになった。それはやはりクラスメイトや担任が自分を露骨に冷たい目で見るのが嫌になったからである。クラスの連中は彼がボリューム最大でギターを弾きながらビートルズやスミスとか昔の洋楽を歌うと授業中でさえ一斉に逃げ出した。彼のギターがとても思えぬほど上手く、その歌も少年そのままの透き通るような声の見事なものであったのにもかかわらずである。

 NHKのど自慢大会なら照山はおそらく金賞は取れたであろう。それどころかスカウトがわんさか駆けつけたであろう。それにも関わらず逃げ出すとは。

 照山は自分という存在は生まれ育った北国の田舎街では全く受け入れられないと感じ始めていた。これは名だたる天才も通過儀礼のように経験し、その過程で自らが天才である事に気づいていくのだが、後の永遠の少年バンドRain dropsを率いるカリスマアーチスト照山もまた名だたる天才と同じように自分が他の人間とは違う天才であることに気付きはじめていた。

 教室から追放された照山は人が聴いてくれなければ動物に聴かせようと生物飼育部の管理している牛小屋に入って思いっきりビートルズの曲を歌ったが、牛に思いっきり蹴られてやむなく退散せざるを得なかった。照山は僕は暴力的なオーディエンスは嫌いだよと愚痴りながら牛小屋を飛び出した。

 そして今度は校庭の隅で木や草を相手にビートルズの曲を歌ったのだが、今度は歌った途端に木や草の葉が抜け始めてしまったのである。照山はこれじゃ環境破壊になってしまうと思って昔どっかで聞いたモーツァルトを聴かせると植物がよく育つという話を思い出し、ギターで『アイネクライネナハトムジーク』を弾いたのである。すると木や草は嘘のようにまた生き生きと葉っぱをはやし始めた。照山はこの現象に感嘆しじゃあ僕の曲はどうかなとマヤコフスキーの詩を題材にした自作の『ズボンを履いた雲』を歌ったが、サビの「僕の髪には一筋の白髪もないのさ」の部分で木や草は枯れるどころか一斉に禿げ上がってしまったのだ。照山それに気づくと慌てて周りの芝生を見たのだが、そこもいつの間にか禿げてツルツルと光っているではないか。これは照山の深い挫折であった。自分の音楽が草を生やすどころか一斉に禿げ上がらせてしまうものだなんて。

 植物からも相手にされないのかと深く落ち込んだ照山は校庭も避けるようになり、今は校舎の屋上で休み時間を潰していた。今日も照山はいつものようにギターをスピーカーとアンプに繋いでマイクを手に歌おうとした。しかしマイクに電源が入っておらずスピーカーもアンプも同様であった。おそらくバッテリーが切れたに違いない。照山は悔しがり衝動的にギターを叩き壊そうとしたが、ふと自分の他にも誰かが屋上にいるのに気づいて手を止めた。

 それは女の子だった。女の子が一人彼に背を向けて屋上の手すりの前に立っていたのである。それを見て照山は心の中にギターを弾きたい衝動が頭をもたげてくるのを感じた。照山は衝動のままにギターを掻き鳴らしこう歌った。

「恋以上愛未満、どうしていいかわからずにぃ〜♪恋以上愛未満、ただ君を見つめるだけなのさぁ〜♪」

 アンプもスピーカーも繋いでいないギターがどこか寂しげに響いた。照山は寂しさを振り切るように思い浮かんできたメロディと言葉をそのまんま歌った。そして歌い切った後照山はふと前を見た。そして驚いた。なんとさっきの女の子がいつの間にか目の前に立っているではないか。彼はあまりの驚きに思いっきり目を剥いた。

「びっくりさせてごめんね。屋上で空見てたら突然君が歌い出してなんだなんだってしばらく聞いてたんだけど、聞いているうちにちゃんと聴きたくなって思わず目の前に来ちゃった。今のなんて曲?」

 突然の問いに照山は完全に動揺してしまった。女の子に声をかけられたのか、小学校ぶりだった。林間学校のキャンプファイアーで手を繋ごうって誘われたのが最後だ。だが子供であった彼は手繋などガンとして断った。僕の手に触れていいのはギターだけだと宣言して。それ以来照山に声をかける女子は一人もいなかった。いようはずがない。何故なら彼はいつでもどこでもギターにアンプとスピーカーを繋いで大音量で鳴らしていたからだ。

 だがこの女の子はこのスピーカーの事故をついてまんまと照山の近くに忍び込んでしまった。照山がここまで女の子の接近を許したことはなかった。

「僕がここまで女の子の接近を許したことはない。君は何者なんだ。どうして僕に付きまとうんだ」

「あの、訳のわからないこと言ってないで私の質問答えて欲しいな。ねぇ、さっきの曲なんて曲なの?ネットじゃ全く聴かない曲だし。ひょっとして君の曲?」

「あゃ、あゃゃゃ、あの曲は……」

 声を出そうとしても動揺のあまり全く声が出てこない。この胸の高まるクリアトーンのギターソロはなんだ。この心臓に響き渡るディストレーションがかったリフはなんだ。ひょっとしてこれが恋なのか。照山は思わずギターを抱えてアンプやスピーカーに繋いであったコードを持って逃げだした。

ギターと初恋

 照山は生まれて初めての恋に衝撃を受けていた。屋上から逃げた際にアンプやスピーカーが階段にぶつかって傷だらけになったが、今の照山はそれどころではなかった。彼は教室に帰ってきてもギターを弾かずにいたのでいつものように耳栓を準備していたクラスメイトは驚いた。照山は授業中何度もため息をつきマヤコフスキーの恋愛詩を口ずさんだ。

 ああ!しかし恋愛詩を口ずさもうともこの燃え立つ熱情は抑えきれない。照山は苦悶して公文式に勉強している連中の上をクラウドサーフィンしまくった。ああ!我が胸に恋の熱き炎よ!何故にいつまでも燻るのか!我が少年に恋は不用!燃えぬゴミとして捨ててやるのに!このままでは、逆にギターを粗大ゴミとして捨てかねぬ!

 照山はあの日以降休み時間になっても屋上に行かずそのまま教室に篭り続けた。ギターとスピーカーとアンプとギターギターケースで席の周りを囲って机の下で体育座りして身を潜める照山はどう考えても異様であった。照山はサイモンとガーファンクルの『アイ・アム・ア・ロック』のように岩となりもはや周りの雑音など聞くまいと耳を塞いだ。

 しかしそうやって毎日巌窟王のように机の下に身を潜めても恋の熱き炎は一向に消えなかった。逆にそうすればするほど恋の熱き炎は立ち上ってしまったのである。ああ!また屋上に行かねばならぬのか!あの女の元に行かねばならぬのか!完全に若きウェルテルの如き煩悶に取り憑かれた照山は授業時間もそのまま篭り、そして昼休みのチャイムがなるとすくりと立ち上がって激しくギターをかき鳴らした。

「行かなきゃいけない、モスクワへ🎵革命への苦難の道🎵ああ!この恋は革命なんだ🎵」

 教室にいたものは突然大音量でギターと共に叫ばれたこの気のふれたフレーズに唖然として目が点になった。ギター一式を抱えた照山はそのクラスの連中の前を颯爽と通り過ぎて屋上へと向かった。

 屋上についた照山は緊張に目を瞬かせながら初恋の女を探した。しかし初恋の女は屋上にいなかった。照山は彼女がいないのを見て悲しくなった。ああ!何故あなたはいないのだ!僕は自分に恋の革命を起こすためにあなたに会いにここまで来たのに!

 照山は虚しさに耐えきれずギター爪弾いた。溢れ出す恋のメロディを指は自然に奏で口は恋のポエムを歌い出す。

「恋以上愛未満、声をかけられぬままぁ〜🎵恋以上愛未満、ただ見つめることしかできなくてぇ〜🎵」

その時突然拍手が鳴り出した。照山はハッとして顔を上げた。彼女であった。あの彼女であった。彼女は微笑みながら照山に近づいて声をかけた。

「照山くん、久しぶり!歌最高だったよ!」

 照山は彼女が自分の名前を知っている事に驚いた。何僕の名前を知っているんだ。名前なんて言わなかったじゃないか!

「君、どうして僕の名前を知っているの?」

 彼女は照山の言葉を聞いてイタズラっぽく笑った。

「あら、好きな人の名前ぐらい知ってて当たり前じゃない?ちなみに私は繁田房子っていうの。ちゃんと覚えてね」

 この繁田の大胆極まる告白に照山は革命の瞬間を体験したような衝撃を受けた。ああ!時代が変わる!制度が変わる!ドルは紙屑となり人民の血と汗と努力がそれにとって変わる!革命を願ったローザ・ルクセンブルク。きっと彼女もこの恋の革命に衝撃を受けただろう。

「私、実は照山くんのことずっと前から知っていたの。いつも授業中に端っこの教室から響いてくるギターの音が綺麗でずっと聴き入ってて、それで周りの子にいつもギター鳴らしているの誰って聞いたら照山くんだって教えてくれた。あなたのクラスの子は何故かあなたをすごく嫌ってたけど、私はこのギターを鳴らしているあなたに興味が湧いてきたの。そんな時たまたま屋上にいたらあなたがギター鳴らして歌ってた。最高だった。天然水みたいにピュアっピュアだった。ねぇ、照山くん。私と付き合って。私こんなに男の子を好きになったことはないの」

 さらなる衝撃!火山から革命の赤いマグマが噴き出してくる。これはまさに革命だ!恋の花が吹き荒れ赤い血潮がそこらじゅうから噴き出す!革命だ!照山は頭の中でビックバンを起こす無数のマヤコフスキーの熱いポエジーに目が眩んだ。革命だ!革命の血潮を胸に抱いて僕はこの道をひた走るだけだ!

 照山は返事の代わりに思いっきりボリュームを上げて力強くギターを鳴らした。そのつんざく音は繁田の耳を貫き、校舎を突き抜け、近所の家に轟き、そしてクレームという形で学校に帰ってきた。

ギターと恋のはざまで

 このビッグウェーブに乗るしかないぜとばかりに恋の革命のバスに乗った照山は、恋に浮かれ以前よりも一層激しくギターを掻き鳴らすようになった。今まで彼がギターを弾いていたのは世間から自分の少年の純粋さを守るためであった。だが今は違う。今の照山にとってギターを恋を貫くための剣だった。彼は毎日ギターで繁田房子への思いを歌にし、それが高じてギターのネックで繁田に手紙まで書くようになった。

 照山にとって幸運だったことに繁田はかなりのロックファンであった。ミスチル、スピッツ等彼女たち世代の古典はゆうに及ばず、BUMPやフジファブリック等の当時のロキノン系の推しのロックも聴いていた。彼女は度々照山にBUMPの『天体観測』を歌ってくれとせがんだものだ。照山はそれに応えて大音量でギター鳴らしながら歌った。繁田はその照山のBUMPを遥かに超える少年ぶりに毛を逆立たせて歓喜した。ああ!照山くん、頭が光輝いているわ!彼の少年そのものの歌を聴いているとBUMPさえもイカ臭くて汚らしく思える。凄いわ照山くん、私をこんなにピュアな気持ちにさせるなんて!

 恐らく繁田はこの時すでに照山が只者ではないことを薄々感じてはいただろう。だが照山が彼女の予想を遥かに超えた天才である事はついに気づかなかったはずだ。そうRain Dropsが『少年だった』で大ブレイクするまでは。

 照山は繁田とデートに行く時いつもギターセットを抱えていた。繁田がそれをみて呆れた顔で「デートにそんな大荷物抱えてくる人初めて見たわ」と言ったが、照山はそれに対して笑顔でこう答えた。

「君のためにいつでも歌いたいからさ」

 繁田はこの言葉に感激してその場で号泣した。ああ!照山も繁田もあの頃は若かった。当時の照山は後の地球中の森が更地になってしまうようなあの東京ドームの悲劇をまるで予感させなかったし、繁田は今まで付き合ったバカ男子とまるで違う照山に完全に我を忘れていた。二人は完全にバカップルと成り果てていた。授業中に二人は互いの教室を行き来して観客一人のライブをやり、二人は完全にみんなから抜けものにされていた。

 だがどんな人間にも現実に目覚める時が来る。特に繁田のような凡庸な人間はあっさりと現実に目覚めてしまうのだ。

 ある日の放課後、繁田は照山と一緒に学校から帰ったが、その別れ際に今日は花屋のバイトがあるからしばらく連絡が取れない事を伝えた。すると照山がニッコニコ顔でじゃあ僕が一番に君からお花を買うから君の出勤時間教えてくれと聞いた。繁田はガン開きで自分を見つめる照山に多少呆れながら19:00からと答え、そして照山にこう聞いた。

「照山くんってバイトとかしないの?毎日お金とかどうしているわけ?」

 照山は繁田の質問に不思議そうな顔をして、何故僕がバイトをする必要があるんだ。お金は父から月二十万、必要な時は随時少額だしてもらっているから、バイト等する意味がない。と堂々とのたまった。これに繁田は唖然として大口を開けた。

「はぁ〜、金持ちって凄いよね。照山くんのお父さん大学教授だっけ?」

 そうだよと照山は笑顔で答えた。

「僕にはバイトなんかするより遥かに大事な事があるんだ。それは毎日ギターを弾いて君へ歌を作る事だ」

 繁田はこの照山の堂々たる告白に喜ぶどころかかなり引いた。

「か、金持ちっていいよね。私親から大学の学費は払ってやるから小遣いぐらい自分で稼げって言われてるの。でも照山くん、あの将来とかちゃんと考えてる?」

 その繁田の問いに対して照山は満面の笑みでこう言った。

「僕が考えているのは今だけだよ!明日からどうしようとかそんな事さっぱり考えていないよ。僕と君にとって今重要なのはこのギターを弾いている瞬間をどう生きるかってことだよ!」

 繁田はこの照山の発言に自分と目の前のギター男の間に決して渡れぬほどの裂け目があると感じた。しかし彼女はすぐにだけど照山くんもすぐに現実に目覚めるはずと思い直し、照山に向かってじゃあお店で待っているねと笑顔で別れたのだった。

 さてその花屋である。彼女が定時通り出勤すると店長が新人を前にレクチャーをしていた。繁田は昨日店長が新人が入って来るからよろしくと言っていた事を思い出し、店長の方に回って正面から新人を見た。そしてびっくりした。この女は照山と同じクラスの女だったのである。

 この女はブサイクそのもので照山と自分をひたすら嫌っていた。自分が照山の教室に入るといつもこれ見よがしに舌打ちなんぞしていた。新人のブサイクも繁田に気づいたようでアッと声を上げた。店長は繁田を自分の元に呼んで今日一日この子を教育してあげてと頼まれた。コンビニで接客経験があるから大丈夫だと店長は言い添えたが、繁田にとってはそれどころではなかった。

 結局繁田はこの女につき、花の種類や花の運び方を教えたのだが、このブサイクは返事すらせずただ鼻を鳴らすだけだった。一通りの作業をレクチャーし、二人はそのまま店の中に立っていたのだが、店長が配達に行っておらず、おまけに客も今日に限っては全く来なかった。繁田はずっと居心地が悪かったが、彼女はその時照山が真っ先に店に来ると言っていた事を思い出して顔が青くなった。今照山くんが店にきたらきっと大変な事になる。どうしよう。彼女は仮病を使って帰りたくなったが、しかし先輩は休憩中であるし、自分は新人教育の担当を命じられているので帰るに帰れない。ああ!どうしようと思っていたら突然ブサイクが声をかけてきた。

「ねぇ、アンタとあのギターバカの照山なんだけどさ」

「えっ⁉︎」と繁田はこのブサイクの憎さげな口調に怯んで声が震えてしまった。

「私と照山くんがどうしたの?」

「ハッキリ言って」

「ハッキリ言って?」

 繁田がこう相槌を打った瞬間ブサイクが糸が裂け目になるぐらいには目をくわっと開いて思いっきり叫んだ。

「お前らバカップル毎日うるさすぎるんだよ!いつもギター鳴らしてんじゃねえか!私たちがどんだけ迷惑してっかわかってんの?あのギターバカに止めろって言っとけよ!出ないと私たちお前ら二人を退学にしてって理事長に訴えてやるからな!」

素敵な花売り娘

 結局照山は繁田のバイト先の花屋には行かなかった。翌日学校の屋上で会った時、彼は花屋をすっぽかした弁明と謝罪をギターを鳴らしながら切々と述べたが、繁田は驚くほど無反応であった。彼女のあまりにそっけない態度に驚いた照山はやっぱりアンプとスピーカーを繋いで、僕の心からの謝罪を歌わねばと思って、ギターのボリュームフルに上げて歌おうとした謝罪の歌を歌おうしたのだが、その時繁田がやめてと絶叫したのでびっくりして手を止めた。

 君はそんなに昨日のすっぽかしを怒っているのかい?僕が花屋をスッポかざるを得なかったのは君のためなんだよ。僕は家に帰ってからずっと花屋で君に歌うための曲を作っていたんだ。『素敵な花売り娘』って歌をね。だけど作るのに夢中になってしまっていつの間にか時間が過ぎてしまったんだ。ごめんよ、ごめんよガール。そんなに泣かないで!

 繁田はそんな思いを込めた謝罪ソングを歌おうとしていた照山をただ無表情で見てこう言った。

「あのさ、照山くん。もう私の前でギターとか弾かない欲しいんだけど……」

 照山は繁田の言葉を信じがたい思いで聞いた。君は何を言っているんだ!君は僕のギターを聴いて涙さえ浮かべていたじゃないか!君はもしかして僕のギターのチューニングが合っていないのが不満なのかい?だけどそれはわざとなんだ!もっとリアルな思いを君に届けるためにわざとした事なんだ!

「もしかして君はチューニングの間違いに不満があるのかい?でもそれは……」

「全然違う!ったく照山くんってどんだけギターが好きなの?いっつもいっつもそこら中でギター鳴らしてさぁ。私昨日お店に新人で入ってきたあなたのクラスの子に言われたのよ。あなたのギターがうるさすぎて授業まともに受けられないから、これ以上ギター鳴らしたらあなたと私の退学を訴えるって。あなたがギターが好きなのはよくわかるよ。でも人の迷惑考えないとね。だから今後学校とかデート中にギター持ってこないでね」

 ギターを鳴らすな。この繁田の一言は照山に大きな衝撃を与えた。幼い頃からギターを抱きしめて育った彼にはこの一言は死刑宣告に等しかった。まさか繁田がその言葉を口にするなんて!照山はその場に崩れ落ちた。

「君は何故そんな事を言うんだ!君はずっと僕にギターをせがんでいたじゃないか!照山くんのギターと歌がないと生きていけないなんて言っていたじゃないか!なのに何故今更そんな事を言うんだよ!君は僕にギターを捨てろって言うのか!僕からギターを取ったら何もないのに!」

「ちょっと!捨てろとか言ってないじゃない!私はただ学校とかデート中にギター持って来ないでって言ってるだけ!それはあなたのためでもあるのよ。私さっき言ったでしょ?このままだっら私もあなたも退学になるかもしれないって!だから言ってるの!別にギター捨てろって言ってないよ!」

「いや、言っているに等しいじゃないか!このギターは初めて家に来た時からずっと僕と一緒に生きてきたんだ!ギターしつけ方だってスキンシップだって全部このギターと一緒に学んだんだ!いつも僕らは一緒だった。このギターか道に迷って家に帰れなくなった時、僕は夜中ギターを探したんだ!そんなギターを家に置いて登校するなんて出来るわけないじゃないか!」

「じゃあ私と別れんの?私とギターとどっち選ぶのよ?」

「ギターに決まっているだろ!」

 まるでパブロフの犬の如き即答であった。選択の余地などなかった。ノーギターノーライフ。ギターこそ我が人生。照山は自分の発言の重さに耐えきれず絶叫し繁田に初めて声をかけられた時のようにギターを抱えてアンプとスピーカーを繋いだコードを持って屋上から飛び出した。

 ああ!なんて事を言ってしまったのか!照山は頭の中で繁田に言い放った言葉を何度も思い出す。ギターに決まっているだろ。ギターに決まっているだろ。照山はそのまま教室を素通りして校舎の入り口を突き抜けて校門へと直走った。アンプとスピーカーが走るごとに地面に叩きつけられ完全にボロボロになっていたが今の照山にはそんな事はどうでもよかった。照山は選択から逃げるように学校から飛び出して、そのまま家の自分の部屋まで入るとすぐさま激しくギターを弾き出した。ああ!出来るわけがない!恋のためにお前を捨てるなんて出来ない!僕たちはいつも一緒だ!ギターは照山の熱い思いに応えてワォ〜と凄まじい遠吠えをした。

 この日照山はどれほどギターを弾いただろう。照山は感情のままにギターを弾き無数の曲を歌った。だがそうやって歌っている時突然繁田の顔が浮かんできた。ああ!ダメだ繁田さんを捨てちゃいけないんだ!だって彼女は僕の初恋の人だし、彼女のために『素敵な花売り娘』って曲も作ったじゃないか!この作った曲を繁田さんの前で歌わなきゃ死んでも死にきれない。よし、明日繁田さんに僕がギターを捨てられない理由を説明して、そして彼女にこの曲を歌ってわかってもらうんだ。僕のギターと彼女への純粋なる思いを!

嘆きの壁

 翌日、照山は学校に入るとそのまま繁田の教室へと向かった。絶対に彼女に『素敵な花売り娘』を歌って僕の思いをわかってもらうんだ。ギターでこの曲を鳴らせばきっと繁田は僕のギターへの愛が彼女への思いと分かち難く結びついている事を理解してくれるはず。照山はそう思い繁田の教室の戸を開けようとした。しかし鍵がかかって開かないではないか。照山はどういう事だと訝しんで一歩下がって戸を見た。するとでっかく自分が名指しされた張り紙が貼ってあるではないか。

『しばらくの間、他教室のもの立ち入り禁止。特に照山!※当教室の生徒は入室の際には担任のスマホに電話で一報入れる事!』

 これを見て照山はガックリとその場に崩れ落ちた。ああ!繁田さん!いきなりこんな仕打ちはないじゃないか!僕はギターを持ってここに君のために作った『素敵な花売り娘』って曲を演奏しにきたんだよ!この曲を聴けば君に僕のギターと君への想いが伝わるって思って!

 その照山の必死の願いもこの鍵のかかった教室のドアという嘆きの壁の前には通じなかった。まるで罪人のように項垂れる照山の前を教室の生徒たちが次々と入ってゆく。照山は戸が開いたのを見て、自分も飛び込もうとしたが、生徒が中で更なる嘆きの壁を作っていたので入れなかった。結局照山は繁田に会うことも叶わぬまま過ごすごと自分の教室に戻るしかなかった。

 教室ではすでに授業が始まっていたが、照山はそれどころではなかった。嘆きの壁という残酷な現実を目にしてしまった彼に授業なんぞまるで意味がなかった。ああ!繁田さん!これは誤解なんだ!僕は君にギターと自分のどちらがいいのかと聞かれた時ギターだと即答した。だか違うんだ!あの時の僕はあまりにも言葉足らずだったんだ!僕の中でギターと君は分かち難く結びついている。どっちも切り離せないものだ。ギターはメロディを弾く楽器だ。素敵なメロディーを弾けないギターはギターじゃない。繁田さん、君はそのメロディーなんだ!君がいなくちゃこのギターは鳴らないんだ!だから僕と一緒に鳴らすんだこの愛のメロディーを!と照山は席から立ち上がりギターを持って『素敵な花売り娘』を歌い出したのである。だがそれも一瞬で終わった。クラスの担任や生徒たちが照山がギターを弾いて歌い始めた瞬間にギターのコードをアンプとスピーカーから引っこ抜いてしまったからだ。照山はこのフジやサマソニで音響トラブルが起きたかのような異常事態に驚いて叫んだ。

「な、何故君たちはこんな事を!」

 しかし担任と生徒は一斉に指を指してこういうだけだった。

「毎日毎日うるせえんだよお前は!」

 照山はギターを抱え、アンプとスピーカーを繋げているコードを持って教室を飛び出した。そして屋上まで来てそこでずっと繁田房子が来るのを待っていた。だが彼女は下校時刻になっても現れなかった。

 照山はこうなったら花屋に直接の行くしかないと思った。花屋に行けば繁田はそこにいるだろう。そこで僕は彼女にギターでこの『素敵な花売り娘』を届けるんだ。彼はこう決意を固めるとギターとアンプとスピーカーを繋いでいるコードを持って屋上から駆け降りた。アンプとスピーカーはもうボロボロにも程があるぐらいボロボロだったが今の彼にはどうでも良かった。

 校舎を出ると彼はスマホのGoogle Mapを開いて繁田のバイトしているであろう花屋を探した。なんと彼は繁田からバイト先の場所どころか店の名前さえ聞いていなかったのである。

 だから照山はGoogle Mapで表示された花屋に片っ端から行くしかなかった。彼は花屋を見つけると繁田の名を挙げて在籍を確認したが、どこの店にも知らないと言われた。それどころかある店では店員に怪しまれ交番に行かないかと手を引っ張られた。だが照山はその時はあっち行けとばかりにギターをおもっきり掻き鳴らしまくって無事に難を逃れたのであった。

 そうして店を探してた照山は前方にGogle Mapになかった花屋を見つけたのだが、その花屋の前で彼に背を向けている客と向かい合わせに立っている女の子を見たのである。彼はその女の子が繁田だと一瞬にして確信した。見間違いようもない。体が半分見えないとはいえ明らかに彼女であった。繁田さん、花なんか売ってないで僕の君への思いを聴いてくれよ!

 照山は花屋へと駆け出した。そして花屋の前でアンプとスピーカーをセットしてギターを鳴らして歌い出したのだ。

「君といれば毎日がヘブン。愛し合い愛し尽くされた僕。花売り娘!花売り娘!君は素敵な花売り娘!」

 照山の少年のような透明な声があたりに響いた。道ゆく通行人たちはこの純潔少年のそのものの歌を聴いて思わず照山を見た。だが照山は通行人などどうでもよかった。ただ繁田房子一人のために歌っていた。繁田さん、これが僕の君への愛だよ。ほら、こんなに大きくて爆発しそうな思いだよ。このギターのメロディー、君の奥深くまで響くだろ?この僕の歌、熱い思いを感じるだろ?僕は君とギターのどちらかなんて選べないよ!だって両方ないと生きていけないんだから!

絶望の中に響いたロック

 「あのさ、お前うるさいからどっか行ってくんない?あのすっげえ迷惑なんだよね」

 照山は突然声をかけてきた男をみてまるで見知らぬ男だったのにびっくりした。繁田さんから涙でありがとうって声をかけられると思っていたのになんでお前が声をかけてきたんだ?この男はいかにも雑誌でファッションをお勉強しました、って感じの田舎のおしゃれ高校生で彼とは明らかに住む世界の違う人間だった。

「おい、聞いてんのか?やめろって言ってんだよ!」」

「なんで君なんかに止められなきゃいけないんだ!この歌は君じゃなくて花屋の彼女、そこの繁田さんに捧げたものなんだぞ!」

「テメエ、警察呼ぶぞコラ!」

だが、その時繁田が男に近寄って彼を制した。

「ちょっとうちの店の前で揉めないでよ。私クビになっちゃう」

「悪いな、ついカッとなっちまって。それでコイツはどうするんだ?」

「私に任せてよ」と繁田は男に微笑んだ。照山はその繁田の男を見つめて微笑む表情に自分への果てしなき裏切りを見た。まさか僕を裏切ってこんなアンポンカスと出来ているなんて!

 繁田は照山の方に近づいて手で彼を払いのけてこう言った。

「あの、君もううざいから早くあっち行って。シッシ!」

 照山は怒りを抑えきれず持っていたギターをそのままアスファルトに叩きつけた。突然の爆音に皆が一斉に照山の周りに群がった。照山は叩きつけたギターとアンプとスピーカーをつないでいるコードをもっと人だかりの中を絶叫して突き抜けた。

 そのまま自分の家の部屋に駆け込んだ彼は、部屋に入った途端号泣してその場に崩れ落ちた。ああ!なんて酷い裏切りだ!まさか僕の運命の人があんな酷い裏切りをするなんて!僕はギターと君を繋げて一生弾いて行くつもりだったのに!ああ!もう終わりだ!僕の人生は終わりだ!彼女に裏切られ、ショックでギターまで壊してしまった僕に未来はない!

 照山は試しにギターを弾いて見た。そしたらやっぱりギターはポロンとショボい音を出すだけだった。

 照山はそれから学校には行かずずっと家に引きこもり続けた。母親は照山を心配して学校に行くよう声をかけたが、父親はそんな彼女を諌めた。あれは天才の苦悶だよ。今彼の中の芸術家が真に目覚めようとしているのだ。まるで『背骨のフリュート』を書いた時のマヤコフスキーのように。だから我々は彼の目覚めを見守ろうではないか』照山の父は心配の電話をかけてきた学校にも同じ事を伝えた。心配はない。息子は必ず復活すると。

 この理解のありすぎる両親に見守られて、照山は思う存分引きこもり、絶望の中を漂っていた。彼は壊れて至る所にヒビが入ったギターを見て自分のギター人生が全て間違っていたのではないかと疑った。ああ!ひょっとした僕の過ちはお父さんからこのギターをプレゼントされた時に始まったのか。ギターを手にした時僕は少年の心で一生ギターを弾き続けると誓った。だから近所の人から文句が来てもギターをやめず、警察沙汰になってもギターをやめず、学校の授業中でもギターをやめず、退学を通告されてもギターをやめず、己が道を突っ走ってきた。ああ!ギターを弾き続けたあの日々は全て間違いだったのか!それだけが僕の生きる理由だったのに!

 照山はなんとなくスマホを開いてYouTubeを見た。そして最近ハマっていた宇宙動画を観ようとした。僕の肉体は地上で朽ち果て燃え滓となってチリになる。そして宇宙に飛んで銀河系を漂うのさ。ああ!と照山は泣き崩れた。しかし突然聴こえてきたビートルズの曲に驚いて目を見開いた。どうやら泣き崩れた拍子にこの動画のサムネを押してしまったらしい。

 その動画はどうやらロックのクロニクル番組のようだった。動画にはビートルズやストーンズやフー等のイギリスのロックバンドの映像と音楽が流れ、次にボブ・ディランやバーズやドアーズ等のアメリカのアーティストやバンドのそれが流れた。その音楽に合わせてナレーションが英語でこう語っていた。

「ロックは若者たちにそれまでのアートムーブメントとは比較にならない衝撃を与えた。ロックはイギリスやアメリカの若者たちに、自分たちが自由である事と、自分の思いをそのまま歌っていいのだと言うことを教えたのである」

 照山はこの言葉を聞いて自分の中の何かが開けてゆくのを感じた。自由、そうなんだ!僕は少年の心でギターを弾きながら自由を感じていたんだ!やっぱり僕は間違っていなかったんだ!近所迷惑だってクレームが来ても、警察に通報されても、学校の授業中でも、退学を通告されても少年の心でギターを弾き続けたことは正しかったんだ!

退学記念ラストライブ

 照山は自分にギターを買ってくれた両親に感謝した。ああ!あなた方のおかげで僕はギターを弾けているんだ!照山はスマホのYouTubeから流れてくるロックレジェンドたちの映像を見ながら思った。彼らも僕と同じ少年なんだ。僕も彼らみたいに少年の心でロックをやってやる!自分の心に正直にありのままを歌ってやる!僕をバカにしまくったクラスメイトに、僕を退学にすると脅した教師に、そして僕の愛が理解できず、僕を裏切った捨てた繁田房子に君たちより小年の僕の方が正しいって事をわからせてやる!

 照山はそう決意せるとギターを手に取って掻き鳴らした。するとなんと壊れているはずのギターが大きな音を立てて鳴り出したではないか!ああ!まさかこのギターも自分と共に復活したというのか!ああ!ごめんよ!君を叩きつけたりして!やっぱり僕には君しかいなかった!僕は間違っていたのさ!君を鳴らしている日々の素晴らしさに気づかずに、あんな裏切り女にノコノコ踏まれて飛ばされる亀のようについでいったんだから!もう君を離さないよ!さぁイクよ!迸る情熱のままギターは走る!メロディーが次から次へと溢れ出す!照山は無意識に『素敵な花売り娘』のメロディーを弾いた。弾いた瞬間嫌な気持ちになった。あんな女のためにこんな素敵なメロディーを捧げていたなんて!裏切られることも知らずに!照山は突然自分が十七歳だという事を噛み締めた。十七歳の純情を!十七歳の純情を裏切ったあの花売り娘!そうさ現実はいつだって僕を裏切るんだ!セブンティーン!痛ましい話さ!裏切らないのはこのギターだけさ!

 翌朝、一晩中ギターを弾き尽くし目がガン開きの状態になった照山は両親に向かって今日限りで高校を辞めて東京でロックスターを目指す事を伝えた。照山のギターのせいで一晩中眠れなかった父親はこの息子の決意を聞いて充血した目で感激のあまり涙ぐんだ。とうとう息子が真に天才に目覚めたのだ。今彼の目には照山が在りし日のマヤコフスキーそのものに見えた。父は涙ぐみながら息子に向ってこう言った。

「君は君の道を行け」

「ありがとう、お父さん」

 そして照山は退学の意思を伝えるために抱え学校へと向かった。父はそのギターセット一式を抱えて学校へと向かう息子の後頭部にマヤコフスキーの光り輝く頭を見た。父はそれに感激し母に向かって息子の後頭部を指さしながら「ほらご覧、あれが私たちのマヤコフスキーだよ」と言ったが、父と同じように一晩中照山のギターを聞かされていた母はやっと解放された安心感からか立ったまま寝ていた。

 学校はこの照山の一週間ぶりの登場に大騒ぎとなった。せっかく照山がいなくなって校舎が静かになったのにまたあの騒音まみれの毎日がはじまるのかと恐怖した。だが照山はギターセット一式は持ち込んではいたものの授業中もまったく演奏しなかったのでみんなホッとした。教師などとうとう改心したかと授業中にもかかわらず涙ぐんだほどだ。これで学校は平穏になる。誰もがそう思っていた。

 だがその平穏はあっさりと破られた。昼休み中の事である。突然校内放送で照山の声が流れ出したのである。照山はその放送で自分が今日限りで退学して東京でロックスターを目指すと語った。そして彼は続けてこう言った。

「これから僕の退学を記念して屋上でライブをやる。みんな!これが僕の学生時代最初にして最後のライブだ!絶対に見に来てくれよ!」

 それからしばらくしていつもよりよっぽどうるさいギターの轟音が鳴りだした。教師が驚いて慌てて屋上に駆けつけるとそこにでかいスピーカーがいくつもおかれていたのだ。教師はそのスピーカーの前に入る照山にこれはどっから持って来たんだと聞いた。すると照山は体育館からお借りしたのさ。と少年のような笑顔で答えた。教師はふざけんなさっさとやめろと言ったが、照山はその教師をいつもより果てしなくデカいギターの轟音で黙らせた。

「先生!僕のラストライブを邪魔しないでくれよ!オーディエンスが待っているじゃないか!」

 オーディエンス?この学校にお前のおふざけに付き合ってくれる奴なんて誰もいるもんかと教師は言ったが、実際に校舎中の人間がみんな屋上を見ているのに気づいて驚いた。ああ!早くやめさせなければと教師たちは照山を説得しようとしたが、照山はもうラストライブは始まっているんだと叫んでギターをかき鳴らし始めたのでどうしようもないことになった。

 学校中の生徒たちがこの照山のラストライブに注目していた。いつ学校に警察が駆け込んでくるか、いつ照山が警察に連行されるか、そうなったらこの県トップクラスの名門校最大の大事件となるであろう。それは学校にとって不名誉だが、生徒たちにとっては娯楽であった。あのギターバカの照山が自分たちの目の前で警察にパクられてゆく。これほど痛快な見世物を見逃すなんてもったいない。生徒たちは皆そう思って事の成り行きを見守っていた。

 繁田房子は照山の校内放送が始まった瞬間に頭を抱えた。ああ!こんなバカだと知ってれば告白なんてしなかったのに!

 屋上の照山に向かっていたるところから罵声が飛んだ。たまたま屋上にいた生徒たちはギターを抱えた照山に向かって缶やらビンやらを一斉に投げつけた。校舎の窓からは生徒たちが照山に向かってFUCKをして「死ね!」だの「今から飛び降りてしまえ!」などと叫んでいた。だが照山はそれらの罵声に臆すどころかむしろ光栄にさえ思っていた。ビートルズだって、ストーンズだって、ボブ・ディランだって、みんなみんな最初はこうやってブーイングを浴びていたんだ。負けないぞ!僕は絶対に負けないぞ!彼はカッと目を見開き同じ体育館から拝借したマイクを手にこう叫んだ。

「みんな、今日限り僕はこの学校を退学する!その記念といっちゃなんだけど、緊急でライブを行うことになった。みんな最後まで見守ってくれよ!」

 この照山のあまりに素敵すぎるMCに生徒たちはあらん限りのブーイングで答えた。放送禁止を遥かに乗り越えて、倫理上大問題になるような罵声を物理と共に投げつけた。照山は誰かが投げつけた牛乳が顔に垂れてくるのを拭おうともせずまっすぐ前を見つめて歌いだした。

 すると歌いだした瞬間に一斉に校舎が静まり返ったではないか。生徒たちは、そしてまだ照山を止めようとしていた教師たちもこの照山の歌を聴いた瞬間一瞬にして引き込まれてしまったのだ。その歌はあまりにピュアだった。少年そのままのロックだった。照山は少年そのままに烈しくギターを掻き鳴らし、そして絶叫した。

このライブで照山が歌ったものの中に後のRain dropsの代表曲『窓ガラスの悲劇』や『少年たちの終わらない夏』等があるが、その中でも重要なのはやはりあのデビュー曲の『セブンティーン』だろう。照山のこの曲は繁田のために作ったあの『素敵な花売り娘』の改作だが、このラストライブで彼は元の歌詞を書き換えて自分の繁田という現実に裏切られた少年の叫びを、痛ましい少年の叫びでこう歌ったのだ。

「あの子は毎日がエイプリルフール!裏切られ、裏切られ尽くされた僕。花売り娘花売り娘、君は残酷な花売り娘!」

 このあまりに痛ましい純粋な少年の失恋を歌ったこの曲校舎にいるすべての少年少女の心を打った。みんな照山をギター○○とバカにしていたことを謝りたくなった。それは繁田も同じであった。繁田はこのあまりにあからさまな自分への当てつけソングを聴いて衝撃を受けた。一瞬怒りを感じたが、それはすぐに感動へと変わった。彼女はなぜこんなひどい曲を聴いて感動できるんだろうと思った。だがその答えはすぐに見つかった。それは照山の声があまりにも少年だったからだ。少年のピュアさで彼はまっすぐこの曲を歌っているからだった。ああ!こんな純真な少年を何故振ってしまったのだろうと繁田は後悔した。照山くん、出来ればもう一度と彼女はライブ会場の屋上へと駆けようとした。だが曲が終わり照山がこう言ったのを聴いて彼女は止まった。

「さようならみんな!君たちは君たちの大人への道を歩めばいい!僕はこのままずっと少年の道を歩んでゆくから!」

 照山は曲の後でこうMCをすると最後にとびっきりの少年丸出しの笑顔でこうあいさつした。

「これでホントに最後だ!またいつか、今度は本物のライブ会場で逢おう!」

 ライブをこう締めた照山の頭には燦燦と太陽が照っていた。それは彼とRain dropsの未来の始まりであり、またあの不幸の始まりでもあった。


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