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つぶやきこばなし:社会課題について考えよう!やさしさを育むために必要な4つのちから~another story~

こんにちは!あゆみです。
今回は、なるべくやわらかめに「やさしさを育むために必要な4つのちから」のウラ側を語っていきます。

作品内では「自己犠牲」という言葉が頻繁に使われているのですが、こちらの真意について説明しています。お気軽に見ていってくださいね。


はじめに

シリーズ編の第9回の冒頭部分でも触れましたが、私は現代社会で多用されている「自己犠牲」や「自分を大切にすること」の在り方について改めて考える必要性を感じているからこそ、あえてこの言葉を選んで「他者理解」だとか「利他の心」を大切にしようよと訴えかけることにしたのです。(第1回でもお話しているので、よろしければ覗いてくださいね)

ところで自己犠牲って、なんだっけ?

さっそく定義を確認しましょう。

自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力・身体・生命をささげること。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

やっぱり、これだけを見ると自己犠牲そのものがダメなことだとは思えないんだよなぁ・・・と個人的に感じますが、皆さんはどうでしょうか?

とは言え、むやみやたらに自分の身も心も差し出して粉にしてしまうことがいつも正しいかと言えば、当然そんなことは思っていません。時と場合と、やりすぎ注意です。

では、「よろしい自己犠牲」と「よろしくない自己犠牲」を分かつものとは一体何なのでしょうか。これが作中で、口が酸っぱくなるほどお伝えしていた「建設的で意図的な」の部分なのです。

「前向きな理由で、わざと」が大事

つまり、こういうことが言いたかったのでした。

逆に言えば、「後ろ向きな理由で、流されながら行う自己犠牲」は、ただただ苦しいものになってしまうと思います。これを「やめようよ」と多くの人は言うのでしょう。よくわかります。

しかしながら、やめようよと言われてやめられていたら人は悩まないと思っていますし、繰り返しの内容になるので詳細は割愛しますが、「前向きにわざと」他者のために与えることを選ぶのも時に必要です。

だから、どうやって「建設的で意図的に」を実行できるのかを考える必要がありました。根性論ではどうにもならないことって、たくさんあると思います。私は闇にまぎれて悩み多き日々を送っていたので、なおさら「誰が見ても明るく綺麗なものを、綺麗なまま飲み込ませようとする」やり方は考えものだなと感じます。(個人的な隠者視点の意見です)

前向きに!といくら言われても、私たちは日々、後ろ向きになる可能性と共に生きているし、つい周囲の目や情に流されて意思決定する環境にさらされているのではないでしょうか。

とは言え、綺麗ごとが眩しいからと遠ざけてばかりいたら、いつまで経っても綺麗なものがやってこないことも考えられます。それはそれで苦しいですから、マジメに考えねばなりません。

そういった経緯で、やさしさを育むために必要な「4つのちから」である「忍耐力・想像力・洞察力・包容力」が必要だと思うに至りました。(気になるかたは、ぜひ本編を見てね!)

みんなが良しとしているものを良しというだけでは変わらない現実もある(と思っています)

冒頭でも少し触れましたが、どうしてわざわざ「自己犠牲」という言葉をチョイスしたの?というお話をしますね。

ひとことで言うならば、自己犠牲さんが、みんなから「ワルモノ扱いされているのでは?」と感じたからです。「悪くないことだってあるはずだよ!!!」と、叫ぶ人がいてもいいのではないでしょうか。つい、かばいたくなってしまったのかもしれません。

結局のところは、「他者への思いやりが大事じゃないですか?」ということが言いたかったのですが、これをそのまま言っても「そうだよね」と、あっさり受け取ってくれる気がするのです。もちろん、あえて、わかりやすく伝えることは親切だと思います。

でも、そのうえで「引っかかりをもたせること」は、そのぶん考えるキッカケをつくることにもなると考えました。(なんだかしっくりこない・・・というモヤモヤを感じることが、図らずも忍耐力を鍛えることになっていたりします)


「自分を大切にしようよ!」
「自己犠牲はよくないよ!」


今、流行っている言葉や考え方、それを扱うことに対してとやかく言うつもりはないのですが、多くの人が寄ってたかって言い過ぎることによって、もし「やり過ぎてしまう」ことになってしまえば、とたんにバランスが崩れてしまう気がします。自己犠牲のところでもお伝えしましたが、「やりすぎ注意」だと思っています。

また、言葉尻だけを捉えて自らにとって都合の良いように意味を解釈することもできてしまうからこそ、「いやいやそんな意味で言ったんじゃないよ・・・」という誤解もあちこちで生まれている気がします。

その結果、どんなことが起こってしまうのでしょうか。




「自分絶対主義」




「人のことなんて知らないよ!自分さえよければいいんだ!」と考えだす人が現れるのではないか?と、私のなかではイメージしていますが、それって怖いなぁ・・・と思います。

もし仮に、本当に「思いきり」自分絶対主義に舵を切っている状態ならば、思いきりグイン!と舵を切り戻す必要を感じたので、あえて「自己犠牲」という大げさな言葉を使いたかったのです。


※だから例えば、今の流行が「自己犠牲の精神が大切だよ!」に大きく傾いていて、しかもしんどいことになっていたら、「もっと自分のことを考えて大丈夫だよ!」って言ってたと思います。


自分絶対主義の人の割合が多くなるぶん、他者のために気持ちをかける人が、多くのものを引き受けることになってしまう気がします。重みに対応しきれず、私のように病気になる人が現れたり、生きづらさを抱えることにもなりかねません。

みんな自分のことが可愛いし、自分を大切にしたほうがいいのは同じだからこそ、自己犠牲さんをワルモノ扱いしないで「やさしさに伴う負担」を建設的にシェアしたいのです。すると、多くの人が楽になるのでは?という考えがありました。

言葉足らずな気がしたので追記:2月27日

▲繊細な題材を扱ってるので、端的にお伝えするのがどうしても難しく感じます・・・あくまでも本編の補足として当記事を解釈いただくことをオススメします。



これが理由です。

今の今、本当に求められていることを探る

一般的にこうだとか、ふつうはこうするとか、多くの場合はこうだとか。もちろん、そのまますなおに受け取ることも大切です。

しかしながら、「今の今、本当に必要なことってなんだろう?」という視点を持つことも、とっても大事なことだと思います。

ぐっとこらえて、あれこれ想像して、本質を理解して、あらゆる物事や事情を受けとめながら、自分を含めた他者の安心感を創り出していく。

これが、現代社会を生きる私たちに必要な考え方やスキルだと思っています。こうして、「やさしさを育むために必要な4つのちから」が誕生しました。

おわりに

そもそもは、今の【総集編】の記事のみをアップしていたのですが、ある方から「分割したほうが読みやすい」とか、「せっかく良いことが書いてあるのに長文すぎて戻ってもどこにあるのか探しづらい」、そして「分けてたくさんアップしたほうがいろんな人の目に留まるはず」とアドバイスをいただきまして・・・なるほど!と思い、実行に移しました。

正解でした(笑)どうもありがとう!

たくさんのかたに見つけていただけてうれしいです。読んでくださったかた、ありがとうございます😊

▼まだのかたはチラ見してね!

記事を分割するために編集していると、「ここの表現をもっとこうしたいな」とか、「これも言えばよかった!」とか、あれこれ浮かんでは消えていきましたが・・・やっぱり、2023年の11月に書いたものは、内容そのままで再アップすることにしました。その時にしか書けないものがあるはず。(気になり出したらキリがないというのも本音です)

最近「Kindle出版」されたかたのお話を拝見しまして、そんな方法があったのか!と希望の光が差しました。私もやってみたいなと思っているので、その時には、浮かんでは消えつつも、しっかりメモをした内容を追記してブラッシュアップさせてあげたいです😊


P.S. 自己犠牲についてはまだまだ話し足りないことや補足の補足としてあれこれ伝えたいことがあり、すでにある程度は執筆していますが、完成したらお披露目します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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