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【エッセイ】上総①─姉ヶ崎大根と市原の町並み─(『佐竹健のYouTube奮闘記(54)』)

 10月の中旬。私は巣鴨から山手線に乗り、秋葉原駅で中央線に乗り換えた。次なる目的地上総へと向かうためである。

 千葉駅に着いたあとは、内房線に乗り換えて、市原市にある姉ヶ崎駅を目指した。

 上総国の城は、椎津城を目指すことにした。

 椎津城へ行こう、と決めたのは、数日前だった。

 理由は、駅から歩いて行けるところにある上総の城が、ここしかなかったからだ。

 上総国の城で行こうと思っていた場所は、椎津城以外にもあった。久留里城と国府台城だ。だが、どこも駅からかなり距離があった。

 もし私が車やバイクの免許を持っていたら。もし私が折り畳み式の自転車を持っていたら……。これぐらい何の問題も無かっただろう。だが、私には免許もないし、折り畳み式の自転車も無い。このような背景から、妥協策として椎津城に決めた。


 姉ヶ崎駅を降りた。

 駅前の光景はというと、極端に栄えているわけでもなく、かといって、何も無さすぎるわけでもない。地方の街にしては、まあ栄えているといった具合だろうか。

 さっそく駅前に面白いものを見つけた。大根の形をした石のオブジェクトである。

 大根のオブジェクトの下には、

「世界に誇る姉崎大根」

 と彫られている。

(大根有名なんだ)

 知らなかった。東京の隣に大根の産地があったなんて。

「やっぱり地元じゃこれが特産品だ! みたいなのってあるよね」

 新潟の食材について調べていたときに気が付いた事実を再認識させられた。

 深谷のネギ、川越の芋、野田の醤油、浅草のり。こんな感じで、地元ではこれが特産品だ! と言えるような食べ物が、市区町村単位で必ず一つはある。市原市の姉ヶ崎地区の場合は、この特産品にあたるものが大根なのだろう。


 市原の風景は、東京とも埼玉とも神奈川とも似つかない落ち着いた街並みだった。といっても、茨城のようにたくさんの水田があるわけでもなく、栃木や群馬、比企みたいに山々しているわけでもない。平野に年季の入った民家が道に沿って軒を連ねていて、その中に時折コンビニや小さな個人商店が点在している。よく農村にある旧街道道沿いの町の典型例といったところだろうか。やはり上総まで来ると、街の雰囲気も少し落ち着いた感じになってくる。

 椎津城がある台地の目の前に川が流れていた。橋の向こう側から、鉄骨で組まれた煙突がひょっこり顔を出している。

(しかし、千葉ではよくこんな煙突目にするな)

 千葉では、ところどころで大きな煙突をよく目にする。前に亥鼻城を訪れたときに天守閣へと登ったときも、こんな煙突を見かけた。

 煙突は石油の精製に使われているのだろうか? それとも、鉄などの金属を使ったものの鋳造や精錬だろうか? 謎は深まるばかりだ。

 たくさんのビルが林立し、その中をたくさんの人波が行き交う東京都心や副都心。どこまでも住宅街が広がる東京都区部の辺縁や多摩地域。国道沿いに店とかがあって、そこを外れると住宅街か田んぼの埼玉。こんな感じで、ところどころで煙突が見られる光景は、千葉県の東京湾側では当たり前に見られる光景なのだろう。


 椎津川にかかる橋を渡り、城の目の前の住宅街の道を通っていたときに、空き地を見つけた。

 空き地は杭とロープで囲われていて、中にはススキやセイタカアワダチソウなどの秋草が生えている。

 その空き地には、何匹もの赤とんぼが宙を舞っていた。そしてその何匹かは、道と空き地の境にあるロープに止まっている。

「赤とんぼだ」

 赤とんぼを見た私は、秋を感じた。

 今年(2023年)の夏ファーストと灼熱の季節は長過ぎたし、暑すぎた。いや、暑いを通り越して熱いだった。何度熱さで死にかけたかと考えると、本当に辛くなってくる。

 最近の世間的に言われている夏は、非常に長い。2020年代に入ってからは、なおのことそう感じる。

 私の中での2020年代に入ってからの季節感は、1月が冬、2月から4月の初めが春、4月の中ごろから6月の前半までが夏ファースト、6月の中旬から9月の終わりまでが灼熱もしくは焦熱、10月から11月の中ごろまでが夏セカンド、11月から12月にかけてが秋といった感じになっている。

 6月の中旬から9月の終わりまでを灼熱もしくは焦熱と呼んでいるのは、何度も言っているように、命に関わる熱さだからだ。「夏の暑さガー」で済まされるほど、2020年代の熱さは生易しいものではない。

 夏をファーストとセカンドに分けているのは、この時期の気温が従来の夏のそれであるからだ。やはり夏の気温は、25℃以上か30℃を少し超えるくらいが調度いい。それでも私の体は悲鳴を上げるので、勘弁してほしいが。

 何を言いたいのかといえば、1年の半分が、私の中での世間的に言われている夏なのだ。しかも、真ん中の3ヶ月は、生きているだけでもやっとな暑さ。もう正気ではない。

 おそらくだが、このまま熱くなっていけば、近い将来『エヴァンゲリオン』みたいに、一年中夏になるのではなかろうか。春も、秋も、冬もなくなって、ずっと熱い夏が続く。想像しただけで、これからも生きようとする気力が失せてくる。小氷期や氷河期が来れば、また話は変わってくるのだが。

 小氷期や氷河期について言及したのは、地球は温暖期と寒冷期を交互に行き来しているという説があるからだ。もし、何かしらのきっかけがあって、今の時代に寒冷期が来たなら、最近の命の危険を感じるほどの気温が少しはマシになる。だが、そうすると、冬がかなり寒くなるので、これもこれで嫌である。

 話は2023年の夏セカンドに戻るが、こうして赤とんぼがしっかり飛んでいるのを見ると、狂った2020年代の気候でも、見てくれだけは秋として機能していると感じられる。


 赤とんぼを見た後、私は、椎津城のある台地の頂上へと続く坂道を歩いて行った。

 途中シダの葉や名を知らない草の実を見かけたりした。シダの葉があるということは、春になるとゼンマイやワラビなどの山菜がここで獲れるのであろうか。そうだとしたら、近くに家とかがあるから、春先になると誰かしらが取って食べていそうである。

 台地の上に登った。

 台地の上からは、亥鼻城や椎津川にかかっていた橋から見えたときに見た鉄骨の組まれた煙突が、2、3本見えた。

 そしてその右脇には、竹が生えていた箇所があった。

 竹が生えていた箇所は、1メートルから1.5メートルくらい盛り上がっていた。その盛り上がりは、台地のそれにしては、どこか不自然に感じられた。

(もしかして土塁かな?)

 私はこれが何なのか、すぐにわかった。城跡の近くにある不自然な盛り上がりは、大体土塁であることが多いから。そう考えると、今いる場所も城の一部であった可能性が高い。

「目的地は近いね」

 私は片手に持っていたスマホのマップを確認して、城跡の入り口を探した。


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