見出し画像

【短編】『至高の映画音響』

至高の映画音響


「ジュラシックパーク」や「ターミネーター」など数々のハリウッド映画の音響デザインを手がけてきたゲイリー・ライドストロム氏は言う。「音響デザイナーは単なる技術者ではなく、映画の核となるムードを驚異的なほどに生み出すマジシャンだ」と。まさにその通りだ。ストーリーテリングにおいて映画は視覚効果だけでなく、音響効果によって最大限、物語が観客の記憶に残るように設計されている。音はシーンや映画全体をより強力で意味のあるものにするための最も有用なツールの一つであり、音があることによって観客はシーンをより詳細に解釈し、想像力を広げることができるのだ。映画館に行けばそのことは自ずとわかるだろう。つまり映画音響を蔑ろにすることは、映画そのものの存在を蔑ろにすることになる。ゲイリーは言う。「映画の音響デザインは視覚で見えるものからではなく、視覚から感じ取れるものに基づいている」と。例えば、映画内のこのシーンでは恐竜が襲ってくるから大きな恐竜の足音と恐竜の鳴き声が必要ということではなく、恐竜が襲ってくるということは観客に緊迫感や恐怖を与えるシーンのように感じるから、より恐怖を感じる大きな足音と、より恐怖を感じる恐竜の鳴き声が必要になるということだろう。そしてそれらに木が倒れていく音も追加すればより観客は恐怖を覚えることになる。こうして最初は何も聴こえなかったはずのシーンから音響デザイナーがムードを想像することで音響を上乗せし、それによって初めて観客に映画のムードや情緒というものが伝わるのだ。私のお気に入りの映画の一つにアピチャッポン監督による「世紀の光」という映画がある。この映画は、前半は田舎の緑豊かな病院、後半は都会にある近代的な真っ白な病院が舞台となっており、その二部構成を通して男女の交流するエピソードが反復されるまるで夢をみているかのような不思議な作品である。後半では真っ白な病院を映しながら、ところどころで幻想的な音楽、まるで寝る前に聴く瞑想音楽のような音が流れ続け、男女の交流に微妙に不穏な空気を漂わせている。それはあたかも現代人が皆抱える微妙なほどに見えない不安を音によって表現しているかのようにも捉えられる。

ゲイリー氏は映画を通じて音のバランスを対比させることが、観客の注意を引くという点についても言及している。かの有名なホラー映画「エクソシスト」の最初のシーンはまさにその最高峰である。主人公の悪魔祓い師がイラクの遺跡を調査しにいくのだが、調査中は作業員たちによる大きな掘削の環境音が轟いているが、いざ主人公が建物の中に入ると一気に物静かになるのである。次のシーンでは閑静なイラクの街が現れ、イスラム教信者が頭を床につけて礼拝をしている。ここで音の対比が何かの予兆として使われているのだ。その種明かしをするように直後に、主人公が再び遺跡に戻り大きく輝く太陽を背景に悪霊バズズの像を眺めるというこれから不吉な出来事が起こるという暗示の名シーンに繋がる。実はその重要なシーンでも悪霊バズズの像を映しながら、裏では犬が喧嘩をして吠え合う不快な音が重ねられており、より観客に気味悪さを感じさせるのだ。ここからもシーンの雰囲気や映画のテーマに合わせて、いかに音響の対比によって観客の注意を引くことができるかが細かく計算されていることがわかる。

映画制作における音響部門の位置付けに対するゲイリーの見解について言及すると、音響デザイナーは他の制作部門と比較したときにしばしば蔑ろにされてきた歴史があり、今でもどこかのプロダクションではそのような現実がある。私はゲイリーと同じく、音響制作部門が他の部門と同等に扱われるべきだと強く同意する。もし各部門が情報やアイデアを相互に共有し、視覚と音響を組み合わせた最大限に効果的なシーンを作り出すための議論をすることができるのであれば、そのシステムを使わない手はないだろう。しかし、それでも音響デザイナーが撮影したショットや脚本家が書いた台本に制限されるのが当たり前とされている。仮に、視覚効果的にこのプロットはこう変えようという意見が通ったとしても、音響効果的にこのプロットを変更しようという意見は通らないのである。あるいは、その意見すら言えない立場にあるのだ。その環境を見直したとき、映画業界はさらなる発展を遂げるに違いない。一方で、そのような制限のある環境は、音響デザイナーにとって素晴らしいアイデアや技術を思い付くきっかけとなることもある。「スターウォーズ」のライトセーバーの音が映写機のモーターとブラウン管の音とを組み合わせて作られていたり、「ジュラシックパーク」の恐竜の鳴き声が亀の後尾する音を録音して作られていたりなど、フォーリー技術はその制限の環境から生まれたと言っても良い。音響デザイナーはショットや台本を変更することなく、最適な手法で最適な音声をシーンにマッチングさせる技術を考え出すのだ。それはもはやマジシャンの所業である。そういう意味では制限こそ本当の自由を生み出すのかもしれない。

映画音響は、しばしば映画の中で単なる必要な要素と見られがちだが、実際には映画内のシーンをより意味のある、劇的な、リアリスティックなものにするための最も重要な要素であり、観客により大きな認識と記憶を与えるものなのである。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?