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2020年3月福島取材㉑/夜ノ森駅

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富岡町文化交流センターからだだっ広い荒野を抜け、夜ノ森へ向かう一本道に入ると、すぐ脇は帰還困難区域となる。

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線量は、場所によっては毎時1.0μSvを超える。「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板はもはや見慣れてしまったし、バリケードも見慣れたが、こんな道のわずか一本隣を、桜まつりの時期には大多数の人が訪れる。

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(放置されたバイク)

「年に一回くらい」という人もいるし、元々ここに住んでいた人にとっては昔を思い出す大きなイベントでもあると思う。しかし、NHK等に見られるような、こういった負の側面を全く伝えずに、毎年恒例の楽しいイベントの一つとして消費してしまうことには大きな違和感を感じる。これは、僕が部外者であるが故の違和感なのかもしれない。

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(この時点で、今年の桜まつりはCOVID-19の影響で中止が決まっていた)

夜ノ森に着く。まだ桜はない。しかし、昨年見た桜が咲き誇る風景が脳裏に焼き付いている。常磐線全通でわずかに人の姿は見えるが、昨年の祭りに比べれば雲泥の差、ほとんど人はいない。それだけ桜まつりの人出は「狂騒」に近かった。

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聖火リレーに向けて2月から解体が始まったはずの富岡第二中学は、なぜかこの時も残っていた。日経新聞のサイトで見たニュースは誤報だったのだろうか。おかしいと思いつつも少しホッとする。

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正門側に回り、開いていた場所から敷地に入り体育館の中を見ると、昨年のままだった。震災後のままだった体育館は、昨年の桜まつりの際にダンボールが運び込まれ少し「荒らされた」が、結局解体されることもなく、この時は残っていた。聖火リレーに向けて都合の悪いことを隠すべくいろいろなことが拙速に決められてきたように思うが、その「隠蔽作業」さえ滞るほど、東北の復興は遅れているということなのか(6月に入り解体が始まったとの連絡あり)。

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これまでバリケードで隔てられていたエリアへ入る。避難指示解除とTVでは華々しく喧伝されたが、実際、夜ノ森駅の東側は道路が避難指示解除されただけで、家にはバリケードが張り巡らされ、立ち入ることは出来ない。これのどこが「避難指示解除」なのか。「立入規制緩和」と言うべきだろう。報道に踊らされ「福島は復興した」なんていう人間がいるなら、まず自分で歩いてから言え。

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道路は舗装が新しくなり、空間線量は想像していたよりも低く、毎時0.4μSv程度だった。もちろん、電車の時間もあったので細かく計測したわけではなく、除染されてないであろう私有地に入ったわけでもないので、もっと高い場所はあるだろう。風や雨で放射性物質は移動するので、今後、解放されたこの「道路」の空間線量は微妙に上がっていくかもしれない。

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(9年間放置された車)

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(ヨークベニマル。厳重にバリケードが張り巡らされ、敷地内に入ることは出来ない)

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(立派なボルボも台無し)

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(ポルシェも汚染され、もはや乗ることは出来ない)

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夜ノ森駅着。…あまりのショボさに驚いた。なんだこれは。

駅東口を少し測って歩く。

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最も呆れたのはこのスーパートイレだ。プレハブの間に合わせで作られた駅の構内にはトイレがない(6月現在、7月完成予定で待合室とトイレを建設中。つまり、聖火リレーには間に合わなかったが、(延期前の)東京五輪には間に合うということ。全ては五輪ありき)。

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夜ノ森駅東口周辺の道路を測って歩いてみたところ、最も高いところは毎時0.7μSv程度だった。17年3月に避難指示解除され人も住んでいる西口側では毎時1.3μSvを超える場所があるので、どうにも不思議な気分だ。

帰還困難区域内までしっかり測っている東京新聞の記者さんによれば、やはり夜ノ森駅東口の方が高いと言うので、桜まつりでたくさんの人が来る場所は徹底的に除染して線量は下がったが、除染されてない私有地の線量はとんでもなく高いということなのだろう(だから住めない)。

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駅の構内は毎時0.208μSv。無人の改札前の抜け、西口へ。

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ここに来るのは何度目か…もう忘れた。

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毎時1.3μSvを超えるホットスポット。この目の前に立つアパートには人が住んでおり、布団も洗濯物も干してある。

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夜ノ森駅はプレハブの簡易なもので、トイレは外に5つのスーパートイレが立ってるだけ。多くの人の思いが籠もった旧駅舎を解体して建てたものがこんな簡易でいい加減なものであることに、僕は腹が立った。聖火リレーに間に合わせるために、強引に常磐線全通を行なったとしか思えなかったし、この駅のショボさはそれを証明している。同じ無人駅でも、浪江の先の桃内駅の方がよほどいい。

10:14発の下り電車に乗り、双葉駅へ向かう。電車がホームに入って来たので車内を見ると、案の定乗客がたくさんいた。座席は全て埋まり、立っている人も何人かいる。首都圏では空いている部類に入る乗客数だが、このエリアの常磐線でこんなことは、もう2度とないだろう。電車に乗り込むと、一人の少年が急に椅子から立ち上がり、僕の方に向かって来た。

「そのバッジ…もしかして鈴木さんですか?」

いきなり知らない少年から声をかけられ、動揺したw どうやら、これまでnoteに載せてきた福島の取材レポートを読み、気にかけてくれていたらしい。

この春から高校生になるという彼は、13歳の時に父親に連れられ初めて車で浜通りを訪れ、それ以降福島に関心を持ち、僕のように電車に乗って何度も来ているという。それなりに放射能のことを勉強しており、進学予定の高校も環境系の学科で、そこで学んでいきたいという。僕が高校の頃とは比べ物にならないほど勉強家で好奇心旺盛な少年を見て、少し日本の未来は明るい気がした。

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<続く>

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